雲一つない青空がどこまでも広がる平穏な昼下がり。
季節は巡り、日中の暖かさは日増しに強くなっていく。
魔王の迷宮での戦いから数日。
すっかり元通りの日常を取り戻したリドルとヴァーサス。
二人は今、迷宮踏破にチャレンジしていた間疎かになっていた、花園の手入れに精を出していた。
「そうそう、そんな感じです! それが終わったらちょっと休憩しましょうか」
「もうこんな時間か! 料理もそうだが、経験の少ない作業はいざやってみるとついつい夢中になってしまうな!」
「ヴァーサスが力仕事を全部やってくれたのでとっても助かりました。ありがとうございますね!」
冬の間に枯れたり、病気になってしまった葉を丁寧に抜き、栄養の少なくなった土を入れ替える。
枝分かれしすぎた茎を適切な数に剪定し、まだ育っていない苗や背の低い花にも日が当たるように調整する――。
手をかけようと思えばどこまでも手をかけられる花園の手入れ作業は、今まで武芸一辺倒だったヴァーサスにとっても相当に興味深いものだったようだ。
「さ、どうぞ……今日はジャスミンティーにしてみました!」
「おお……これはまた爽やかな香りだ……リドルはいつも用意がいいな」
「それについては私がいいんじゃなくて、ヴァーサスが準備しなさすぎなんです! いっつも槍と盾だけ持ってどこにでも行っちゃうんですから」
「ハッハッハ! つい頭で考えるより先に体が動いてしまうのだ、俺の困ったところだな!」
「もう……いきなり飛び出す前に、少しでいいのでちゃんと考えてから動くようにしてください。そうじゃないとこっちの身も持ちませんので……」
晴れ晴れとした空の下。
二人は周囲を満開の向日葵に囲まれた花壇の横に並んで座ると、リドルが持参したポットからお茶を注ぎ、しばしの休憩に入った。
二人が座る場所はそれほど広くはない花壇横の石段である。
若干窮屈そうに、それでもあえてぴったりとくっついて座る二人の距離は、かつて出会った頃よりも明らかに近かった。
「し、しかしリドル……その……ここ最近思っていたんだが……」
「どうかしましたか?」
その二人の距離感を楽しむどころかもっと味わうようにヴァーサスの肩に頬をすり寄せるリドル。
しかしそんなリドルの様子とは裏腹にヴァーサスは耳まで真っ赤になっており、その表情からはとてもリラックスしているようには見えなかった。
「いくらなんでも近すぎではないか?」
「え?」
赤面した顔を見られぬようにリドルから逸らすヴァーサス。
ヴァーサスが発したその言葉に、リドルは不思議そうな表情で首を傾げる。
「嫌でした?」
「い、嫌ではない! そういうわけではなく、なぜ最近になって頻繁にこのような状況になるのかと疑問に思ったのだ。なにかリドルに心境の変化でもあったのかと……」
「ふんふん? 心境の変化もなにも――」
リドルはその透き通った赤い瞳をまっすぐにヴァーサスに向け、穏やかな笑みを浮かべながら平然と次の言葉を発した。
「私たち、もう恋人同士じゃないですか」
「ぶふぉっ!?」
「きゃっ!」
リドルのその言葉に、ヴァーサスは比喩でもなんでもなく飲みかけていたお茶を盛大に吹き出した。
「大丈夫ですか? 今拭いてあげますから、じっとしててくださいね――」
そんなヴァーサスの慌て振りを見たリドルは更にきょとんとした表情になる。
だが彼女はそのまま特に嫌がることもなく、手早く取り出したハンドタオルでお茶に濡れたヴァーサスをかいがいしく拭いて回った。
「お、俺と……リドルが……!? こ、こい……恋人……!?」
「ふふっ……さっきからどうしたんです? 私は今みたいなヴァーサスも見れてちょっと得した気分ですけど」
あまりにも衝撃的なリドルの発言に、ヴァーサスの目はぐるぐると渦を巻き、処理しきれなかった感情がどくどくと心臓に早鐘を打たせた。
そして混乱と焦りが頂点に達したヴァーサスの脳は、決して言ってはいけない言葉を口走らせてしまう。
「す、すまないリドル。一つ教えてくれ……俺たちはいつから恋人同士になったのだ?」
「……え?」
瞬間、空気が凍り付いた。
ぱさりと静かな音を立て、リドルが持っていたハンドタオルが地面に落ちる。
先ほどまでさんさんと降り注ぐ太陽の下、歌うように咲き誇っていた向日葵たちも、広大な花畑を自由に駆け抜けていた爽やかな風たちも、全てが極寒の渦に叩き落されたのだ――!
