「じゃあ、行ってきます。お師匠……」
朝焼けの空の下。
まだ焼けた木々の匂いが立ちこめる森の中。
帝国の襲撃から一夜明け。
シータは師の眠る粗末で簡素な墓標の前にいた。
あの夜。
ガレスの敗北を見届けた帝国軍は即座に撤退した。
シータが彼らを追うことはなく。
帝国軍もイルレアルタと戦おうとはしなかった。
ガレスを倒された黒曜騎士団はもはや壊滅と言ってよく、シータの心身の疲弊もまた限界だったからだ。
「コケー?」
「ありがとう、ナナ。もう大丈夫……君がいてくれて、本当に良かった」
「コケ! コケ!」
たった一晩。
たった一晩の間に、シータは慣れ親しんだ森を焼かれ、師であり育ての親だったエオインを失い、イルレアルタに乗って帝国軍と戦った。
シータが負った心の傷は深く、そう簡単に癒えるものではない。しかし――。
「僕は生きます……お師匠が守ってくれたこの命で、お師匠が教えてくれた沢山のことを……僕が繋ぎます」
シータは改めて師の墓標に誓う。
師がこれまでに伝えてくれたこと。
師がこれから伝えたかったこと。
その全ては、もう〝シータの中にしかない〟のだと。
深く傷つきながらも、すでにシータはそのことをよく理解していた。
「コケ? コケコケ?」
「まずは、お師匠が言ってたエリンディアに行こう。もしかしたら、お師匠のことを知ってる人がいるのかもしれない」
別れの時。
シータは師の長弓を墓標にくくりつけると、最後にゆっくりと辺りを見回した。
帝国の襲撃によって変わり果ててはいるが、今もシータの旅立ちを見守るこの森には、彼が物心ついた頃からの沢山の思い出が詰まっていた。
初めて一人で野ウサギを捕えた時のことを。
狼の遠吠えに怯え、師になだめられて眠ったことを。
一人前の狩人と認められ、師から手作りの弓を贈られた日のことを。
シータはその全てを胸に刻み。
再び溢れそうになった涙を堪え、前を向いた。
「僕は、必ずまたここに戻ってきます」
その言葉を残し。
ナナを肩に乗せたシータはトネリコの弓を担ぎ、師の墓標と、彼を暖かく育み続けた母なる森に背を向けた。
昇る朝日と共に一歩を踏み出した少年の向かう先。
そこには灰色の体躯を陽の光にさらす天契機……イルレアルタが、シータの決意を見届けるかのようにそびえ立っていたのだった――。