勇者、キレていた
勇者、キレていた

勇者、キレていた

 

 大きく開けた江戸城へと続く武家街の大通り。

 普段この通りで見かける町民の姿と言えば、肩に大きな(おけ)(たる)を担いで品物を売って回る売り子くらいのものだが、この日だけはその様相が一変する。

 大勢の売り子達が大通り沿いにずらりと敷物を広げて品物を並べ、武家は町人に、町人は武家に対して各々がこの日のために用意した品々を売りさばく。

 元より江戸の町は一度踏み入れば非日常となる『ハレの町』と呼ばれるほどに、連日連夜祭りに事欠かない祭りの町だった。

 梅雨が終わろうというこの季節。隅田川(すみだがわ)沿いでは隔日、もしくは連夜にわたって見事な花火が打ち上げられ、神代以外にも多数存在する各地の神社でも祭りの灯が途絶えることはない。

 鬼という恐るべき脅威が跋扈(ばっこ)するこの時代においても、江戸に住む人々は祭りを心から楽しみ、愛していた。

 しかしながら、この御前試合における祭りはそのような日常の祭りとはやや(おもむき)を異にしていた。

 道々に並ぶ品々には雑貨や日用品、耐久家財なども比較的多く見られ、手軽に五文(ごもん)十文(じゅうもん)で購入できる菓子類から、数百(もんめ)はするような高価な物まで様々だった。

 今、御前試合を無事終えた奏汰(かなた)達は討鬼衆(とうきしゅう)の陣地を抜けだし、こうして江戸城前の大通りへと繰り出していた。

 

「あ! お二人とも、あそこで豆大福売ってますよっ! 行きましょう!」

「豆大福っ!」

「のじゃー!」

 

 まだ暖かさの残る出来たての豆大福が白粉の上にずらりと並ぶ屋台。その屋台の前にやってきた新九郎(しんくろう)は、それまでのはしゃいだ様子はどこへやら。

 突如として物憂げに(まつげ)をなびかせると、屋台の店主を下から窺うように見つめ、しおらしく呟く。

 

「……あの、この豆大福を三つ頂けますか?」

「おっ!? お、おおおお……っ!?」

 

 頭に鉢巻きを巻き、威勢良く声を張り上げていた壮年の店主は新九郎のそのあまりにも美しすぎる双眸に見据えられ、言葉を失って赤面する。

 そしてカタカタと震える手で明らかに大きい豆大福を三つ。丁寧に整えられた木の皮で包むと、耳まで真っ赤にした顔を逸らしながら渡してくれた。

 

「わぁ……わざわざ大きなのを選んでくれたんですか? ありがとうございますっ」

「う、うっせぇやいっ! 持ってけ美少年っ!」

「ありがとな、おっちゃん!」

「にゃはは! ありがとうなのじゃ! お主の店にも影日向(かげひなた)の御利益があるぞ!」

 

 新九郎は店主の心遣いに感謝しつつ定められた代金を手渡すと、その場にいる者全てが息を呑むような笑みを浮かべて包みを受け取った。

 

「――――えへへ。なんだか得しちゃいましたっ」

「そういえば新九郎は美少年だったの……。普段が普段なだけに、完全に忘れておったのじゃ……」

「ははっ! 確かに新九郎は凄く綺麗な顔してるよな。俺がいた異世界で言ったら、それこそお姫様みたいな……」

「みたいではなく実際そうじゃ!」

「はわわ……あ、ありがとうございます……」

 

 奏汰と(なぎ)の双方からそう言われた新九郎は、普段ならば胸を張ってドヤドヤするところ、なぜか照れるようにして頬を染める。

 そして三人はそのまま手近に用意されていた長椅子に腰を下ろすと、買ったばかりの温かな豆大福を三人それぞれにとりわけ、もぎゅもぎゅと口にした。

 

「……そうじゃ新九郎。先の試合の最中に言った、奏汰に尋ねたい事はどうなったのじゃ? 忘れぬうちに、今ここで聞いてしまうのじゃ!」

「そういえばそうだったな。俺はいつでもいいよ。なんでも聞いてくれ!」

「あ……はい。そうですね……! もぎゅもぎゅ……!」

 

 凪からそう話を振られた新九郎は確かにと頷した。そして残っていた豆大福を手早く口に放り込むと、同じく屋台で購入していた麦湯(むぎゆ)でそれを流し込み、大きく一つ息をついて呼吸を整える。