「今……なんて言いました?」
「り、リドル……?」
ヴァーサスは自身の背中を冷たい物が流れ落ちていくのを感じていた。
先ほどまでの柔らかな雰囲気は消え、かつて対峙した門番皇帝ドレスすら上回る威圧感を発するリドル。
「私がエルシエルの娘だって告白する時、この話を聞いたら一生一緒にいてもらいますからねって言って、『無論だ』って即答してましたよね?」
「そ、その通りだ……!」
「次元の裂け目の前でキスしたの覚えてます?」
「お、覚えている……!」
「その後家に帰ってから、朝まで一緒のベッドで寝ませんでした?」
「た、たしかに……!」
俯いたまま一つ一つ状況証拠を列挙していくリドル。
その全てにおいて身に覚えがありすぎるヴァーサスは、ただ頷くことしか出来ない。
そして恐ろしいことに、それら証拠を一つ挙げるごとに、リドルから発せられる威圧感はますます膨れあがっていくのだ――!
「……け……て……」
「う、うむ……? ど、どうした……?」
「私にこれだけのことしておいて、まだ恋人じゃないつもりでいるってどういう神経してるんですかーーーーっ!?」
持っていたポットもカバンも作業道具も何もかも全てをぶちまけるリドル。
リドルが見せた鬼のような形相に哀れにもヴァーサスは完全に震え上がり、もはや抵抗する気力すら萎え、ただ死を待つばかりとなった。
「す、すまない! 許してくれリドル! なにぶんこういうことには不慣れで――!」
「許すかー! この脳筋門番! これじゃ私一人で浮かれて馬鹿みたいじゃないですか! 私の純情を返してください!」
怒り狂うリドルの背後に巨大な噴煙を上げる活火山の幻覚を見るヴァーサス。
ヴァーサスは静かに自らの死を覚悟した。だが――。
『……美しいな。門の周囲がこれほど美しい世界は初めてだ』
「え……っ?」
ヴァーサスに馬乗りになり、怒りの罵詈雑言を放ち続けるリドル。
しかしそこに、突如としてどこか聞き覚えのある声が響いたのだ。
「だ、誰ですか貴方!? いつのまにここに入ったんですか!?」
「な……っ! お、お前は……!?」
声のする方へ顔を向けるリドルとヴァーサス。
そこには、禍々しい邪気を放つ黒と赤の法衣を着た、目に見える年齢には似つかわしくない妖艶さを湛えた一人の少女が立っていた。
『この世界の住人共か……門の周囲にこうも軽々しく常人が立ち入れるとは、興味深いことだ』
「う、嘘ですよね……っ!? こんなことって……!」
黒い法衣の少女がヴァーサスとリドルを視認する。
それと同時、少女の顔を見た二人の表情が驚愕に見開かれた。
はっきりと見えた少女のその顔は、二人ともによく知る人物だったのだ。
「リドルが……二人!?」
「ちょ、ちょっと! 貴方誰なんですか!? なんで私と同じ顔なんです!?」
『ほう……そういうことか。貴様がこの次元の私か……ク……ククク……クハハハハッ!』
リドルとヴァーサスの反応を見た少女は凶悪な笑みを浮かべると、狂ったようにその場で笑い声を上げた。
辺りの向日葵が怯えるようにその頭を垂れ、快晴だった空は禍々しい黒雲に覆われていく。
『我が名はリドル。リドル・パーペチュアルカレンダー! 門の支配者にしてあまねく次元の破壊を司る者。黒姫と呼ぶ者もいるがな!』
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『黒姫リドル』
種族:人間
レベル:∞
特徴:
門と完全なる融合を果たした平行次元のリドル。
その力はあらゆる次元に及び、力が尽きることもない。
基本世界のリドルと違い、素粒子単位での座標転移が可能。
その気になれば次元そのものを一瞬でバラバラに分解できる。
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もう一人のリドルはそう言うと、鮮血のように濁った赤い瞳でリドルとヴァーサスを射貫くように見つめた――。