勇者、拾われる
勇者、拾われる

勇者、拾われる

 

「ほむ……なんとまあ、よくやったものじゃの……」

 

 明るくなり始めた空の下。

 辺りに充満する様々な物が焼けた臭いの中で、すすで汚れた巫女装束を纏った少女――なぎが、眉をひそめて戦慄せんりつの吐息をついた。

 凪の目の前には、焼け焦げた家屋の残骸よりもうずたかく積み上げられた鬼たちの死骸の山があった。
 下級の鬼であれば破壊されると同時に爆発四散するが、より強力な鬼はそうではない。倒された後もその場に死骸が残り、一昼夜かけてゆっくりと消滅する。つまり――――。

 

「この鬼共はただの雑魚鬼ではない……それを、たった一人で。しかもこれだけの数を討ち果たしたというのか。お主は……」

「すやー……すぴー……」

 

 驚きに見開かれた凪の見つめる先。
 そこには、無数の化け物の山を背にしてのんきに眠りこける奏汰かなたの姿があった。

 凪は奏汰を起こさないように気を使いながら歩み寄ると、両足を抱えて奏汰の前にかがみ込む。そしてまだ自分とさほど歳も変わらないように見える少年の、すすと鬼の返り血にまみれた穏やかな寝顔を見つめた。

 

「たしか奏汰とか言っておったか……。こことは別の世界から来たとかいう先の話も、あながち戯言たわごとというわけでもなさそうじゃの……」

 

 しばしの間そのまま奏汰の寝顔を見つめていた凪は、不意に思い出したように奏汰の手を取ると。そのとても少年とは思えない程に固く、ひび割れた手のひらを握った。

 

危ういな……こやつ、もうとっくに折れる寸前ではないか……」

 

 凪の表情が痛々しげに歪む。

 もはや、誰かと手を握ることすら覚束おぼつかないまでに傷ついた奏汰の手。その傷だらけの手の平は、目の前の少年が今までどんな日々を送ってきたのかをはっきりと物語っていた――――。

 

「ここが日の本じゃと知った時は、まるでわらべのように喜んでおったのに……」

 

 奏汰のその姿に酷な物を感じた凪は、思わず自分の手をそっと奏汰の頬に添えた。
 そしてそれと同時。凪の脳裏に、鬼との戦いの最中に言葉を交わした奏汰の姿が浮かぶ。

 

『それじゃあ、ここは日本なんだな!? よかった……! 俺はやっと帰って来れたんだ……っ!』

『江戸!? 江戸って何だ!? 東京じゃないのか!?』

 

 それは、この場所が日本だと分かった時の心からの喜びの笑み。
 そして、ここが江戸の町であると知った時に浮かんだ、深い絶望の表情。

 

「泣いておったな……」

 

 今の凪には、奏汰の喜びの意味も、絶望の意味も、どちらについても知るすべがなかった。だが、それでも彼が昨晩のうちにその期待を打ち砕かれ、絶望の淵に沈んだのだということは手に取るように理解出来た。

 そして、そんな状態でありながらも、この少年が町の人々を守るために奮戦してくれたということも――――。

 

「――――ちょいと失礼しますよ、姫様。昨夜もお手柄でしたねぇ」

 

 その時である。奏汰を見つめる凪の背後に、音もなく一人の女性が現れた。

 

玉藻たまもか。あやかし共は皆無事かの?」

「ええ。昨夜の鬼はそれなりに上位の者共でしたが、位冠持ちはおりませんでしたので。私も皆も、この通りピンピンしておりますとも」

 

 黒と金の糸が織り交ぜられた見事な着物に、流れるような銀色の髪が一纏めにされている。病的な程に白い肌の上、妖艶ようえんさを感じさせる目元と唇には鮮血を思わせる紅が塗られていた。

 

「実はですね……妖通あやかしどおりに現れた鬼もまとめて退治していったのですよ。その子

「なんじゃと……!?」

「呆れるような強さでしたねぇ……。情けない話ですが、うちらとしては正直助かりまして」

 

 玉藻と呼ばれた女性は流れるような所作で凪の隣にやってくると、その肩口から覗き込むようにして奏汰の寝顔をじろじろと観察する。

 

「この子、姫様の同業で?」

「違うわいっ! 私にも、こやつのことはよくわからんのじゃ」

 

 ひとしきり眺めて満足したのか、玉藻は背筋を正して僅かに伸びをすると、辺りをきょろきょろと見回して周囲の様子を伺い始める。

 

「この子、一旦うちらで預かりましょうか? 私も随分と長く生きてきましたが、このような人間に会ったのは初めてで興味があるのですよ。それに、お奉行ぶぎょうの耳に入ればまた面倒では?」

「ほむ……そうじゃな……」

 

 なにか思うところでもあるのか、玉藻のその言葉に凪は眉間にしわを寄せて逡巡しゅんじゅんする。そして――――。

 

「いや……こやつの身柄は神代かみしろが預かる。お主らのところに奉行ぶぎょう共が来たら、適当に誤魔化しておいてくれ」

「なんとまあ。その子を神代の元に留め置くと?」

 

 決めたとばかりに赤樫あかがしの棒を抱え直して立ち上がった凪は、すぐさまその小さな体からは想像もつかないような力で奏汰を軽々と持ち上げると、ひょいと背負ってよしよしと頷く。

 

「こやつ、どうにもこうにも放っておけん。一度うちの神様に引き合わせてみようと思っての」

影日向かげひなた様にですか? それは確かに良いお考えかもですねぇ」

「じゃろじゃろ? というわけで、また何か分かったら茶でも飲みに行くのでな」

 

 凪は赤樫あかがしの棒を支えにして眠りこける奏汰の態勢を整えると、そのままぴょんぴょこと跳ねるようにして瓦礫の山の上を進み去って行く。

 

「いつでもどうぞ。姫様なら他のあやかしたちも大歓迎ですよ。どうかお気をつけなさって」

「うむ、主もな」

 

 二人は互いに礼儀正しく頭を下げると、別れを告げてその場を後にする。
 凪の背におぶわれた奏汰は未だに目覚める気配もなく、すやすやと眠り続けていた――――。

 

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