勇者の見る夢
勇者の見る夢

勇者の見る夢

 

「カナタっ……お願いだから、もう止めて……っ! 止めてよぉ……っ」

 

 雷鳴轟(らいめいとどろ)黒雲(こくうん)の下。

 禍々(まがまが)しい威容(いよう)を誇る巨大な城の尖塔(せんとう)から天を見上げ、赤と白の法衣(ほうい)に身を包んだ青い髪の少女が大粒の涙を(こぼ)しながら叫んだ。

 

「勇者などと! 惰弱(だじゃく)な女神にそそのかされ、分不相応(ぶんふそうおう)な力を与えられただけの子供が、この我に(かな)うわけがあるまいッ!」

「まだだっ!」

 

 少女が見上げる先。紫色(しいろ)稲光(いなびかり)が渦を巻く天上で、十歳と少しほどの歳に見えるまだ幼い少年――――カナタが放つ青い閃光が、鋭角(えいかく)な軌道で縦横無尽(じゅうおうむじん)に空を駆ける。

 しかし恐るべきはそれを受ける相手だ。カナタが対峙する長身痩躯(ちょうしんそうく)の黄金の甲冑を(まと)った騎士は、カナタが放つ勇者の青に追従(ついじゅう)していた。いや、それだけではなくその速度、継続時間ともに勇者の青を上回っていた

 物理法則を完全に無視した直角の軌道を取りながら、雷雲の中で何度となく交わる青と金の閃光。使用限界である一秒をとっくに超えて勇者の青を連続使用するカナタの小さな体が赤熱(せきねつ)し、骨と筋がきしむような嫌な音が体の内側から響いた。

 

「負けない――――! 俺は家に帰るっ! 絶対に……絶対に母さんの所に戻るんだあああああああああっ!」

「青臭いガキがッ! ならば喜ぶが良い……我が光速剣で、貴様を母の元に送ってくれるッ!」

 

 瞬間。黄金の騎士の速度がついに亜光速を超え、完全な光速へと到達する。

 すでに限界を迎え、その力と反応速度を遙かに超える一撃を受けたカナタの勇者の青が、騎士の放った黄金の刃によって霧散(むさん)

 最後まで聖剣を握り締めていたカナタの右腕が呆気(あっけ)なく斬り飛ばされ、漆黒(しっこく)の空の下を壊れたおもちゃのように、音もなくくるくると回り落下していく――――。

 

「くッ……そぉおおおおおぉぉぉ――――っ!」

「我らが偉大なる大魔王様に歯向かう者に容赦はしない。それがたとえ、貴様のような子供であってもだ!」

「カナタ……っ!?」

 

 稲光(いなびかり)を背に、静かに刃を(さや)に収める黄金の騎士。

 中空でゆっくりと背を向けて去って行くその騎士の姿を見上げながら、力及ばず片腕を失い、敗れ去ったカナタは為す術もなくその意識を手放した――――。

 

 ――――――――

 ――――

 ――

 

「うわあ……っ!?」

 

 奏汰(かなた)が叫びと共に飛び起きると、周囲は薄暗い板張りの部屋だった。

 大きく息を乱し、全身からびっしょりと汗をかいた奏汰は闇の中、左手を右の肩に回してさすり、自分の右腕がそこに存在していることを確かめる。

 

「もう、ずっと前のことなのに……」

 

 奏汰は一人(つぶや)くと、貸し与えられた浴衣の(そで)(ひたい)の汗をぬぐった――――。

 ずっとこうだった。

 異世界に跳ばされたのは奏汰が十歳の時。それ以降、奏汰が戦わずに済んだ日など(ほとん)ど記憶になかった。

 腕を失ったことなど数え切れない。心の臓を刺し貫かれたことも何度もある。

 両目を潰され、盲目(もうもく)となったまま戦い抜いた時期もあった。

 

「まあ、その内忘れるか……」

 

 奏汰はそう言って、再び寝心地の良い布団の中に潜り込む。

 奏汰自身は楽観視していたが、奏汰が戦いの日々で心身に負った傷は深い。

 あまりにも過酷な日々を長く過ごし続けてしまった奏汰は、自分がどれほど異常な生活を続けてきたかを理解していなかった。考えを巡らせたこともなかった。

 (なぎ)危惧(きぐ)していた通り、このままではやがてその傷は遠くないうちに決壊(けっかい)を迎える。本来であれば、奏汰はそれに気付かなければならなかった。しかし――――。

 

「フフ……(つるぎ)様は、とても楽しい夢と記憶をお持ちなんですね――――」

「えっ?」

 

 不意にすぐ隣から発せられた熱っぽい声に、驚いた奏汰はきょろきょろと周囲を見回した。

 するとどうだろう。それと同時に完全に消えていたはずの行灯(あんどん)にゆらりと橙色(とうしょく)の火が(とも)り、闇の中に白い人影を浮かび上がらせる。

 

玉藻(たまも)です、剣様。夜分遅くに失礼しますよ。剣様があまりにも楽しそうでしたので、私も貴方の夢にご一緒させて頂いていたのですよ」

 

 闇の中に立つ白い人影――――まるで全ての不純物を取り除いたかのような白く(つや)のある肌に、なだらかに丸みを帯びた女性らしい肢体(したい)。そしてそれを薄く覆う(なめ)らかな着衣。さらにはその上を流れる、闇の中ですら(きら)めくように輝く銀色の髪と赤く光る二つの瞳――――。

 まるで、自分がまだ夢から覚めていないようにすら感じる妖しく不可思議な玉藻の立ち姿に、奏汰は(わず)かに警戒の構えを取った。

 

「俺の夢を一緒にって……?」

「ええ……とても素敵な夢でしたよ」

 

 玉藻はそう言うと、音もなく、室内の気も乱さずに陽炎(かげろう)のような所作で奏汰のすぐ傍まで部屋の中を歩み寄る。

 そしてしなだれかかるようにして奏汰のすぐ隣に腰を下ろすと、その身をそっとすり寄せた。

 

「そのように身構えずとも、剣様のような素敵で楽しい方を害したりはしません。私はただ、剣様ともっとお近づきになりたいだけ……貴方が暮らしていた異国の景色を、私にも見させて欲しいのです……」

 

 玉藻は言って、その硝子細工(がらすざいく)のような繊細(せんさい)で透き通った指先を奏汰のはだけた胸元に滑り込ませる

 奏汰はそんな玉藻の様子に怪訝(けげん)そうな目を向け、(わず)かに身をよじって距離を取った。

 

「それは別にいいけど……なんでこんなに俺にくっついてるんだ?」

「フフフ……つれないお方ですねぇ? その方が楽しいことになるからに決まっているじゃないですか。ほらほら、そう照れ照れせず、このまま私と一緒に楽しい夢を――――」

「――――ほむ。それは残念じゃな。その楽しい夢とやらはお主一人で見るが良いぞ――――黄泉(よみ)の国でのっ!」

「あ、やば――――」

 

 その晩、凄まじい閃光と共に、どこからか天まで届きそうな狐の鳴き声が夜のあやかし通りに響いた。

 

 

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