美少年は人を斬れず
美少年は人を斬れず

美少年は人を斬れず

 

『話せ――――大魔王っ! それをどうするかは、俺が決めることだッッ!』

 

 あの日。黄の小位(おうのしょうくらい)六業(ろうごう)との死闘を終え、すぐさま神代神社(かみしろじんじゃ)に戻った奏汰(かなた)はかつての大魔王――――影日向大御神(かげひなたおおみかみ)の口から鬼の真実を告げられた。

 (いわ)く、鬼とは奏汰達が迷い込んだ鬼の世界に元々住んでいたごく一般的な、(なぎ)新九郎(しんくろう)が住むこの世界の人々と何も変わらない罪なき人間たちだったのだと。

 そして鬼の首魁(しゅかい)である真皇闇黒黒(しんおうのやみのこくこく)は、それら罪なき人々を自身の力で意のままに操り、特別な力を与えて自らの目的を果たすための尖兵(せんぺい)としているのだと――――。

 

「――――勇者奏汰よ。千年前、余は貴様との戦いの傷も癒え切らぬまま、この世界の人間共を襲う鬼を滅ぼすべく、真皇(しんおう)の住む鬼の世界へと侵攻した。結果的に敗れはしたものの、余はそこで見たのだ。人一人住まぬ無人の巨大な都市と、真皇が人を鬼へと変え、余に向かってけしかけるその様を――――」

「それなら、鬼になった人を元に戻すことはできないのかっ!?」

「それはわからん。少なくとも、この事実を知ってそれを成そうとした者はこの神代に連なる我が血族の中にも何人かいた――――しかし、一度鬼と化した者達を人に戻すことができた試しはない」

「そう……かよ……っ!」

 

 淡々と事実のみを話す影日向(かげひなた)の前、奏汰はその場でがっくりと膝をつき、握り締めた拳で地面を全力で叩こうとして――――止めた。

 

「奏汰さん……」

 

 そしてその影日向の話に衝撃を受けたのは奏汰だけではない。奏汰や凪と共に六業と命がけで戦った新九郎もまた、大きな動揺を受けていた。

 新九郎とて幼き頃から将軍家晴(いえはる)直々に戦いのなんたるかを叩き込まれた武士。

 鬼の命を奪い、自らの命を危険に晒す覚悟は出来ている。出来ているはずだった。

 

「もしかしたら……今日僕が見たあの鬼も、人間だった頃は猫さんのことが大好きな人だったのかな――――」

 

 その日、自身の部屋で横になった新九郎の心には様々な思いが浮かんだ。

 新九郎はこの時、生まれて初めて鬼を哀れだと、可哀想だと思った。

 更に言えば、新九郎は今まで鬼を斬ったことは数多くあったが、人を斬ったことは一度もない。否――――ないと思っていた

 現在に至るまで、新九郎はそれこそ千を超える数の鬼を斬り伏せてきた。彼らが皆、元は自分達と同じ人だったというのなら、新九郎はずっと人を――――。

 

「僕は――――っ!」

「おおっ?」

 

 燦々(さんさん)と照りつける陽の光の下。白洲(しらす)の上に片膝(かたひざ)をついた新九郎が裂帛(れっぱく)の気合いと共に駆ける。

 その左手に清流の静けさを。その右手に燃えさかる炎の激しさを宿した新九郎の二刀が弧を描き、眼前に立つ討鬼衆大番頭(とうきしゅうだいばんとう)四十万弦楽(しじまげんがく)めがけて(ひらめ)く。

 

「僕だって……ずっと考えてるんですっ! でもわからない、わからないんですよぉ……っ! 怖いんですっ! もし戦いの最中に鬼が人に見えたら……僕は、きっと剣を振れません……っ! ぼ、僕……っ。人は……人は斬れないんですよぉ……っ!」

「こ……のっ! 糞餓鬼がぁ……ッ!? 上様の前でそんなくだらねぇ泣き言垂れるたぁ……っ! 良いご身分になったなぁッ!? アアンッ!?」

 