 

「あのですね奏汰さん! 実は僕、奏汰さんに聞きたいこと、とっっっっても沢山あるんですっ! 山ほどですっ!」

「え!? そんなにあんの!?」

「なんとなんと……。これは相当溜まっておったのじゃな……」

 

 息をついた新九郎はその両手を大きく広げて自身の目の前に円を描き、奏汰への問いがどれほどあるかをその全身を使って現わしてみせた。

 

「そうなんですっ! 実は僕……以前戦った位冠持ちの鬼を倒した後に聞いた、影日向大御神(かげひなたおおみかみ)様のお話がずっと頭から離れなくて……」

「なるほどの。やはりそうじゃったか……」

「あの時の話って言うと、あれか。鬼が実は……って奴だよな。多分」

「はい……」

 

 すでに心の準備は出来ていたのか、新九郎は素早く本題に斬り込むと、横に座る奏汰とその向こうの凪に目を向ける。

 

「奏汰さんは言いました。鬼も人も救うって……悲しいことは自分が断ち切るって。でもそれって、鬼を元に戻してあげるとか、見逃してあげるってことじゃないですよね?」

「ああ! 鬼が襲ってくるなら俺は今まで通り全力で戦う!」

「なら、奏汰さんの言う救うって、断ち切るってどういうことなんでしょう……? どうして奏汰さんはそんな風に考えられるんですか……? 僕は、鬼にももしかたら昔は家族や友達がいて、好きなことをして生きてたのかなって思うと……なんだか、いたたまれなくて……」

「なるほど!? やっぱり新九郎は優しいなっ!」

 

 実に真剣な表情で、ありのままにその思いを奏汰へと伝える新九郎。

 今この時、新九郎の抱くその心情を惰弱(だじゃく)と責めることは難しい。

 先の御前試合で四十万(しじま)も言ったとおり、この時代はすでに人と人の争いが途絶えて三百年もの歳月が経とうとしている。 

 ここに至るまでの長大な人類史を紐解(ひもと)いてみたとしても、三百年の長きにわたり人と人が争わずに結束して生き抜いたという事実は非常に(まれ)な出来事だった。

 しかも今は、それこそ太古の時代のように人々が家族単位、部族単位で慎ましく暮らしていた時代でもない。

 鬼という明確な人類の脅威の存在は、新九郎のように同胞である人という認識を、その価値観の中でより強固なものにしていたのだ。

 

「俺は――――」

 

 新九郎からのその問いに、奏汰はひとしきり悩んだ。

 眉間に皺を寄せ、瞳を閉じ、腕を組んでうんうんと唸った。そして――――。

 

「――――これからも俺は皆を守る。いくら鬼が可哀想だからって、鬼が人や動物を傷つけるなら全力で倒す」

 

 奏汰は新九郎をまっすぐに見つめ、迷い無くそう言い切った。だが――――。

 

「でも……俺は鬼が人だったってこと、絶対に忘れない。むしろ、それをずっと考えて、怒って、怒って……怒りまくって! 人を鬼に変えるその真皇(しんおう)って奴を絶対に叩き潰すまで、ひたすら怒って戦ってやる……っ!」

「か、奏汰、さん……っ?」

 

 言いながら、奏汰はその双眸の中に激しい怒りの炎を即座に燃した。そして更には膝の上に置いていた自身の拳を、血が滲むほどに握り締めるまでした。

 そんな奏汰の怒りに当てられた新九郎は息をすることも出来ず、自らが怒りの対象というわけでもないのに心臓を鷲づかみにされたような目眩を覚えるほどだった。

 

「――――新九郎の言う通り、鬼はむちゃくちゃ可哀想だ。だから俺はずっと忘れない……! 忘れないし目も逸らさないっ! 可哀想な鬼を、無理矢理鬼に変えられた人を! 俺は最後まで目を逸らさないで倒すッ! そんでもって、真皇は絶対に潰すッ! それが俺の答えだ!」

 

 その言葉と同時。比喩ではなく辺り一帯の大気が震えた。

 それは決して地震や突風によるものでは無い。その身から僅かに七色の輝きを放ちながら、到底抑え切れぬ怒りに震える奏汰の感情の発露。そのものの力だった――――。

 

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