闇を抜けた狂王
闇を抜けた狂王

闇を抜けた狂王

 

「やっぱりルードさんは凄いですっ!」

 

 澄み渡った青空の下。
 恒例となった巡回中の二人の対話の最中、ついにその思いを吐露したロエンドールに、ハルエンスは嘘偽りのない尊敬を込めてそう言った。

 

「俺が、凄い……?」

「そうですよっ! 今まで誰も憎んだことがなかったなんて、とんでもないことじゃないですか!」

「しかし……俺は憎しみを愛していた……そう思っていたのだ。お前や他の者達は憎しみを悪しきように言うが、俺はそうは思っていなかった……。誰よりも憎しみを理解しているつもりで、なにも分かっていなかった自分が……そしてそんな有様でありながら多くの命を手にかけた自分の愚かさが腹立たしく、許せないのだ……!」

 

 ロエンドールはそう言って、握り締めた自身の拳から血が滲むほどに力を込めた。

 当然、ロエンドールは自身が歪んでいることも、自身の悪逆非道の行いも共に自覚していた。
 しかし彼がそれを自身の中で正当化できたのは、自分が憎しみに対して真摯に向き合っているという自負があったからこそだった。
 ロエンドールの中で構築されていた自身の正当性が跡形もなく崩れ去った今、彼は今まで自らが手にかけた多くの命に対しても顔向けできなくなってしまったのだ。

 

「――――それでも、俺はやっぱりルードさんは凄いと思います。俺じゃうまく言えないけど……えーっと……なんていうか、ルードさんがとっても一生懸命頑張ってるのは、俺でもわかりますよ! 頑張ってない人はそんなことで悩んだり、苦しんだりしないと思いますっ!」

「一生……懸命」

 

 ハルエンスはかつてないほどに頭をフル回転させ、なんとか気の利いたことを口にしようと考えたが、結局その口から出たのは実に曖昧な、ある意味彼らしい言葉だった。

 だが、ロエンドールはハルエンスが発したその言葉に、何かを気付かされたように目を見開き、呆然と立ち尽くしていた。

 

「あの、すみません……なんか俺、うまく言葉にできなくて……」

「いや……ありがとう」

 

 ロエンドールは呟くようにして、しかしはっきりとハルエンスに伝えた。

 

「俺は……今ようやく気付いた……目を閉ざしていたのは俺の方だったのだ。この世界には、お前のように懸命に、正直に生きる者達で溢れている。彼らに目を向けず、ただ怯えるばかりで震えていたのは、俺の方だった……」

「そ、そんな! 俺なんて、すぐにビビって適当な嘘をついちゃったりすることだってるし、逃げ出すことだって――――」

「そうだハルエンス……それで良かったのだ。自らの日々を懸命に生きる者達にとっては、嘘とてその懸命さゆえに出ることがあって当たり前だ。俺が真に見るべきは嘘か真かではなく、その者の心の有り様だった……」

 

 ロエンドールの瞳に、みるみるうちに見違えるような輝きが宿っていく。

 彼はハルエンスのその不器用ながらまっすぐな言葉の中に、今まで自分が斬り捨てきたもの――――決して見ないようにしてきたものがあることに気付いた。それは――――。

 

「たとえ俺の周囲に俺と向き合う者が誰一人おらずとも、俺に救いを求め、俺を信じてくれていた民は――――決してそのような輩ばかりではなかった――――」

 

 そう。それは彼を信じて英雄と称え、剣王と呼び慕っていた無数の民――――。

 少なくとも彼らは、ロエンドールが強大な魔物を討ち果たして凱旋したとき、心の底からの歓喜と感謝をロエンドールに送っていた。
 
 しかし、心を閉ざし、憎しみのみを追い求めていたロエンドールには、その思いが届いていなかった。
 あれほど熱く純粋な思いを受けていながら、それを斬り捨てていた。

 ハルエンスの言葉で、ロエンドールはついにその事実に気付くことができたのだ。

 

「る、ルードさん……っ!?」

 

 目の前で漲るような活力を取り戻していくロエンドールのあまりの生命力に、ハルエンスは思わず言葉を失った。

 燃えるような赤い髪は陽光の下で美しく輝き、その青い瞳はどこまでも深く先を見通しているようだった。
 ハルエンスは知るよしもないが、それは狂王時代のロエンドールでも見せたことのないほどの輝き。
 
 長い長い闇を抜け、ついに真の王へと続く道に辿り着いたロエンドールの姿だった。

 

「礼を言うハルエンス……俺は、お前のおかげで贖罪の機会を得た。元より大罪を犯した俺に何かを選ぶ自由はないが……これからの俺は、せめて与えられた役目を懸命に果たそう。お前のようにな――――」

「す、凄いです……っ! これが、本当のルードさん……ロエンドール様なんですね!」

 

 その神々しいばかりの立ち姿に、ただ羨望の眼差しを向けることしかできないハルエンス。
 ロエンドールはそんなハルエンスにしっかりと頷くと、彼自身も最後にそうしたのはいつだったか覚えていないような、険の取れた柔らかい笑みを浮かべた。

 だが、その時である。

 

「ハルエンス! ルード! 緊急召集だ! ここから東の街から火の手が上がっている!」

「わかった。行こう、ハルエンス」

「はい! ルードさんっ!」

 

 二人が心を通わせ、大きな一歩を踏み出したのと同時。切羽詰まった様子の騎士が草原の先から大声で呼びかけた。

 その様子から即座にただならぬものを感じ取ったロエンドールは、もはや全ての迷いをうち捨てた若々しい瞳で、その騎士の元に向かうのであった――――。

 

 

 

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