そこにいない門番
そこにいない門番

そこにいない門番

 

 街の中、大通りを行き交う人々。

 そこは今となんら変わらない、貿易都市ナーリッジのかつての姿。

 街の中は活気に溢れ、客引きや商品宣伝の声で溢れていた。いくつかの相違はあるものの、そこは間違いなく二人の知るナーリッジの街だった。

 

「ふむ……やはり二人の門ならば跳躍可能であったな……。しかし、それでもこれか…………」

 

 大通りのど真ん中に仁王立つ黒姫。しかし道行く人々はそんな黒姫に気づく様子も無い。それどころか、黒姫の存在自体がそこにいないかのように、道行く人々は黒姫の実体を透過し、すり抜けていく――。

 

「私たちの意識だけがあの領域を突破できたんですね……私たち二人の門の力を合わせても意識を跳ばすのが精一杯なんて…………」

「こうなるとますますヴァーサスの過去をこの目で確認しなくてはならなくなったな。どうやら、我らの想い人には想像を超えた何かがあるようだ」

「ヴァーサス……」

 

 黒姫のその言葉と、実際に目の当たりにするその現実に、リドルは思わず俯いた。しかしここまで来て立ち止まるわけにはいかない。リドルは胸に当てた手を握り締めると、顔を上げ、再び周囲を見回した。

 

「どうだ白姫。なにか感じるか? ヴァーサスと二人で門と融合した貴様は、常にヴァーサスとどこかで繋がっているようなもの。この時間軸のヴァーサスを探すのも容易なはずだが」

「ええっと……そうですね……少々お待ちを……」

 

 黒姫から促され、意識を集中させるリドル。門と融合して以来、リドルが意識せずヴァーサスを自分の傍へと引き寄せてしまうのも、全ては二人の意識がうっすらとではあるがリンクするようになっているからである。

 時間軸は異なるものの、確かに今のリドルにはこの世界のヴァーサスの存在が感じられた。しかし――――。

 

「な……なんですか……なんですか、これ…………っ」

「――? どうしたのだ?」

「こんなの……どうして……っ! いやぁ……っ!」

「白姫っ!? なにが――――」

 

 瞬間、リドルは黒姫の前で悲痛な叫びを上げたかと思うと、即座に目の前から消えた。

 

「チッ! いったいどうしたというのだ!?」

 

 それを見た黒姫はすぐにリドルの座標を探った。この時間軸のヴァーサスの座標は分からずとも、リドルの座標ならばすぐに追うことが出来るからだ。

 黒姫はリドルの座標を捉えると、すぐにその後を追った。距離は無い。ナーリッジの町中、その範囲内――――。

 光のトンネルを抜け、石畳みの上に降り立つ黒姫。飛び込んでくるのは、先に辿り着いていたリドルの姿だ。気づけば、先ほどまで晴れ渡っていたナーリッジ上空はどんよりとした雲に覆われ、その日差しを遮り始めていた――。

 

「どうしたのだ白姫っ! いったい何を――――っ!?」

 

 リドルは、その場に呆然と立ち尽くしていた。

 背後から駆け寄った黒姫は、リドルの肩越しにその視線の先の光景を見た。

 そこは、大通りから三本は奥へと入った薄暗く細い裏通り。商店から出されたゴミや片付けられていないガラクタが山積する、お世辞にも綺麗とは呼べないエリアだった。

 そして、そのガラクタと生ゴミの山の周りを、弱々しい足取りで歩く小さな人影――――。

 見間違うはずが無い。黒い髪に青い瞳。雰囲気は全く違うが、それは間違いなく幼い日のヴァーサスだった。

 ヴァーサスは何も言わず、山となったゴミに手を突っ込み、時には頭を突っ込んで何かを探している。見れば、その手にはすでに骨だけとなった魚のような物が握られていた。おそらく、なにか食べるものを探しているのだろう。

 しかし――。

 本当に重要なのはそこではなかった――。

 

「な……なんなんですかこれ…………どうして、ヴァーサスが…………っ」

「ヴァー……サス…………?」

 

 目の前の小さなヴァーサスは、透けていた

 今のリドルと黒姫も周囲からは見えない、認識されない存在だが、それは二人がこの時間軸とは別の場所の存在だからだ。

 しかし今目の前に居るヴァーサスは違う。正真正銘この時間軸のこの次元に存在するヴァーサスのはずだ。だが、その小さな存在は今にもかき消えそうなほど儚く、希薄で、透明だった。

 

「…………?」

 

 小さなヴァーサスが二人の方を見た。ヴァーサスの瞳とリドルの赤い瞳が交わる。
 だが今のヴァーサスとリドルでは領域がズレている。見えないはず、認識できないはずだ――。

