「――お前とキリエは、そのために俺の元に連れてきた。そしてその時にエオインに奪われたもう一人の赤子こそ、イルレアルタに乗るシータ・フェアガッハ……お前の実の弟だ」
「マジかよ……」
「やはり……そうでしたか……」
剣皇ヴァースの控えるエーテルリア連邦首都、執務室。
ヴァースから過去を伝えられたガレスとイルヴィアは、もはや言葉も少なく、ただうつむくことしかできなかった。
「俺は自らの野望のため、お前から家族と記憶を奪い、自らの手駒として育て上げた。お前にとっては、まさに恨んでも恨みきれぬ仇であろうな」
「しかし陛下……私は!」
「エオインがイルレアルタと共にお前の弟を連れ去ったことで、あの時点での神隷機復活は阻まれた。だから俺はお前とキリエを殺さず、起源種共々戦力とするために育てたのだ。すべてはレンシアラを完全に滅ぼし、この地に永遠の平和を打ち立てるため」
今、この時のヴァースは丸腰。
ガレスがその気になれば、両親を殺し、自身の人生を狂わせたヴァースの命を奪うこともできたかもしれない。
しかしそのような状況であるにも関わらず、ヴァースは己の所業を包み隠さず語った。
「この真実を知り、俺の命を奪いに来るもよし。弟のいるエリンディアに寝返るもよし……すでにお前は、俺のために十分過ぎるほど働いた。後は、お前の好きにするがいい」
「陛下……」
そう言って、剣皇は笑う。
しかしガレスの瞳に映るその笑みは、いつもの覇者としての力強い笑みとは違う、寂しげな笑みだった――。
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「――この話は、内通に応じた当時の帝国兵士からもたらされました。真偽を確かめる術はありませんが……私は、信じるに値すると思っています」
「じゃあ……僕はフェアロストの……」
「まさか、シータ君の過去にそんなことがあったとは……」
「私もこの話を知った時には驚きました……ですが、どうしてもシータ様にはお伝えしなければと……」
エリンディア王城。
今度こそすべてを語り終えたソーリーンは、深いため息と共に疲労の滲む表情で横になる。
侍従の医師達がソーリーンの様子をうかがい、心配そうに見つめるニアに向かって首を横に振る。
「ソーリーン様、これ以上はお体にさわります……」
「ありがとう、ニア……ですが最後に、これだけは貴方に伝えさせてください。これが……私の〝最後の策〟です」
医師達に制止されながらも、ソーリーンはその眼光に知性の灯火を宿して言葉を続けた。
「剣皇を……〝ヴァース様を殺してはなりません〟。ヴァース様の元で急激に拡大した帝国がここで彼を失えば、それは新たな大戦乱の幕開けとなるでしょう……私達が真に止めるべき物は、ヴァース様の命ではなく……心なのです」
「止めるべきは、心……」
「そのための布石は、すでに大陸中に打ってあります……今の貴方なら、きっと……その中から最も正しい道を選び取れる……私は、そう信じています」
沈痛な表情で寄り添うニアに向かい、ソーリーンはしわの浮かんだ目尻を申し訳なさそうに歪めた。
「今日まで続く争いは、すべてこの私が始めたこと……本当なら、平和になった世界を貴方に託したかった……どうか、許してください」
「ソーリーン様……っ」
そしてその後ろに立つ二人……リアンとシータにも目を向け、口を開いた。
「思えば、恵まれた生でした……こうして貴方達のような立派な子供達に囲まれて……もう、なにも思い残すことはありません。ただ……」
「女王様……?」
「コケ、コケー?」
「ふふ……シータ様を見ていると、〝ずっと昔の約束〟を思い出してしまいますね……かつての私は、一度でいいからエオイン様にエリンディアに来て欲しいと……それはもう、しつこく言い寄っていたものです……本当に、幸せな日々でした……」
「お師匠をエリンディアに……」
ソーリーンの言葉に、シータは窓から覗くエリンディアの景色に目を移す。
