「黒曜の四位冠――――」
零蝋の口から放たれたその言葉に、将軍家晴の表情が僅かに動いた。
「フフフ……流石に知っていたようだねぇ? そうさ、十年前に神代を壊滅寸前に追い込んだあの偉大なる四位冠の方々が、よりこの地で自由に活動できるようにする――――それこそ、我らの狙いでありこの襲撃の意味よッ!」
燃えさかる討鬼衆陣内。
暖かな橙色の小袖袴に身を包み、見事に整えられた髷と全てを射貫く鋭い眼光を備えた偉丈夫――――徳川家晴は、零蝋の言葉を最後まで聞き届けると、周囲をたゆたう黒煙の中、自身の愛刀を静かに掲げた。そして――――。
「――――承知した。ならば俺がこの場で成すことはただ一つ」
たった一人。三体の位冠持ちに囲まれた将軍家晴はしかし、ならばとばかりにその手に掲げた二刀の柄に手をかけると、鈍く輝く刃を敢然たる決意と共に抜き放つ。
「――――成敗ッ!」
「ハッ! 格好つけるんじゃないよッ! 将軍だかなんだか知らないが、死ねば何も残りゃあしないのさッ!」
瞬間。流麗かつ完成された所作で二刀を構えた家晴に対し、零蝋はその巨体を天へと跳ね上げて大きく距離を取った。
この戦いは一対三。そして零蝋は口でどのように言おうとも、もはや六業の遺した人を決して侮らぬという意志を曲げることはない。ならば――――!
「絶技――――転響空吹」
辺り一帯を吹き飛ばす音の波。空中に浮かぶ翼を持つ鬼、紫の小位――――雲柊から放たれた音の一撃は、圧倒的衝撃によってあたり一帯の炎を一瞬でかき消し、整えられた白洲の地面を跳ね飛ばしながら家晴へと迫る。
「清流剣――――夜鏡水月」
しかし家晴はその場から僅かに足を引くと、その左腕に持った長刀の刃をくるりと――――音も無く自身の正面で正円の軌道で振り払う。
「なんだと――――?」
常に感情を映さぬ雲柊の瞳が僅かに見開かれる。それもそのはず、家晴はその刃を静かに、身じろぎもせずに一振りしただけだ。
にも関わらず、家晴が立つ平屋方面へ放たれた極大の音の波は一瞬で霧散し、家屋は愚か、室内に残された紙片一つ動かすことはなかったのだ。
「アハハッ! お前とは一度やってみたかった! やっとこの時が来た! あたしと戦え! そして死ね――――ショウグン!」
「雲柊の音を凌ぐとはねぇ! けど、逃がしゃしないよぉッ!」
しかし鬼の攻勢はその程度で終わりはしない。雲柊の放った音の発露が躱されたことを見て取った風断は喜色満面、即座に家晴に肉薄すると、平屋の板張りの床を踏み抜くほどの力強さと素早さで斬撃の雨を降らせる。
さらには上空に舞い上がった零蝋の巨躯から、何重にも紡がれた翡翠の糸が家晴めがけて撃ち放たれる。
翡翠色の輝きを宿したそれは平屋の屋根を容易く撃ち抜き、もはや近づけば一瞬で肉片へと変えられるであろう風断と家晴の滅殺の結界外周へと着弾していく。
「童の鬼か――――」
「ハァァァァ!? 誰が――――! 誰が子供だってえええええッ!?」
風断の嵐のような剣戟を最小限の動きで捌く家晴。
その家晴がふと呟いた童という言葉に激昂した風断は、その幼い双眸を黄金に輝かせると、両手両足の関節を増やし、伸ばし――――褐色の肌の表面に硬質の外皮を浮かび上がらせて、蟷螂に似た異形へと変貌する。さらには――――。
「合わせろ風断。畳みかける」
「うるっせええええええええ! 雲柊ううううううううッッッッッ! コイツ、コイツあたしを子供扱いしやがったあああああああッッ!」
「ハハハハ! こっちの用意も完了さね! さあ――――! これで終いにするよッ!」
三体の位冠持ち。それは一見すれば各々が好きなように動いているように見えたが、その裏では完璧な連携を見せていた。
