命の炎
命の炎

命の炎

 

 命は炎。

 

 灯り、燃え上がり、そして消える。

 その後に残るのは黒く(すす)けた燃えカスだけ。

 そう思っていた。

 

 俺は生まれた瞬間から強かった。

 親の顔も、人のぬくもりも知らないが、俺には拳一つあれば十分だった。

 

〝虐殺の二月〟

 

 それは最強の殺し屋組織、〝円卓〟が起こした世界規模の大虐殺だった。

 あの時、まだ子供だった俺は既に殺し屋として数え切れない命を奪っていた。

 

 そうすることに、何の疑問も抱いていなかった。

 人の生き死にに興味は無かった。

 

 どんなに激しく燃える炎も、いつかは必ず衰え消える。

 俺の命も、他人の命もそれと同じだと思っていた。

 

 彼女と――――永久(とわ)と出会うまでは。

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

「随分と派手にやったな……何も残っちゃいない」

 

 あの時。俺は〝円卓〟と〝六業会(ろくごうかい)〟という世界を二分する殺し屋組織の抗争跡に来ていた。

 抗争に参加するためじゃない。

 円卓に所属しているにも関わらず、〝円卓に不利益を及ぼす存在〟を殺すためだ。

 

 生臭い血と、焼け焦げた人肉の臭気(しゅうき)

 ほんの数時間前までは平和だったはずの大都市は、殺し屋同士の争いによって地獄のような有様になっていた。

 ふと視線を横に外せば、崩れた瓦礫の下から覗く、幼い子供の物らしき〝焼けた腕〟が見えた。その前には小さなクマのぬいぐるみ。

 その光景に、俺はくだらないとばかりに鼻を鳴らす。

 

 結果としてターゲットを殺せれば、誰が何人死のうが構わない。

 そういう殺し屋は多い。

 だが、俺は〝無駄な殺し〟が嫌いだ。

 

 まるで自分の持つ力を誇示するように行われる虐殺と破砕。

 弱い殺し屋ほどそれをしたがるが、俺には到底理解できない。

 人間なんて、殺し屋が手を下さなくても、どうせ〝いつかは死ぬ〟だろうに。

 

 そう、俺たちがやっていることに意味なんて無い。

 何もかも。命にも、殺し屋にも、使命にも。

 

 当然、俺にも。

 

 俺は瓦礫と屍の中を進んだ。

 情報が確かなら、ターゲットはこの地獄の中にいる。

 そして――――。

 

 黒煙とむせかえるような臭気の果て。

 確かにターゲットはそこにいた。

 

「……っ?」

 

 だがしかし。視界一杯に広がるその光景に、俺は言葉を失った。

 無数に折り重なった焼けた黒い屍の山。その中央に立つ一人の少女。

 深く透き通った青い髪を足下まで伸ばし、純白の法衣に身を包んだ、今すぐその前に頭を垂れ、平伏せずにはいられないような神々しさを纏った少女の姿。

 だが、俺が絶句したのはそこじゃない。

 

 少女は泣いていた。

 

 ぽろぽろと大粒の涙を流し、炭化した幼い子供の腕に手を添えていた。

 するとどうだ。全く信じられないことに、彼女に手を添えられた子供の腕が俺の目の前でみるみるうちに色を取り戻し、鼓動を、ぬくもりを――――そして失われた命までをも与えられ、俺の目の前で一人の人間として蘇って見せた。

 それは、現実とは思えない光景だった。

 

 いくら殺し屋が人外の力を持っているとはいえ、死んだ命を蘇らせるなんてのは聞いたことが無い。〝最も神に近い殺し屋〟――――俺は目の前のターゲットが持つその肩書きを思い出し、戦慄(せんりつ)した。

 

「これが……〝神の近似値(アヴァター)〟……っ」

「誰……?」

 

 思わず呟いた俺の声に、少女はびくりと小さな肩を震わせ、怯えを宿した金色の瞳を俺に向けた。

 瞬間。その瞳に射貫かれた俺の鼓動がざらついた音を立てる。

 

〝悪い、怯えさせるつもりはなかった〟

 

 本当なら、すぐさまそう言いたかった。

 だがそれは詭弁(きべん)だ。誤魔化しだ。

 