 

「あ……っ」

 

 その時、その小さなヴァーサスの瞳を正面から見たリドルは思わず声を上げた。

 

 ――何も映していない

 

 この子の瞳には、何も映っていない。リドルはもちろん、彼が生きているこの世界すらも、何もかもが映っていない――。

 

「……!」

 

 言葉を失い、その場に立ち尽くす二人。

 そんな二人の体の間を、小さなヴァーサスが小走りに駆け抜けていく。その体には一枚の汚れた布だけがかかっていた。一つだけ開いた布の穴に頭を通し、手に魚の骨を握り締め、どこかに向かって走って行く。

 

「っ……白姫! ヴァーサスが! しっかりしてくださいっ!」

「――っ! は、はい! 大丈夫です、すみません黒姫さん!」

 

 もはや外面を取り繕うことも忘れ、必死に呼びかける黒姫の声に、なんとか我に返るリドル。二人は小さなヴァーサスが走り去った後を追って駆け出す。

 その歩幅は大人と子供。すぐに二人はどこかに向かって走る小さなヴァーサスを発見する。だが、しかし――――。

 

「なんなんですかこれ……っ!? こんなのって…………どういうことなんですか黒姫さんっ!?」

「私にもわかりませんよ……! でも、これじゃあこのヴァーサスは……もう……っ」

 

 同じだった。

 ヴァーサスは、道行く人々から全く認識されていなかった。

 ヴァーサスの体は人々の体をすり抜け、まるでそこに何も無いかのように大勢の人混みの中をただまっすぐに駆け抜けていく。

 ただ一つ二人のリドルと違うのは、ヴァーサスの体に触れた人々が奇妙な違和感に気づき、その部位へと目線を向けることだ。

 この目の前のヴァーサスは、やはりこの世界に干渉はしている――。

 つまりこれは、完全に軸がズレている二人のリドルとは違い、ヴァーサスのこの世界での存在と領域が、文字通り今にも消え失せそうなほどに希薄化していることを意味していた。それも、その希薄化は現在進行形で進んでいる――。

 目の前を走るヴァーサスからは、今にも死に絶えようとするか細い命と同じか、それ以下の力しか感じられなかった。先のリドルはこの事実を感じ取り、取り乱していたのだ――。

 

「このままじゃ……このヴァーサスはもうすぐ……っ」

「どうしてっ!? どうしてこんなことに……っ!? ここで子供の頃のヴァーサスが消えるのなら、今私と一緒に暮らしてるヴァーサスは誰なんですか……っ!?」

 

 叫ぶリドル。

 しかし、その声に応える者はいない。

 やがて降り出した雨。しかしその雨もリドルと黒姫、そして小さなヴァーサスには触れることもなく地面へと落ちていく――。

 降りしきる雨の中、何も映さぬ瞳の小さなヴァーサスが、ゆっくりとその歩みを止める。

 そこは、大通りから続く先。ナーリッジをぐるりと囲む高い壁に設けられた、巨大な門の前――――。

 ヴァーサスはその門の脇へとその身を滑り込ませると、そこに積み重ねられたぼろ布の山の中にその身を埋めた。ヴァーサスが上に乗ったというのに、そのぼろ布の山はほとんどその形を変えなかった

 それは、今のヴァーサスには重さすら殆ど残っていないことを現わしていた。

 その門の裏を覗き込む二人のリドル。しかしその時、リドルは明確な気配をその門の裏から続く闇の向こうに感じ、その身を石壁の影に隠す。

 ヴァーサスがその身を埋めたボロ布の向こうに、大きな一つの人影が浮かび上がる。その影はヴァーサスがこの場所へやってきたのを見つけると、ゆっくりとその大きな体を屈め、そっと――そこに眠るヴァーサスの乾いた黒い髪を撫でた――――。

 

「お疲れ様だな、ヴァーサス……。今日も、こうして君と会えて嬉しい……」

「――――っ!?」

「こ、この声――――そんな――――っ!」

 

 それは、まるで我が子へと語りかけているような……穏やかで、優しい声だった。

 そして、その声を聞いた二人のリドルは共に言葉を失った。なぜならたった今聞いたその声は、二人が二人ともによく知る、何度も聞いたことのある懐かしい声だったからだ。

 

「……おじさんは、門番……?」

「……そうだ。俺は門番だ。全ての人の笑顔を守る。それが俺の仕事だ――!」

 

 影から覗いたその顔。それはやはり、二人がよく知る人物のものだった。

 伝説の門番にして、二人のリドルの父――――英雄クルセイダス。その人だった――――。

 

 

 

 

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