闇雲に上空から降り注いでいるように見えた零蝋の翠の糸が突如として生き物のように蠢き、家晴を囲む全方位から一斉に絡みつく。
家晴は即座にその内の半数以上を切り払うが、足下から現れた糸を防ぎきれず、それ以上の後退を封じられた。
そこに異形の蟷螂へと変貌した風断が躍りかかる。
風断は無数に枝分かれして増殖した刃を超高速で家晴めがけ振り抜き、家屋諸共、空間そのものを削り取る斬撃を正面から浴びせかけた。
それと完全に同時。上空から超加速した雲柊が家晴めがけて飛び込む。
雲柊はその瞳を閉じ、自らの発達した感覚器が捉える景色だけを頼りに、その速度を一切緩めず、零蝋の糸、風断の刃、飛び散る家屋の残骸全ての狭間を縫って家晴へと超音波の刺突を浴びせかけたのだ。
それはまさに、絶死の攻防だった。もし今この時、家晴と同様の状況に奏汰が陥っていれば、奏汰は即座に勇者の銀を発動していただろう。
勇者の青――――亜光速への加速ではこの場を捌ききれない。
この状況を切り抜けるには、たとえ七日間の昏倒に陥ったとしても、勇者の銀を使って時空間を操作し、その上で三体の鬼を同時に叩き潰すしかない。
奏汰ですら、もはやそうせざるを得ない程の確殺の布陣。だが、当代将軍徳川家晴は――――全てのもののふの頭領であるこの男は――――!
「天道回神流――――劍之終型。経津主神――――」
刹那の閃光。
足を取られ、四方を封鎖され、上空と正面。二方から迫る万を超える致命の殺刃。
どのような達人であろうとも死を覚悟するであろうこの絶命の領域で、しかしその命を散らしたのは家晴ではなく――――。
「がッ!?」
「え……あ、れ……?」
気付けば、すでに家晴はその二刀を振り払い、自身へと襲いかかったはずの二体の鬼に一瞥すらくれていなかった。
風断は自身の視界に映る家晴に斬りかかろうと、一歩でも近づこうと全身に信号を発したが、すでにその身は両断され、その上その切断面からは鬼を滅ぼす浄化の炎が燃え上がっていた。
雲柊も同様だった。自身の肉体は超音波の障壁に守られていた。それによって自らを弾丸と化し、家晴の命脈を絶つはずだった。
しかしどうだ。今この時、雲柊の意識は途絶えようとしていた。あれほどの勢いと加速を乗せた圧倒的エネルギーはその全てを何処かへと消し飛ばされ、自身は無様に空中で無数の肉片となって消滅しようとしていたのだ。
「う、雲柊!? 風断!? あんたら、一体なに――――が――――」
上空の零蝋が異変を悟る。自身が跳躍し、家晴との交戦を開始しててから今、こうして零蝋が着地しようとするまでに二十秒もかかっていない。
そして驚愕する零蝋の視線の先――――。
自らが翠の糸で穿ち抜いた家屋の大穴から、零蝋はこちらを見据える家晴の眼光を見た。その瞳に宿る、自身が全てを守り抜くとどこまでも定めた日の本の頭領の姿を見た。
「そ、そん――――な。ばか――――な――――」
そして、それがこの場で家晴と交戦した零蝋の見た最後の光景だった。
遙か上空。明らかに家晴の刃の射程圏外にいたはずの零蝋までもが、すでに微塵となるまでに切り刻まれていたのだ。
「――――眠れ。これにて手討ちとする」
家晴はそう言うと、踵を返してその場に背を向けた。
家晴の背後で、三体の位冠持ちが同時に青白い炎の中に消えた。
「真皇――――お前だけは、必ずこの俺が斬り捨てる――――っ」
その声は、誰にも聞こえるものでなかった。しかしそれは全てを焼き尽くしかねない程の――――凄絶な執念に満ちた声だった。
位冠持ち三体を滅ぼした喜びも高揚も無い。
家晴はただただ怒りと自らの責務だけを胸に、自身の助けを待つ他の者達の場へと向かった――――。