「妖怪木桶熊とか……全然尊くないし。しかも臭いし。同類だと思われたら最悪……」
「仕事があるならそっち優先で良かったのに……。なんかごめんな、新九郎……」
赤と白の陣幕の奥。間もなく始まる御前試合の準備のため、試合に参加する者達はみな、江戸城前のお堀沿いにある討鬼衆の詰所内部に控えていた。
未だに首から自らの罪状が書かれた木札をぶら下げてうなだれる新九郎に、奏汰は心底申し訳ないという様子で謝罪する。
そしてそんな奏汰の隣には、奏汰と同じように新九郎の頭をよしよしと撫でて慰める凪と、眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情で立つ青と白の着物の少女――――雪女郎の凍。
さらにはそんな彼らの様子を見つめて無言で立つ、ひょっとこ面をつけた男か女かもわからぬ着物姿の人物が揃っていた。
「ううぅ……いいんです。僕の方こそ、僕の勝手な行動で奏汰さんや凪さんにまでご迷惑をおかけしてしまって、すみませんでした……」
「ほむほむ? 私らはなーんにも迷惑しておらんぞ? のう奏汰よ」
「ああ! 仕事をサボってたのは確かに悪いことだけどさ、でも俺や凪は新九郎にいっつも助けて貰ってる! 今日の試合が終わったらさ、俺も新九郎と一緒に四十万さんに謝りに行くよ!」
「そうじゃそうじゃ! 新九郎は実際のところ私や奏汰と共に位冠持ちを一体仕留めておるわけじゃし、決して江戸を守っていなかったわけではないしの!」
「か、奏汰さん……っ。凪さん……っ! ありがとう、ございますぅぅ……!」
しょんぼりと謝罪する新九郎に、奏汰と凪はそんなことはないと力強く笑みを浮かべ、励ますように新九郎の肩に手を置いた。
そしてそんな二人の言葉に励まされたのか、新九郎もまたその両目に涙を浮かべ、えぐえぐと藍色の小袖で溢れた涙を拭っていた――――。
実際のところ、あの黄の小位――――六業と交戦したあの日までは、新九郎は特に討鬼衆の任務を疎かにしていたわけではない。
一月前、奏汰に自分の師匠になって欲しいと頼まれた際、新九郎はその件について討鬼衆の大番頭である四十万に事前に相談しているのだ。
一方の四十万にしても、大位を討ち果たす力を持つ奏汰や、神代の巫女である凪との連携を、新九郎を通じてより緊密に行いたいという思惑があった。
黄の小位の討伐と、鬼が密かに江戸市中に構築していた門の存在も、新九郎を通じて討鬼衆はすでに状況を事細かに把握している。
そう、そこまでは新九郎は立派にその役目を果たしていたのだ。
「でもさ、なんでそんなにずっと俺たちと一緒にいてくれたんだ? そりゃ、俺たちからしたらすげえ助かったけど……」
「えっ!? そ、それは、その…………っ」
「ん?」
だが、そこで奏汰の発した当然の疑問を受けた新九郎は再び目を泳がせ、自らの両膝の上で手を握り締めると、きゅっとその唇を引き結んで俯いてしまう。
「……実は、それについては自分でもまだよくわかってなくて……すみません……」
「――――わかった。じゃあ、話せそうになったら教えてくれよな!」
「はい……っ! ありがとうございます、奏汰さんっ!」
新九郎のその言葉に、奏汰は特にそれ以上追求することもなく頷くと、最後に一度新九郎の肩にぽんと手を置いて、安心させるような笑みを浮かべて立ち上がる。
新九郎もまた、普段のどこかふざけた雰囲気ではない様子でもう一度奏汰に頭を下げると、自身の両頬をぴしゃりとはたいて気合いを入れ直した。
「よっし……新九郎は大丈夫そうだな。 ――――そういえば、凍さんたちは第一試合だろ? 相手はどこなんだ?」
「私たちの相手は京の陰陽連。はっきり言って犬猿の仲。当たり前だけど尊くないから、全員凍らせて江戸の海に沈めたい。きっといい魚のエサになる」
「陰陽連と言えば、かつてのあやかし衆とは殺し殺されの間柄じゃったからの……凍よ、くれぐれも熱くなりすぎんようにの!」
新九郎の復調を確認した奏汰から一回戦の相手を訪ねられた凍は、それだけで討鬼衆の詰所内を凍り付かせかねない冷気を放ち、対戦相手である陰陽連への敵意を剥き出しにして凄んだ。
「大丈夫でさぁ姫様! 凍にはこの俺様が付いてますからっ! あと、今回はたまたまあやかし通りに立ち寄ってたコイツもいますんでっ!」
「にゃはは。久しぶりじゃなチュウ兵衛よ。今日はお主も出るのじゃな?」
「久しぶりの御前試合で腕が鳴りまさぁ! 姫様に続いてこの俺様まで参加するとならぁ、今年の褒美はあやかしが全取り間違いなしですぜっ!」
瞬間、威勢の良い声と同時に凍の肩に飛び乗って現れたのは、二本足で立ち、流暢な人語を話す山伏装束の灰色ネズミ――――チュウ兵衛。こんな姿だが、なんと千年を生きる強大な鼠天狗である。そして――――。
「じゃあ、そっちの組は凍さんとチュウ兵衛さんと――――えーっと、そこの変なお面被ってる人は……?」
奏汰から視線を向けらた先。そこにはひょっとこのお面をすっぽりと被り、黒と白の色が渦を巻くように生地の上を這い回る着物を首元まで着込んだ一人のあやかしがいた。
「アーナナ・アミーター……無貌……鵺……どれでも好きに呼ぶといい蒙昧かつ愚昧かつ理性と知性と倫理の欠如した愚かすぎる輝きを隠そうともしない恥知らずで破廉恥で興味深い最愛を向けるに値する人類の子の中の一人である四千四兆三千三百億番目の剣奏汰――――初めまして。よろしく」
「うーん……? ――――じゃあ、とりあえず鵺さんかな! よろしくな、鵺さんっ!」
「おお素晴らしいやはり期待以上だ君はとても素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい×1000」
「な、なんじゃこいつ……? のう凍よ、こんな奴あやかし衆におったかの?」
「実は私も知らない。けど玉藻姉さんとは凄く仲良くしてたから、多分大丈夫だと思う。尊さはまだ計ってない」
とりあえず奏汰によって鵺と呼ばれることになったそのあやかしは、奏汰の元気の良い挨拶を受けてその身を残像が出るほどにカタカタと震わせると、着物の袖の下からさらに着込んでいた洋装の黒い服と白い手袋に包まれた手を差し出し、少なくとも表面上は和やかに挨拶した。そして――――。
「よぉし! 将軍家晴公が間もなくこちらにおなりだ! 御前試合参加者は皆外に出よ! 家晴様のご観覧準備ができ次第、御前試合を開始する!」
「お!? いよいよか! なんか久しぶりでちょっとドキドキするな!」
「なぁに、なにも殺し合いをするわけではないのじゃ。気楽にの、奏汰よ!」
「あのぉ……もしかして僕って試合中もこの木札をつけてないと駄目な感じですかね……? オヨヨ……」
詰所内に試合進行を勤める馬廻衆の声が響いた。
その声を聞いた奏汰は凪と新九郎の二人に目を合わせ、笑みを浮かべて頷くと。三人で並び立って陽の光に照らされた白洲へと足を踏み入れた――――。