勇者降る
勇者降る

勇者降る

 

〝舞へ舞へ勇者

 舞はぬものならば

 魔の子や鬼の子にゑさせてん

 踏みらせてん

 まことに美しく舞うたらば

 生まれし世まで帰らせん〟

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 しゃらん。

 しゃらん。

 鈴が鳴る。

 何処いずこより聞こえしわらべ歌。

 時は文政ぶんせい

 所は江戸。

 間もなく皐月さつきも終わろうという頃。

 夕闇に暮れた町の外れに、大きな火の手が上がった。

 

「鬼だ! 鬼が出たぞ!!」

「早く逃げなせぇ! 町廻りはすぐには来れませんで!」

 

 突然の炎に逃げ惑う着物姿の人々。

 今この時。燃えさかる炎と共に彼らを追い立てるのは、わらべほどの体躯を持つ異形の〝鬼〟どもだ。

 鬼。

 魔。

 もののけ、化物、妖怪変化。

〝それ〟の呼び名は数あれど、どれも人にあだなすことに変わりはない。

 いつからいるのか。

 どこから来るのか。

 時の施政者たちは幾度となく鬼の根絶やしを試みたが、徳川太平の世となった今もなお、鬼は人々の平穏をおびやかし続けていた。

 

「ちくしょう! おいらの家をよくも!」

「馬鹿な気を起こすでない! 命あっての物種ものだねじゃ!」

 

 火事と喧嘩は江戸の華。

 荒事はたしなみと言われる江戸っ子といえど、相手がこの世ならざる者ではわけが違う。

 鬼はきいきい、きゃあきゃあと猿に似た奇声を上げながら棍棒を振り回し、木戸と言わず桶と言わず、目についた物を手当たり次第に打ち払う。

 

「ひぃぃ!? お、お助けぇ!」

「キキーーッ!」

 

 やがて鬼は逃げ遅れた一人の老人を見つけると、どう猛な笑みを浮かべて襲いかかる。

 いかに小柄とはいえ、此度こたびの鬼はあまりにも多勢。

 老人一人、寄ってたかってすりつぶすなど造作もないと思われた。

 

「たぁあああああああ――ッ!!」

 

 しかしその時。

 倒れた老人をかばうようにして二条の銀閃がひるがえり、複数の鬼が一瞬にしてその身を両断される。

 身を縮めていた老人が恐る恐る目を開くと、そこには浅緑せんりょくの着流しに身を包み、緑がかった髪を一まとめとしてなびかせる年若い剣士の姿があった。

 

「おめぇ、新坊しんぼうか!?」

「はい! ここは江戸一番の〝天才美少年剣士〟であるこの僕に任せて、早くお逃げを!」

 

 新坊と呼ばれた剣士は、誰もが見惚れるほどの端正な笑みを老人に向けて頷いた。

 

「けども、おめぇ一人じゃどうにもならんじゃろ!?」

「僕のことなら心配ご無用! ささ、急いで!」

「お、おう……気ぃつけるんじゃぞ!?」

 

 老人は不安げな表情のまま、這うようにしてその場を離れる。

 残された少年は両手に持った二刀を構え、ぐるりと周囲を取り囲む鬼に対峙した。

 少年の名は徳乃新九郎とくのしんくろう

〝自称〟天才美少年剣士にして、江戸を守る同心どうしんや、その子分である岡っ引きに属することなく、独力で悪党のたぐいを退治して回る〝剣客けんかく〟の一人である。

 少年とはいうものの、その端正可憐な横顔はむしろ少女を思わせる。

 華奢きゃしゃな体格と相まって、知らぬ者には彼が鬼と戦えるなどとはつゆと思わぬ事だろう。

 

「江戸を襲う悪鬼羅刹あっきらせつ――たとえお天道様が許しても、この僕は許しません! 成敗します!!」

「キキーーーーッ!」

 

 燃え落ちる民家を縫うようにして、新九郎と鬼の戦いが始まる。

 四方八方から迫る鬼に対し、新九郎は自称天才の名にたがわぬ流麗苛烈りゅうれいかれつな剣さばきで応じた。

 

「せぇええええええいッ!!」

「グギャ!?」

「ゲギャ!?」

「ギギィー!?」

 

 時には清流のように。

 時には業火のごとく。

 互い違いに間断なく繰り出される新九郎の二刀は、鬼の群れをちぎっては投げちぎっては投げ。瞬く間に鬼のしかばねが山となって築かれていく。

 

「ふっふっふーん! いくら数が多くても、そんな腕じゃ僕には勝てませんよ! 諦めて帰るといいですっ!」

 

 そのあどけない横顔に〝渾身のどや〟を浮かべ、嵐のような斬撃で次々と鬼を切り伏せる新九郎。

 二十、三十、四十と。

 鬼どもはなんの考えもなく新九郎の間合いに飛び込んでは、物言わぬむくろへと変わりゆくのみに見えた。

 

「キキキーー!」

「キャキャー!」

「ん? んんんん……?」

 

 だがしかし。

 切り捨てた鬼の数が五十を数えた頃。

 新九郎の表情がぞっと青ざめる。

 

「ちょ……! いくらなんでも多すぎませんかっ!?」

「ケキャーーーー!」

「うわわわっ!?」

 

 倒しても倒しても、際限なく現れる鬼の群れ。

 いかに新九郎が達人とはいえ、倒せる鬼の数には限りがある。

 なんとか鬼の猛攻を切り払いつつ、自らの不利を悟った新九郎はこの場から離れようと後ずさった。だが――。

 

「あれ? 逃げ道が塞がれてる……?」

 

 下がる新九郎の足が、積み上がった骸の山に阻まれる。

 さらには炎の勢いもまた衰えを知らず、崩れた瓦礫も相まって、気付けば彼の退路は完全に断たれていた。

 

「し……しまったぁあああああっ!?」

 

 袋の鼠とはまさにこの事。

 実はこの新九郎なる少年剣士。たしかに剣の腕はめっぽう強いが、江戸でも一、二を争うお調子者の青二才。

 新九郎が得意となって鬼を切り捨てている間、彼は自らの墓穴を掘ってもいたのだ。

 

「ちょ、ちょちょちょちょ……ちょっとお待ちをっ! この場はお互い剣を収め、また日和の良い時に改めてですね……?」

「ゲギャーーッ!」

「ぴええええっ!? お助けぇええええっ!」

 

 つい先ほど助けたばかりの老人とまったく同じ有様となり、腰を抜かしてかがみ込む新九郎。

 勢いを増す鬼の群れが四方から新九郎に殺到し、染み一つない少年の柔肌を引き裂こうと迫る。しかし――。

 

「――伏せろ!!」

「はわっ!?」

 

 しかしその瞬間。

 江戸の夜空に一筋の光芒こうぼうが流れた。

 身を屈めた新九郎の眼前で閃光と衝撃が弾ける。

 炸裂する力の渦に鬼の群れは為す術もなく吹き飛ばされ、驚いた新九郎は思わず顔を上げた。

 

「……怪我はない?」

「あ、貴方は……?」

 

 顔を上げた新九郎の視線の先。

 そこには見慣れぬ洋装を身にまとい、再び沸き出る鬼の群れを前に、新九郎をかばい立つ一人の少年の背があった。

 

「俺は剣奏汰つるぎかなた――超勇者だ」

 

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