「参る――ッ!」
漆黒の天上。
灰色の大地。
草木の一つも存在しない月の大地に、カギリ裂帛の気合いが轟く。
本来、大気の薄い月面でカギリやユーニが呼吸することは不可能。
しかし、すでに月はリーフィアの領域。
二人は地上と同じように活動し、十全の力を行使することが出来た。だが――
「むむっ!?」
「リーフィアさんがいない!?」
一条の閃光となってリーフィアへと疾走するカギリ。
だがカギリの斬撃が届くより先に、リーフィアの姿は忽然と消えた。
カギリにも、それを遠景から見ていたユーニにも。リーフィアがいつ消えたのか全く捉えることが出来なかった。
『ギリギリバトルってどうするの?』
『こうするの?』
「なんと!?」
「そ、そんな……っ!」
だがしかし。
目の前から消えたリーフィアを探して目をこらした二人の彼方。
月の地平線の向こうから、ゆっくりと――本当にゆっくりと、月よりも巨大になったリーフィアの姿が昇ってくる。
『とりあえず、〝少し〟大きくなってみた』
その大きさは、月を手の平に乗せて見下ろすほどだった。
もはや頭上の視界全てがリーフィアとなった月面。
リーフィアは無表情のまま首をかしげ、カギリを見つめた。
「大きい……っ! 大きすぎて、距離感が掴めない……!」
「まさに規格外でござるな……!」
『決めた』
『流れ星』
『隕石』
『戦いと言えばメテオ』
手の上に月を乗せ、リーフィアが呟く。
すると彼女の周囲に光が輝き、一つ一つの光が極大の火球となってカギリ目掛けて降り注ぐ。
「カギリさん、逃げて――っ!」
「っ!」
それはまさに破滅の流星。
次々と月面に着弾した火球は月の表面を大きく削り取り、数十発の核爆発にも匹敵する閃光にカギリを飲み込む。
そしてそれと同時。
激烈な破砕の嵐から退避しようとしたユーニの周囲に、リーフィアの展開した〝防御シールド〟が現れる。
『ごめんなさい』
『私は力の加減がわからない』
『でも、関係の無いユーニが怪我をするのは嫌』
『地球のみんなも、時間が止まっていれば何があっても治せるから』
「リーフィアさん……っ。貴方は、本当に……」
リーフィアの言葉に、ユーニは複雑な表情を浮かべた。
ユーニにとって、魔物という存在は敵以外の何者でもない。
父を殺し、母を殺し。多くの命を今も苦しめる敵対者だ。
敵であるはずの魔物から受ける優しさは、ユーニを大きく戸惑わせた。
「――守勢に勝機無し。ならば切り抜けるのみッ!」
『凄い。まだ生きてる』
閃光と爆炎の渦から一条の流星が飛び出す。
それはカギリ。
全身に傷を負いながらも、カギリはあの破砕を生き延びていた。
『生きてて嬉しい。私にはまだギリギリがわからない』
「ギリギリ侍の真髄――この程度ではござらんッ!」
爆炎を抜け、飛翔するカギリを見たリーフィアは、興奮した様子で先ほどよりも勢いを増した流星の雨を撃ち放つ。
だがカギリは怯まない。
カギリは降り注ぐ星屑目掛けて空中で更に加速。
隕石の雨を足場として跳躍すると、二重三重に襲い来るリーフィアの流星群に向け、雷光を纏った二刀を渾身の力で叩き付ける。
「はぁあああああああ――ッッ!」
閃光。
そして轟く雷鳴。
カギリの振り抜いた二条の雷光は、天上を埋め尽くした全ての隕石を一撃で消し飛ばし、その先にそびえる星よりも巨大なリーフィアの像までも両断した。
「な、なんて力……っ! これがカギリさんの……ギリギリ侍の本当の剣……!?」
『私の流れ星が消えた』
『全部壊された』
『私も斬られた』
『信じられない』
『人じゃない』
「いざ――推して参るッ!」
一閃の元に数千の流星を消し飛ばしたカギリは、雷光を帯びた二刀を構えてリーフィアへと突貫する。
