勇者は仇
勇者は仇

勇者は仇

 

 それは、まさに青天(せいてん)霹靂(へきれき)だった。

 奏汰(かなた)達が豆大福の誓いを遂げ、借り受けていた麦湯(むぎゆ)の湯飲みを屋台の店主に返却した――――その時。

 

「あれ? なんだ、あの煙――――?」

 

 奏汰はふと目を向けた北側の方角。ちょうど江戸城の石垣が見えるそのすぐ傍から、もうもうと黒煙が噴き上がるのを見た。

 奏汰だけではない。その場で祭りの賑わいを楽しんでいた多くの人々も奏汰と同じように異変に気付き、皆その黒煙を指さして何事かと顔を見合わせた。

 

「あれは、僕たち討鬼衆(とうきしゅう)の陣地――――御前試合の試合場からです!」

「そのようじゃな……もしやと思うが、試合中になにかあったのじゃろうか?」

 

 一瞬で江戸中から見える高さまで舞い上がった黒煙は、こうして見ている間にも明らかにその勢いを増していた。奏汰達はお互いに頷き合うと、すぐさま自分達も試合会場へ戻るために駆け出そうとした。しかし――――。

 

「――――どこへ行くんだい? お楽しみはこれからだっていうのに。ねぇ……?」

「っ!?」

 

 突然の声。その声に呼び止められ、奏汰達が試合会場へ向かうことは出来なかった。

 無数の人でごった返す大通りの中央。騒然(そうぜん)となる人混みの中、まるでそこだけがぽっかりと穴が開いたように開けた道の中央に、豪奢(ごうしゃ)な深紅の洋装を身に纏い、黒い西洋傘を鋭い日射しの下で差す一人の女が立っていたのだ。

 

「あんたは――――! あの時の!?」

「おやおや……覚えていてくれたとは光栄だねぇ……? そうさ、私は翠の小位――――零蝋(れいろう)。翠の大位、塵異(じんい)の妻にして――――黄の小位、六業(ろくごう)であった者――――ッ!」

 

 瞬間、まるで辺り一帯全てが闇に包まれたかのような凄絶(せいぜつ)瘴気(しょうき)が眼前に立つ深紅の洋装の女――――翠の小位、零蝋から放たれた。

 それは数々の強敵と相対してきた奏汰をして、僅かに身がすくむほどの圧倒的怒りだった。全てを、否――――奏汰に対して向けられる強烈な憎悪だった。

 

「くっ!? こやつ――――!?」

「違う……! あの時とは、全然っ!」

 

 辺り一帯を瞬間的に満たした零蝋の瘴気は奏汰や(なぎ)新九郎(しんくろう)ですら僅かに後ずさるほどの濃密さだった。

 そんな瘴気に当てられ、零蝋と奏汰達三人の周囲にいた多くの人々はそれだけでガクガクと痙攣(けいれん)し、白目を剥き、意識を失ってその場にばったりと倒れていく。

 

「会いたかった……。会いたかったよ……剣奏汰(つるぎかなた)。これほど我が身の傷が癒えるのを心待ちにしたことはない。歯噛みし、我が身を血で塗らすほどの憎悪に駆られたことはない――――ッ! まさか我が最愛の夫だけでは飽き足らず、共に歩んだ同胞(どうほう)、六業すら葬り去るとはねぇえ……ッ!?」

 

 漆黒の傘の向こう。その憎悪と怒りに震える零蝋の赤い瞳は奏汰だけを見ていた。それ以外のもの一切を映していなかった。

 つう――――と。見開かれた零蝋の、片側の瞳から鮮血の涙が零れ落ちる。

 見る者全てが即座に命を奪われかねない零蝋の致死の眼光を受けた奏汰はしかし。彼女のその瞳の奥。怒りと憎悪の向こう側に、どこまでも深い悲しみと絶望があることを即座に理解した――――。

 

「そうか――――。そうだよな。そりゃ、そうなるよな……」

 

 奏汰は言うと、僅かな間だけその瞳を閉じて天を仰いだ。

 しかしここはもはや戦場(いくさば)

 願いも祈りも逡巡(しゅんじゅん)も、奏汰は全てを一瞬で置き去りにする。

 

「なら――――俺はいつでも受けて立つッ!」

 

 その瞳を見開いた奏汰の前に突如として天から一条の光が降り注ぐ。

 光はやがてその輪郭(りんかく)を明らかにし、なんの飾り気もない、ただただ無骨なだけの傷一つ無い一振りの長剣の形となって奏汰の手の中に収まった。

 それは聖剣。

 奏汰の勇気を形とした、決して折れる事なき不壊(ふえ)の聖剣リーンリーン。かつて、世界をその手に収めた大魔王すら一度も折れることなく穿(うが)ち抜いた救済の剣――――。

 

「ここにいる皆さんにも、指一本触れさせませんよっ!」

「この場は三対一じゃが、まさか卑怯とは言うまいなっ!」

 

 そして光の中から現れた聖剣を手にした奏汰の左右。最早一切の迷いも怯えも見せずに鋭く構える新九郎と、泰然自若(たいぜんじじゃく)とした気構えを崩さぬままに、赤樫(あかがし)の棒をぶんぶんと振り回す凪が並び立った。

 

「ああ――――六業は私にこう言っていたよ。四人でやろう皆でやろうってねぇ……。そしてお前たち人間を(あなど)るなとも……確実に血祭りにあげようともねぇ! あいつの思いを継いだ私が、この場に一人で来るわけないだろうさねッ!? 今この時、貴様はここで確実に死ぬんだよ――――剣奏汰ァアアアアアアアアアアア!」

 

 零蝋の、もはや狂気すら(はら)んだ絶叫が辺りに木霊(こだま)した。

 そしてその叫びを合図として、奏汰達の背後、立ち並ぶ出店の品々を打ち砕きながら二つの影が出現する。

 それと全く同時に深紅の洋装を引き裂いて巨大な蜘蛛型の下半身を晒した零蝋と共に、それらの影は奏汰達めがけ三方から必殺の一撃を撃ち放った――――。

 

 

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