勇者の風呂
勇者の風呂

勇者の風呂

 

「これはっ!? ――――お風呂だっ!」

 

 ぬらり(おう)との面会から半日ほど後。

 あやかし通りで(しば)しの間滞在することになった奏汰(かなた)は、間もなく夕暮れ時となる頃合いに、支度(したく)を終えた薬湯(やくとう)へと案内された。

 薄暗い赤い光に照らされた板張りの脱衣所で服を脱ぎ、渡された(おけ)木綿(もめん)の手ぬぐいを持って進んだ先。そこにはそれはそれは立派な湯船が用意され、その内側にはなにやら緑色のとろりとした湯がなみなみとたたえられていた。

 奏汰が七年間滞在(たいざい)した異世界に入浴の習慣はなかった。

 火山地帯の街や、王族の一部にそのような趣向を持つ人々が(わず)かに存在した程度で、殆どの者は川や湖での水浴びで体を清めていた。

 つまり、奏汰にとってたった今目にしている湯船は正に七年ぶりの光景だったのだ。そのあまりにも日本的な作りと懐かしさすら覚える浴場に、奏汰は興奮気味に自身の体に湯をかけると、そのまま何も考えずに湯の中へと飛び込んだ。

 

「うおおおおぉぉぉ…………ふう…………ぶくぶくぶく…………」

 

 熱く感じたのも一瞬。実に適度な湯の温度と、どこか深い森の中を思わせる落ち着いた香り。そして体どころか心にまで染み入るようなとろみを帯びた薬湯(やくとう)の肌触りが、奏汰の意識を夢の果てへと連れ去りにかかる。しかし――――。

 

「――――奏汰よ、湯加減はどうかの?」

「っ!?」

 

 突如(とつじょ)として脱衣所から(なぎ)の声が響いた。

 湯船のある浴場と、たった今凪の声が聞こえた脱衣所はたった一枚の木の板で仕切られているだけだ。そんな間近から突然かけられた凪の声に、夢見心地(ゆめみごこち)になっていた奏汰の意識は一瞬で現実に引き戻される。

 

「凪!? なんでここに!?」

「なんで? 私も入るからじゃぞ」

「ぬおおおおおおお!?」

 

 押しとどめることも、逃走することも出来なかった。

 驚愕(きょうがく)の声を上げた奏汰が何かしらの行動を起こす前に、自分用の桶を小脇(こわき)に抱えた裸の凪が、何の躊躇(ちゅうちょ)もなしにとことこと浴場に入ってきたのだ。

 

「なに、奏汰にはまだまだ聞きたいことや話したいことが山ほどあるのじゃ。丁度良いと思って――――って、なぜ背を向けておるのじゃ?」

「あ、いや! その……この時代だとそれが普通なのか?」

「ほむほむ?」

「だからその……男と女が一緒にお風呂に入るのが……」

 

 奏汰は最後に残されたせめてもの抵抗として凪に背を向けると、なんとか彼女の起伏(きふく)の少ない白雪のような裸体が視界に入らないようにした。

 しかし凪はそんな奏汰の気持ちも全く意に介さず、不思議そうに首を(かし)げると、遠慮なく奏汰の浸かる湯の中にその身を委ねてくる。

 

「さてのう、私は普段風呂屋を使わんのでよくわからんっ! 奏汰はどうなのじゃ?」

「お……俺のいた異世界とかでは、男と女は別々だった。お風呂じゃなくて、水浴びとか、そういうのだけど……」

「ほっほう? いちいち別にせんといかんとは。面倒じゃの?」

 

 赤面し、背後に感じる凪の気配にガチガチに緊張する奏汰。

 当初は奏汰の様子も気にせず湯の心地よさを楽しんでいた凪だったが、そもそも彼女は奏汰と話すためにこうして同じ湯に浸かりに来たのだ。

 

「むむむ……つまらんのじゃ……!」

 

 にも関わらず黙りこくって一言も喋らず、自分の方を向こうともしない奏汰に、凪はやがてむむむと頬を膨らませると、不満げな様子で奏汰の背後へと忍び寄っていく。そして――――。

 

「おい奏汰よ、戦い通しで疲れておるのじゃろ? 私がもんでやろうか?」

「ふぁっ!? い、いきなり何言って……!?」

「ほれほれ、遠慮するでない! せっかくの湯じゃ!」

「ぐわーーーーっ!?」

 

 瞬間、奏汰の緊張しきった上腕(じょうわん)から手首にかけて、湯に濡れた凪の(なめ)らかで瑞々(みずみず)しい肌が触れた。奏汰は突然密着してきた凪を無理矢理ふりほどくわけにもいかず、奇声を上げただけで()すがままとなってしまう。

 

「……まったく、何を気にしておるのか知らんがの。そう固くしていてはせっかくの湯治(とうじ)が台無しじゃぞ。休むときは休む。思うに、お主はいつも力みすぎなのじゃ」

「はわ……」

「奏汰はもっと自分の体を大事にするのじゃ。せっかく親から貰った立派な体じゃろう……」

 

 だが、緊張と警戒はそこまでだった。

 凪はその小さな手で(いつく)しむように奏汰の肩から腕全体に薬湯(やくとう)をかけると、緊張をほぐすように何度も撫でさすった。

 それは、決してなにかしらの力が込められたものでもなく、正真正銘(しょうしんしょうめい)ただ柔らかで暖かい凪の手のひらに触れられているだけだった。

 しかしその穏やかな感触は、奏汰の心そのものにえもいわれぬ心地よさをもたらした。自分自身でも全く予想していなかったその心持ちに、奏汰はいまだに頬を赤らめつつも抗うことが出来なかった。

 

「ありがとう……なんか、ごめん……」

「何を謝っておるのじゃ? まったく、おかしな奴じゃのう!」

 

 奏汰はまだ背を向けたままだったが、当初のような緊張はすでにどこかに消えていた。そして、今この時も直に奏汰の体に触れている凪にもそれは伝わった。

 

「奏汰は皆を守るゆうしゃなのじゃろ? 皆を守るにはの、まずは自分がちゃんと休んでおかないとの。いざという時動けんのじゃ」

「うん……わかった」

「わかれば良いのじゃ!」

 

 すっかり大人しくなってされるがままの奏汰の様子に凪はにっこりと笑みを浮かべると、そのまま飽きるまで湯に浸かり、奏汰の体をよしよしと撫で続けるのであった――――。 

 

 

 

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