炎に包まれるあやかし通り。
しかしその火の手は散発的で、町の全てを燃やし尽くすほどではない。
あやかし通りに住む様々な妖術を操るあやかし達が、自分達の持つ力を使い、炎の勢いを抑えているからだ。
そして、その炎の赤い光に照らされ、浮かび上がる異形の鬼と、その鬼と死闘を演じる――――やはりこちらも異形のあやかし達。
黒い翼をはためかせた天狗衆が、強烈な風雨を操り上空を埋め尽くす鬼達を巻き上げ、撃墜していく。
かと思えば、地上ではその風雨の恵みを受けた泥の化身――――泥田坊が、水と泥を吸って力を増した自身の拳で地上の鬼を叩き潰していく。
今、襲撃を受けているのは江戸の中でもこのあやかし通りだけだった。
しかしたとえ幾らかの炎を起こそうと、大量の雑魚鬼による襲撃を受けようと、彼らあやかしの力ならば容易くそれらを鎮圧できる。
炎など、雑魚鬼など。あやかしにとってはなんの脅威にもならない。
鬼と戦う力を持つあやかしですら恐れるもの。それは――――。
「――――フム。随分と明るくなってきた。小生は陰気を最も忌み嫌う。特に暗闇は駄目だ。もっと明るくしなくては。 ――――君もそう思わんかね?」
「いえいえ。どうやらやはりあなた方とは気が合わないようで。私は生憎と闇が好きなのですよ。せっかくの夜の闇を、このように明るくされてはたまりませんねぇ……?」
あやかし通りの最奥。いまだ火の手には晒されていないあやかし御殿の正面に立つ一人の男。
男は黒と白に中央で色分けされたの洋装に身を包み、同じく渡来の品であろう帽子の下からやや皺のある細い顔を覗かせるている。
男の周囲には無残に引き裂かれ、血まみれとなった天狗や他のあやかし達の亡骸が無造作に転がっていた。
男は白い手袋をはめた手で胸元から金色に輝く懐中時計を取りだすと、悠々と文字盤を眺めた。
そして、その男と御殿の前で対峙するのは黒と金の着物に身を包み、飄々とした様子で立つ銀髪の女性――――玉藻。
玉藻はあやかし通りで最も古く、もっとも強い力を持つ大妖怪である。本来であれば位冠持ちの鬼とも互角以上に戦うだけの力を持っている。しかし――――。
「うえーーん! 先生ぇ!」
「びえええ! おっとー! おっかあー!」
「あらあら、皆さん泣かないでくださいね。大丈夫……先生が必ずあなた達を守ってあげますから」
「そのような弱者を後ろに、この翠の大位――――塵異と一戦交えようとはなかなかに滑稽」
玉藻の背後、あやかし御殿の入り口前には、大勢の幼いあやかし達が集められていた。
二百年という長い年月の中、あやかし通りが鬼の襲撃を受けたのは一度や二度ではない。鬼による襲撃があれば、即座に戦えないあやかし達はあやかし御殿に集める手はずになっていた。
「笑って頂けたなら結構です。しかしおかしいですねぇ? 今夜は一体どこからどのようにしてここへいらしたので? この私としたことが、ここまでされるまで一切気配を感じませんでしたよ」
その背に大勢の子供たちを庇いながらも、玉藻は柔らかい物腰を崩さぬまま、着物の袖で口元を隠しながら目の前の男――――塵異に向かって目を細める。
「小生にも与えられた仕事がある。その遂行に万全を期すべく、予めこの小さな町に君たちの感覚を阻害する処置を施した。先日の襲撃はそのためのもの」
「なんとまあ……まさか素直に教えて頂けるとは思いませんでしたよ」
「なぜ易々と教えたかわかるかね?」
塵異はそう言って一つ息をつくと、自身の顎から伸びるつややかな髭をさするように撫でる。
「今回は全てを根絶やしにするまでやるということだ。今こうして種を明かしたとして、それを知る者がここから生きて時を進めることはない」
「おやおや、まあまあ。それは奇遇ですねぇ……実はそれ、私もそうしようと思っていたんですよ。初めて気が合いましたねぇ……?」
「フム……」
その美しいかんばせを歪め、並の人間ならば睨まれただけで即死するほどの妖気を塵異に放つ玉藻。
しかし塵異はそれすらも全く意に介さず、僅かに首を傾げると、まるで散策でもするかのような落ち着いた様子であやかし御殿へと一歩を進めた。
「……強がりは止めたまえ。その背後の足手まとい共がいては君は全力を出すことができない。 ――――しかしなぜそこまで執着するのだね? 君ほどの力ある存在ならば、このように群れず、単独で行動していれば我ら位を冠する者と戦うこともなく、安全に暮らせるのではないかな?」
「はっ! これは舐められたものですねぇ!?」
瞬間、玉藻の妖気が一気に膨れあがり、その後方に九本の尾のような巨大な影が浮かび上がる。その尾は玉藻の背で震える子供たちや力ないあやかしを守るように大きく広がると、威嚇するように鮮血の炎を吹き上がらせた。
「なぜ? 私が楽しいからに決まっているでしょう! そしてこの子達を守るのもそうです。童は闇と同じ――――一寸先は何も見えない。定まらない存在です。そんな素晴らしい私の楽しみを傷つけるというのなら――――この場で貴様を八つ裂きにし、喰ろうてくれようぞッ!」
「フム、ならばやってみるかね」
しかしその凄まじい妖気を前にしても塵異は止まらない。つかつかと優雅な足取りで歩みを進め、後一歩で玉藻との完全な交戦距離に入る。だが、その時だった。
「今じゃ奏汰! 神式、万象一切成就祓――――!」
「うおおおおおおお! ひっさああああつ! 稲妻勇者キイイイイイイイイック!」
「ぬっ!?」
闇と炎を共に切り裂き、天から一直線に落下する閃光。
それは凪をその背中に貼り付けて落下してきた奏汰だった。
あまりの速度と摩擦熱によってプラズマの火花を散らし、さらにその威力の上に凪の持つ神代の力を上乗せされたそれは、そのまま塵異の頭部からその直下の地面までを完全に貫通。陥没させ、眩いばかりの閃光と衝撃を辺り一帯に発生させた。
「待たせたの! 無事じゃったか玉藻!」
「超勇者奏汰、見参! 後は俺に任せろ!」
「……いやはや、これはなんともかんともご無体なことで。その方、多分色々と格好のつく台詞とか技とか、お考えになってやって来てたと思いますよ?」
奏汰の背中から首元にしっかりと手を回して抱きつき、赤樫の棒を片手に粉塵の中から笑みを浮かべる凪と、片膝を地面についた謎のポーズで着地する奏汰。
そして突然のことに呆気にとられつつも、玉藻は何もせずに潰れた塵異に若干の哀れみの言葉をかける。
今の奏汰の跳び蹴りには神代の力が込められていた。
いかに位冠持ちとはいえ、直撃すれば再生は不可能――――。
「――――フム。君が煉凶と五玉を敗走させたという異界人か。実のところ、小生も一度この目で見てみたいと思っていたところ」
「なんじゃとっ!?」
その声は爆炎の向こう側から届いた。
炎の先からゆらめくようにして現れたのは、その服に傷一つ、ほこり一つついていない塵異の姿だった。
「今のでこれか……! こいつも強いな……!」
「改めて名乗らせて頂く。小生の名は塵異――――翠の大位を冠する者」
塵異は流麗な所作でうやうやしく頭を下げると、その翡翠色の瞳を淡く輝かせて嗤った。