だがそれを受けるリーフィアも動く。
空を覆うリーフィアの姿が光輪を放つ。
無限に拡大した銀色の髪が、星すら飲み込む宇宙の津波となって全方位からカギリに襲いかかる。
「まだまだああああああああ――ッ!」
『熱い』
『陽の光も』
『星の中でうねる炎も』
『そのどれよりも、あなたの命の方が熱い』
しかしカギリは止まらない。
上下左右から襲い来る致命の一撃を斬り裂き、漆黒の星空を突き進む。
カギリが攻める。
リーフィアが下がる。
カギリの刃がついにリーフィアの実像へと到達。
リーフィアの姿は、一瞬にして砕けたガラスのように弾け飛ぶ。しかし――
「やった――っ!? 違う……増えてる!?」
「くっ!?」
『ああ――』
『ギリギリ侍』
『あなたにお願いして良かった』
『本当に良かった』
カギリの周囲を光が舞う。
否――それは光ではなく、〝数百万に分裂〟したリーフィアだ。
『わかってきた』
『きっと、もうすぐでわかる』
『だからして』
『もっとして』
『もっと私に、ギリギリを教えて――!』
「ぐっ! ぐぬ――っ!?」
光が、闇が、炎が、氷が、雷撃が、疾風が。
この世に存在するあらゆる破壊がカギリを襲う。
しかもそれだけではない。
カギリはそれらの攻撃をギリギリで捌きながらも、同時に数多の精神汚染や肉体衰弱、不可視の呪縛といった恐るべき状態異常にも抵抗し続けていた。
「が――ッ! ぐあああああああッ!?」
「だ、駄目です……カギリさん……っ! こんなの……ギリギリバトルじゃないですよ……! 凄いけど……カギリさんは、本当に凄いけど……っ!」
ついにユーニが〝何か〟に気付く。
彼女は即座に自身の聖剣を掌中に召喚すると、周囲を包むリーフィアのシールドを破壊するべく叩き付けた。しかし――
「か、硬い……っ!? そんな……急がないとカギリさんが――!」
負ける。
このままではカギリは死ぬ。
何度となくカギリの戦いを見てきたユーニには、それが分かったのだ。
〝ギリギリではない〟
カギリは、リーフィアに対してギリギリバトルに持ち込めていない。
ユーニが知る中で、カギリの力は間違いなくこの時が最も強かった。
今のカギリの力は、全力のユーニを上回る強さだろう。
だが――
だがそれでも。
それでもなお、リーフィアの持つ圧倒的力には遠く及んでいない。
同じく達人の域にあるユーニには、それが手に取るように理解できた。
「もう止めて下さいっ! カギリさん、リーフィアさん! それ以上戦ったら――!」
「まだだ――! まだ終わりではないッ!」
『わかってきた』
『私にもわかってきた』
『あなたのお陰でわかってきた』
しかしカギリは刃を振るう。
分裂したリーフィアを蹴り飛ばして上下左右もない空で加速し、一振りで数百のリーフィアを破壊。嵐のような攻撃をギリギリで回避し続ける。
『ギリギリだけじゃない』
『あなたとこうしていると、私――!』
無表情だったリーフィアの顔に〝笑み〟が浮かぶ。
雪のように白かった頬に、桃色の赤みが差す。
『もっと――』
『もっと教えて――』
『私に教えて、あなたの熱を!』
「く――っ! うおおおおおおおおおおおお――ッッ!」
カギリは最後まで剣を振るい続けた。
だがその姿は、嵐の海で翻弄される無力な漂流者のように見えた。
カギリを囲む数百万のリーフィアが、同時に破滅の光輪を背負う。
それは月をもう一つの太陽のように輝かせ、目も眩む程の光を放った。
『楽しい――』
『楽しい――!』
『もっとやろう、もっとしよう。ギリギリ侍っ!』
『私と、ずっと一緒に――!』
「カギリさん――――っ!」
漆黒の空に閃光が満ちた。
ユーニの叫びが虚空に響き、カギリの姿は光の中に消えた――。