 なぜなら俺は彼女を怯えさせるどころか、彼女を〝殺しに来た〟のだから。

 眠り、安心しきった吐息を刻む〝たった今蘇った〟ばかりの少年を膝の上に抱き、少女はまっすぐに俺を見つめていた。

 

「いや、俺は…………」

「殺しますか? 私も」

「っ!?」

 

 その時。少女の涙は既に消えていた。

 なんの感情も無い。ただ俺の全てを見通すような瞳。

 その瞳に見据えられた俺は、ぴくりとも動くことが出来なかった。

 

「でも少しだけ……私を殺すのを待って貰うことは出来ますか? ここにいる皆さんに命を与えたら、殺されますから」

 

 少女は言うと、俺から興味を失ったように視線を外して無防備に背を向けた。

 だが俺は、その無防備な背に襲いかかることが出来なかった。

 俺の目の前で、少女は言葉通りその焼け野原で消えたあらゆる命を蘇らせた。

 先に俺が見た瓦礫の下敷きになっていた子供も、その子の両親も。

 殺し屋の力によって跡形も無く消し飛ばされたはずの奴らも全部。

 少女は崩れた建物以外の全てを癒やし、呼び戻した。そして――――

 

「待っていてくれて……ありがとう」

 

 全ての命を呼び戻した少女は約束通り俺の前に立ち、そう言った。

 向かい合う俺と少女の周囲では、崩壊した街で互いの無事と再会を喜ぶ人々の歓声と歓喜、そして生を噛みしめる命の炎が燃え上がっていた。

 それは、俺が感じたことも見た事も無いような命の炎だった。

 人が、命が……これほどの熱を発することを俺は知らなかった。

 

 そしてその炎の中。

 少女は笑っていた。

 その笑みは余りにも儚く、この世の何よりも美しく見えた。

 

 少女は笑みを浮かべたまま、そっとその瞳を閉じる。

 そして俺に向かって両手を広げ、殺して下さいと言わんばかりにその時を待った。

 だが――――既にその時の俺には、目の前の少女を殺すことは不可能だった。

 

 俺は〝意味〟を見つけていた。

 この世に生まれ、今まで俺が生きていたことの意味を。

 この世に命という炎が生まれ、燃え上がり、やがて消えることの意味を。

 

「……止めだ」

「え……っ?」

 

 気付けば、俺は彼女の手を取っていた。

 突然の行動に、少女は驚きと怯えを宿した瞳を俺に向ける。

 

「悪い……怯えさせるつもりはなかった。詳しい説明は後だ、他の奴らに見つかる前にここを離れる」

「どうして……? 貴方は、私を殺しに来たはずなのに……」

「……君に隠し事なんて通じないんだろ? ――――〝君に惚れた〟。頼む……俺に君を守らせてくれ……!」

 

 正直、円卓を裏切るのは自殺行為だ。

 今の俺じゃ王はともかく、その上にいる〝アレ〟には太刀打ちできない。

 逃げ切る自信も、守り切る自信も無かった。

 だがそれでも――――たとえ一分一秒の違いだったとしても、俺は彼女の時間を伸ばしたかった。彼女の笑みをもっと見ていたかった。

 そうすることが俺の命の意味だと、そう気付いていた。

 

「……俺を信じてくれとは言わない。ただ、まずは君を安全な場所に……!」

「――――です」

「え……?」

 

 少女は呟き、そっと……俺の手を握り返した。

 

「私は〝トワ〟……日本という国で使われる、永久(とこしえ)という文字を当てはめて、永久……です」

 

 永久――――そう名乗った少女は立ちすくむ俺の傍に恐る恐る身を寄せると、まだ怯えの色を瞳に宿しながらも、上目遣いに俺の顔を覗き込む。

 

 その時。火が灯った気がした。

 俺の胸の奥底。最も深い芯の部分。

 決して消えることの無い、紅蓮に燃え盛る炎が。

 

「わかった……俺は悠生(ゆうせい)、月城悠生だ。よろしくな……永久」

「はい……悠生さん……」

 

 その時握った手のぬくもりを、俺は死ぬまで忘れない。

 あの時永久が蘇らせたのは、あの街の住人だけじゃない。

 

 ただ衰え、いつか消えるだけだった俺の炎。

 永久との出会いで俺の炎は再び燃え上がり、今も燃え続けている――――。

 

 

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