広々とした白洲の庭が広がる討鬼衆陣内。
江戸城御前試合当日。間もなく終わる梅雨は見計らったかのような見事な晴れ間を見せ、すぐ隣に建つ江戸城の壮麗な石垣や物見櫓と合わさり、実に晴れやかな試合日和の様相を呈していた。
江戸城城内へと続く側には赤と白の陣幕が張られ、その前には軽装ながらも物々しく武装した馬廻衆の姿も見える。
総勢四百人を数える討鬼衆の面々も、この日は鬼狩の任に臨む際に着る戦闘可能な正装を身につけ、城門前にずらりと並び立っていた。
そしてちょうどその反対側。
江戸城の防衛も兼ねた幾重にも連なる水路を越え、こんな時でもなければ江戸城周辺に立ち入ることを許されていない大勢の町人たちが、この日の御前試合を一目見ようと詰めかけていた。
現在の幕府は重商政策推進の一環として、かつて公には禁じられていた武家による副業を認めている。
普段は固く立派な態度を崩さない頑固な旗本達も、この日ばかりは訪れる町民相手に大手を振って稼ぐことができるのだ。
特に大きな任を与えられていない旗本やその家族たちが、この討鬼衆陣内へ進む道々に様々な露店を立て、日々の内職でこの日のために用意した品々を直接町民たちに売り込む。
そんな光景も、今日の祭りの賑やかさに華を添えていた。
「うおおおお!? お祭りだああああ! 日本のお祭りだよっ! 懐かしいっ!」
「にゃはは。そうじゃったな、奏汰はこのような祭りも久方ぶりなのじゃった。御前試合の私らの出番はまだまだ先じゃろうし、その間は奏汰も祭りを楽しむと良いのじゃ!」
『そっか……奏汰さんは天宝よりもずっと後の時代からやってきたんですもんね。でも、ということは奏汰さんが住んでいた時代にも、ずっと変わらずこういうお祭りって開かれていたんですか?』
「ああ! 俺の家は母さんが忙しかったから、そんなに連れて行って貰ったことはないんだけど……それでもやっぱりお祭りって言ったらこんな感じだよなっ! ――――ってのはいいんだけど、その……新九郎……お前それどうしたんだっ!?」
目の前に広がるザ・日本という趣の祭りの光景に、懐かしさと興奮で目を輝かせる奏汰。凪の言う通り、奏汰にとってはこのような光景も数年ぶりであり、その胸にもまた様々な思いが去来していた。
――――のだが、奏汰は困惑した表情で後ろを振り向くと、そこに立つ穴の開いた木桶を頭からかぶり、さらにその上からすっぽりと熊のものらしき黒い毛皮を貼り付けた大層暑そうな藍色小袖袴姿の謎の人物に声をかけた。
『ええっ? なにがですか? もしかして、この天才美少年剣士である僕のあまりの美しさに驚きましたか?(フフンッ)』
「いや……顔見えないけど」
「のじゃ」
その木桶熊の怪人――――新九郎は、丸くくりぬかれた二つの桶の穴から覗く瞳をくりくりとさせながらドヤドヤしく胸を張る。しかし――――。
『っていうかくっさ! くっさ! この熊の皮とっても臭いですううう! ごふっ! ごふぉ! うえええええっ!?』
「じゃあ脱げよっ!? っていうかなんで新九郎はそんなの被って来てるんだよ!? どう考えたってまともに戦えないだろそれっ!?」
『しーっ! 駄目ですよっ! そんな大きな声で僕の名前を呼ばないで下さい! 御前試合の参加票にも、僕のところには妖怪木桶熊って書いたんですから! 僕が超絶美少年剣士の新九郎であることは、ここだけの秘密――――』
「――――ほぉぉぉう? どっからか、聞き慣れたキンキン声が聞こえてくると思ったが」
『あひゃ!?』
だがその時、妖怪木桶熊の頭部ががっしと何者かの強靱な手によって鷲づかみにされる。
見ればそこには、その両目を赤く発光させ、ぼさぼさの黒髪をバチバチと逆立てた長身の男、討鬼衆大番頭――――四十万弦楽が怒りに燃えて立っていた。
「あ、えーっと? しじまさん……。そう、四十万さんだ! こんにちは!」
「ほむ、良い日和じゃな四十万よ。今日は宜しく頼むぞ!」
『あ、あああっ!? あー……! ごほんうほんっ……な、何用ですかなお侍様……? 儂は見ての通り妖怪木桶熊と申す者で……あ、あの……それ以上やられると、わ、儂の……僕の頭が割れちゃう……っ』
「臭くて困ってたんダルォオオオオ? 今楽にしてやるよゴラァ!」
「ぴええええええっ!? お、お、お助けえええええええっ! 奏汰さああああんっ! あああああああっ!」
瞬間、ミシミシという音と共に妖怪木桶熊の頭部を構成していた木桶が木っ端微塵に吹き飛ぶ。
そしてその下に隠れていた新九郎の可憐な顔が露わになるも、四十万は容赦なくその小さな緑髪の頭ごと鷲づかみにし、そのままさらし首のようにして白目を剥いた新九郎を片手で持ち上げて連れ去ってしまった――――。
それから暫くして――――試合開始よりも前に無事五体満足で戻ってきた新九郎。
しかしがっくりとうなだれた新九郎の細い首からは『私は一月もの間、討鬼衆の公務をサボっていた大馬鹿侍です』と書かれた木札がぶら下がっていたのであった――――。