 その大きな瞳を潤ませ、今にも地に伏せって泣き出してしまいそうな様子の新九郎に舌打つ四十万(しじま)

 四十万は苛ついた様子で地面すれすれから斬り上がる清流剣(せいりゅうけん)を足の平で止めると、中段にほぼ横薙ぎの軌道で迫る陽炎剣(ようえんけん)黒檀(こくだん)(じょう)で払い、払った勢いそのままに杖を中空で正円に回転――――新九郎の両手首を全く同じタイミングで容赦なく打ち据える。

 

「あいたーっ!?」

「どうしたどうしたァ!? そんなザマ晒してんならなぁ……俺が鬼にやられる前にてめぇをぶっ殺すぞゴルァ!?」

「あわわわわ……!?」

「立て新九郎ッ! さっきの話は撤回だ。ここで俺に負けたら……テメエは今日限りで討鬼衆でもなんでもねぇ! 追放だッ!」

 

 鬼が人であったという影日向の話はすでに四十万の耳にも入っている。そして四十万はその情報については番頭級(ばんとうきゅう)の人材のみに共有し、一般の討鬼衆には伝えていない。

 四十万からしても、新九郎がそのような心理状態に陥ることは理解出来た。

 間もなく徳川三百年。余りにも長く続いた人同士での争いのない時代と、鬼という共通の脅威の存在。

 それは人か鬼かという区別を想像以上に人々の心にはっきりと、悩むこともないほどに当たり前の認識として植え付けていた。

 鬼は敵。斬れる、殺せる。

 人は同胞、守るべき存在。

 ほぼ全ての鬼と戦う者達が、この当たり前の常識の元に戦っていた。

 だからこそ、その常識の根底を揺るがしかねない鬼が人かも知れないという事実は、公にするには危険すぎる情報だったのだ。

 

「いいか新九郎……! テメェがそれを知ってそうなっちまう気持ちは俺も理解できなくもねぇ……! だがな――――!」

 

 白洲を踏み締め、四十万は怒りの炎を燃やしながら黒檀の杖をビシとその手のひらに打ち付けると、憤怒(ふんぬ)の形相を浮かべて新九郎の眼前に立った。

 

「テメェ……そんな情けねぇ有様で……! 上様や俺達の前でのたまった、みんなを守るってのが出来ると思ってんのかッ!? アアッ!?」

 

 激しい怒声をぶつける四十万。しかし実のところ四十万のこの怒りは期待の裏返しでもあった。新九郎の戦闘力は、討鬼衆の中でも最上位に位置する。

 そんな見事な力と才を持つ新九郎出あることを良く知るからこそ、四十万はこれほどまでに激昂していたのだ。しかし――――。

 

「でも……僕はっ。かなた……さん……っ」

「……ああん?」

 

 四十万から詰め寄られ、取り落とした二刀をなんとか拾い上げる新九郎。しかしその時、四十万は新九郎が奏汰の名を呟くのを聞いた。

 

「奏汰さんは……どうして……っ」

「てめぇ……。まだ変な夢でも見て――――」

「どうして……そんな……っ!」

 

 その時。新九郎の脳裏には、あの影日向との会話の翌日に見た奏汰の笑みが思い浮かんでいた。

 あの夜、新九郎は結局一睡も出来なかった。考えただけで吐きそうだった。

 食事も喉を通らず、周囲の景色の何もかもが色あせ、一体自分はこれからどうすればいいのか、全く分からないほどだった。

 それなのに。

 それなのに奏汰は――――。

 

『――――俺が全部終わらせる。人も鬼も、どっちもこれ以上悲しまなくていいようにしてみせる! だから頼む――――俺に力を貸してくれ、新九郎っ!』

 

「どうして奏汰さんは! そんなこと言えるんですかあああああっ!?」

 

 新九郎は心からの叫び声を上げ、そのまま弾かれたように目の前の四十万に向かって突撃した――――。

 

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