黒曜の四位冠
黒曜の四位冠

黒曜の四位冠

 

「うっ……」

「おい! しっかりろぃ(こおり)っ! くそっ! どうなってやがんでぃ!?」

 

 江戸城西門前、討鬼衆(とうきしゅう)陣地内。

 時は昼下がり。御前試合も後半に差し掛かろうという頃合いでそれは起こった。

 

「アハハハハハ! いいよ雲柊(うんしゅう)! あんたのは雑魚狩りにはもってこいさねぇ!」

「俺達小位が集えば、それだけで貴様らは終わる。今までは、ただそれをしてこなかっただけのこと」

 

 抉られた地面の合間を大勢の観客たちが逃げ惑い、その内の何人かはすでに昏倒してその場に倒れているという惨状。

 燃えさかる炎と吹き飛ばされた陣幕の前で、白洲(しらす)の上に気を失って倒れる凍を、手のひらサイズの鼠天狗――――チュウ兵衛が必死にその頬を叩いて起こそうとしていた。

 

「ハハッ! どうした? お前たちお得意の手品はそれでしまいか?」

 

 僅かに離れた場所では、果敢(かかん)にも彼ら三体の位冠持ちの鬼に立ち向かった馬廻衆(うままわりしゅう)と討鬼衆をその両の手で貫通し、血の海に沈めた風断(かざだち)が血と炎の中で禍々しく(わら)っていた。

 風断。その百二十センチあるかないかという幼い体躯の少女の周囲には、すでに事切れた旗本たちの亡骸がいくつか転がっている。

 皆、この騒乱の中で観衆たちを逃がすため奮戦した者たちだった。だが――――。

 

「クククククククククククククククククククククククククククククククククククククククククククク。これは興味深いことだまさかお前たちがこうも自在に動くとはお前たちは元々千年の長きにわたりかの四万三千六百七の世界の大魔王ラムダによって大きくその動きを制限されていたはずこれはつまりお前たちの力がここにきて急激に回復しつつあると言うことだ――――違うかな?」

「ぬ、(ぬえ)の旦那ぁ!? 今までどこほっつき歩いてたんで!?」

 

 すでに三体の位冠持ちによって傷を負い倒れた凍と、凍を助け起こそうとするチュウ兵衛の眼前。

 その全身に白と黒の模様が生き物のように(うごめ)く着物を纏い、ひょっとこの面を被った人影――――鵺が、カラカラと渇いた音をひっきりなしに発生させながら鬼の前に立ち塞がった。

 

「大変大変大変大変大変大変大変大変申し訳ない。急な腹痛に襲われ隣の大陸で便所を借り受けていたがもう終わったので気分爽快心持ち晴れやか一日一善の気分也」

「べ、便所かよっ!?」

「あん……? なんだい貴様は?」

 

 両者の間に音もなく立った鵺は喜びを表すようにその身を小刻みに震わせるると、ビシッっと背後のチュウ兵衛にその白手袋の片手を上げて挨拶した。

 

「アハッ! なーんだ、美味そうなのがまだいるじゃないかッ!」

 

 目の前に現れた鵺の姿に風断は喜色満面(きしょくまんめん)。どう猛な野獣の如き咆哮(ほうこう)を上げると、凄まじい加速で跳ねるように鵺めがけて斬りかかった。

 

「いや――――どうやらこいつは早めに始末した方が良さそうだ。零蝋(れいろう)よ、抜かることなく全員でかかる」

「ハッ! とてもそうは見えないがねぇ? だがあんたの言うことだ、異論はないよッ!」

 

 だがここで雲柊は、この眼前の存在を難敵と判断。零蝋へと目配せすると、三体の位冠持ちは風断を筆頭に一斉に鵺に襲いかかった。

 そして、そんな彼らの位置からほぼ反対側の白洲の上。江戸城の石垣を背後に見上げ、将軍家晴(いえはる)鎮座(ちんざ)していた討鬼衆の陣内の観覧席側では――――。

 

「――――さすがに一筋縄じゃいかないねぇ!?」

「くたばれ――――ッ!」

 