そこでは雄大に連なる純白の山脈と、緑の草原が広がり、空の青はどこまでも澄んでいる。
世界中を転戦したシータにとっても、改めて見るエリンディアの美しさは感動を覚えるほどだった。だから――。
「約束します、女王様……女王様がお師匠に見せたかったこの景色は、僕が守ります。お師匠の代わりに……僕が守ってみせます!」
「シータ様……ありがとうございます」
シータのその言葉に、ソーリーンはかつてのエオインを重ね、満足そうに微笑んだ――。
――――――
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――
「あら……?」
その日の夜。
開け放たれた窓をくぐる風に、ソーリーンはふと目を覚ました。
視線を巡らせれば、窓の外には満天の星の光。
欠けた月の光は優しく、ソーリーンの老いた横顔を青く照らしていた。
「伝えられることはすべて伝えた……私にできることは、すべて……」
彼女がこれまでそうしてきたように。
目を覚ましたソーリーンは、今やるべきこと、しなくてはならないことを再確認する。
そしてもう自分にやれることが何もないと確認し、再びベッドの中に身をうずめた。
『――もうっ! どうして貴方達っていっつも二人でくっついてるの!? まさか……付き合ってるんじゃないでしょうね!?』
『俺とエオインが付き合ってる!? そんなわけないだろっ!?』
『あはははっ! 面白い推理だけど、僕とヴァースの仲はそういうのとはちょっと違うかもしれないね』
『違うって……じゃあなんなのよ?』
『うーん、それはね――』
それは、今から三十年以上も前の記憶。
ソーリーンの問いにエオインはただ一言、『恋人よりも大切な相手だ』と答えた。
(ヴァースのことがずっと羨ましかった……だって、私がどんなに頑張っても、エオインはヴァースのことばっかり……私が入る隙間なんて、全然なかったんだもの……)
三英傑などと並び称されながらも、ソーリーンは自分が〝そうではない〟ことを誰よりも知っていた。
戦果の貢献度では同等以上でも……エオインとヴァースから見た彼女の立ち位置は、どこまでいっても〝仲間止まり〟だった。
(ふふ……だから、最後にちょっと意地悪してやったの。だって……ヴァースが長生きすればするほど、あっちで私はエオインを独り占めできるでしょ? ふっふっふ……我ながら完璧な作戦だわ!)
「やれやれ……まさかそんなことを考えてたなんて。まったく君は、おばあちゃんになっても油断できないね」
いつからそうしていたのだろう。
星の明かりが差し込む窓のそばで、一人の狩人――在りし日のエオインが、困ったように笑いながら立っていた。
「エオイン……?」
「前に約束したよね? 僕に君の故郷を案内してくれるって。色々あって遅くなっちゃったけど……いい機会だし、お願いしようかなと思ってね」
突然現れたエオインに困惑しつつも、ソーリーンはすぐに彼が昔からこのような性分だったことを思い出す。
そしていつしかソーリーンも彼と出会った頃の姿へと変わり、軽やかな足取りでベッドから飛び出した。
「はぁ……貴方って、本当にいつも勝手なんだから。でも……まあいいわ。行きましょ、エオイン! 今度は絶対に逃がさないんだから!」
その言葉とは裏腹に。
ソーリーンはこれ以上ない満面の笑みを浮かべ、差し出されたエオインの手を取った――。
――――――
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星歴九七八年。
季の節は一、日は十三。
かつて氷獄の魔女と恐れられ、三英傑の一人として天帝戦争を戦い抜いたエリンディア女王、ソーリーンはこの世を去った。
エリンディアの王位には、ニア・エルフィール改め、ニア・セレス・エリンディア新女王が即位。
この日を境に、長きに渡り続いた帝国の戦乱は、最終局面へと向かうことになる――。