 裂帛(れっぱく)の気合と共に、目にもとまらぬ銀閃が(ひるがえ)る。

 当代将軍徳川家晴(とくがわいえはる)の御前。討鬼衆大番頭、四十万(しじま)の持つ黒檀(こくたん)の杖が抜き放たれ、眼前に立つ零蝋の巨体を一撃で泣き別れとする。

 地響きを立てて地面へと倒れる零蝋の肉体。しかしそれを即座に後方の雲柊が空中からの急降下で拾い上げると、なにやら禍々(まがまが)しい瘴気(しょうき)を放つ液体を流し込み、再び切断面へと接着させてしまう。

 

「アハハハ! いいねいいねいいね! やっぱりこいつらはなかなか良い! 良く練り上げてる!」

「――――困ったね。他の所にも雑魚鬼だけじゃなく、こいつらと全く同じ位冠持ちがいくらか出ているみたいだ。御前試合のおかげで、こちらも強者(つわもの)には事欠かないけど――――」

「いかが致しますか上様あああああ!? このままでは被害が拡大する一方でござる!」

 

 血と泥にまみれた白洲の上。すでに風断と刃を交える愛助(あいすけ)と、上空で激しく雲柊と火花を散らす(かなめ)がそれぞれに焦りの色を見せるる。

 まさかこれ程の大規模な襲撃があるとは思ってもみなかった幕府側の隙を突いた格好で、三体の位冠持ちは将軍家晴に刃が届きうるこの場にも現れていた。

 都合九体

 全く同じ、(すい)()()の位冠を持つ小位の鬼が、この試合会場には出現した。

 あやかし衆と戦う三体と、家晴の御前で討鬼衆第一と交戦する三体。さらに離れた詰所近くでは、陰陽連(おんみょうれん)や仏僧連の参加者と交戦する三体が確認されていた。

 

「――――四十万よ。討鬼衆を率い、各地の救援に回れ。 ――――この場は俺がやる

 

 だがその時、後方で一人僅かな沈思黙考(ちんしもくこう)を行っていた将軍家晴がその目を見開き、傍に掲げられていた自身の二刀をその手に握る。

 

「位冠持ち三体。上様一人でお相手をされると?」

「今は僅かでも時が惜しい。おそらく、此奴らは城下にも現れていよう。お前たちは動員可能な全軍を率い、各地の鎮圧に当たれ。陣頭はお前に任せる」

 

 それは、幕臣として決して行ってはならぬ判断だった。絶対に従ってはならぬはずの下知だった。命をかけて使えるべき主を敵前に置き去りにし、その場を離れるなど――――。

 

「――――御意ッ!」

 

 しかし四十万は迷わずそれに従った。それは、互いの信頼や心情を超えた刹那の疎通だった。

 位冠持ち三体を一人で相手取る。その家晴の無謀ともいえる下知に、しかし四十万は何も言わずに平伏すると、周囲で未だ刃を交える(かなめ)愛助(あいすけ)に合図を送る。

 

「おやおやおや……! まさか将軍様が死にたがりだとは思わなかったよ。さすがのあんたでも、私ら三人と一人で戦うってぇのは傲慢(ごうまん)が過ぎるんじゃないかねぇ?」

「――――其方らの狙いはなんだ? かの江戸城下襲撃から今日まで、其方らの勢いはかつてないほどに増している。なぜ今になって動く?」

「クククッ! そうさね……あんたらを絶望に叩き落すついでだ。冥土の土産にそれだけは教えてやるよッ!」

 

 燃えさかる陣内。上空からは腕組みした雲柊がゆっくりと舞い降り、側方からは今にもとびかからんとその目を爛々と輝かせた風断がその両手を打ち鳴らす。

 そして目の前には見上げるほどの巨躯を誇る蜘蛛の鬼、零蝋が――――第十二代将軍、徳川家晴の前に立ち塞がる。

 しかしこの状況においても、将軍家晴は汗一つ流さず、ただ静かに自身の刀の(つか)に手を添えていた。

 

「あんたも聞いたことくらいはあるだろう? 黒曜の四位冠――――大位すら超える、我らの中でも最強にして至高の方々をこの地にお招きする――――! それが私らの狙いさッ!」

 

 零蝋は家晴を見下ろしながらそう言うと、その赤い舌を唇の向こう側に覗かせ、狂気的な笑みに美貌(びぼう)を歪めた――――。

 

 

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