――――楽しい日々は瞬く間に過ぎた。
結局、既に好感度が上限突破している黒姫がヴァーサスとの楽しい同棲生活に耐えられるわけもなく、天空神ヴァルナとの戦いを終えたヴァーサスを前に、黒姫はその想いの丈を早々にヴァーサスへと伝えた。
歴史改変だとかそんなものはもう考えない。ヴァーサスと一つ屋根の下で一晩二晩耐えられただけでも黒姫は本当に良くやったと言えるだろう。未来の自分が好きにしろと言ったのだから、もう好きにしてやるの精神である。
「ごめんなさい…………っ。突然こんなこと言われても、わけがわからないと思うんですけど…………私、ずっと前からあなたのことを知ってたんです……っ! ずっと、ずっとあなたのことが好きだったんです……っ」
「ずっと前から俺のことを……? リドル……君はいったい……」
黒姫がリドルから聞いたヴァーサスとの馴れ初めでは、リドルがヴァーサスへの好意をはっきりと自覚したのは万祖ラカルムの来訪時だったという。そしてその後も様々な事件や騒動を二人で乗り越え、絆を深めていったと――――。
当初は黒姫もリドルからの伝聞を元に、なるべくそれっぽく行動しようと努力していたのだが、まあそんなことが出来たのはせいぜい二日か三日だった。
天空神ヴァルナとはヴァーサスだけでなく黒姫も共に戦った。この世界での黒姫は未だ門と融合しておらず、座標転移の力しか使うことが出来なかったが、それでも十分ヴァーサスの役に立つことが出来た。
結果として、ヴァーサスと黒姫は天空神ヴァルナを完封。無傷で互いの健闘を称え合ううちに黒姫の我慢が限界に達し、想いを口に出してしまった。しかしヴァーサスは――――。
「うむ…………正直なところ、俺にはまだ恋や愛という気持ちはよくわからない」
黒姫からの告白を受けたヴァーサスは目を閉じ、実に真剣な表情で、一つ一つ言葉を選ぶようにして口を開く。
「だが、リドルのような素晴らしい女性からそう言って貰えるのは、本心からとても嬉しく思う――――ありがとう」
「ヴァーサス……っ」
やはりヴァーサスはヴァーサスだった。恐らく必死に考え抜いた結果として発せられたその正直な言葉に、黒姫は思わず涙を零した。
「うむむ………今はこのような返答しか出来ないのだが……すまない、何分こういった状況に不慣れなのだ……もう少し気の利いたことの一つでも言えれば良いのだが……」
「いいえ……とっても伝わりました……ありがとうございます、ヴァーサス……っ」
そう言って涙ぐみながらも心からの笑みを浮かべる黒姫に、ヴァーサスは思わず息をすることも忘れ、見惚れるのであった――――。
● ● ●
そうなるともう黒姫は止まらなかった。もはやスタート地点となった光景の因果からはどんどんと外れ、万祖ラカルムが訪れる頃には――――。
『――――そしてリドル。貴方が本当に求めているものは…………どうやらもう充分わかっているようですね?』
「はいっ! お任せ下さいラカルムさんっ! もう絶対に! ぜーったいに、離しませんっ! 私にとって一番大切なのはヴァーサスと二人で過ごすこの何気ない毎日ですっ!」
『素晴らしい、百点満点です。ですが、それはそれとしてヴァーサスはまだまだ弱いので試練は与えます』
「ぐわーーーーっ!?」
そして狂戦士バダムとの戦いの際には――――。
「――――見てるんです」
「なにをだ?」
「勿論! あなたの活躍をっ!」
「ぬわーーーーっ!?」
本来であればここでクレスト少年に声をかけられ、二人の逢瀬は未遂に終わる筈。しかし黒姫はそんな隙など一切与えず、凄まじい勢いでヴァーサスに覆い被さった。そしてその光景を見た哀れなクレスト少年は脱兎の如く逃げ出した。展開が早すぎる。
さすがに、ミズハが弟子として家を訪れるようになってからは黒姫の無茶も多少は減った。しかしその頃には、すでに二人は完全に仲睦まじい恋人同士となっていた。
それは、あまりにも楽しく幸せな日々――――。
そしてそんな日々を送るうち、黒姫にもおぼろげながらわかり始めていく。未来の黒姫が黒姫を終わらせると言っていた意味を。
黒姫が見た未来の自分の力は想像を絶するものだった。恐らく彼女がそう願えば、彼女が願った通りの新しい宇宙を創造することすら容易いことだろう。しかし、それならばなぜ未来の黒姫はすぐに自分専用のこのような可能性の宇宙を作らず、二百年後まで待っていたのだろうか。
黒姫はそんな疑問を抱きながらも、未来の黒姫がお試しと言っていたその日々を全身全霊で謳歌した。この幸せな日々を自身の記憶に、心に刻みつけるように――――。
そして――――ついにその日は訪れる。
「うん、とってもいいです! ヴァーサスもすっかりお花の手入れが板につきましたね。ふふっ」
「そうだな! 初めの頃はリドルに教えて貰いながら手探りでやっていたが、こうして心を込めて育てた花々が、美しく咲き誇っている姿を見るのはとても満足感がある! 教えてくれてありがとう、リドル!」
「こちらこそですよ。さ、そろそろお昼ですし、休憩にしましょうか」
黒姫とヴァーサスが共に暮らし始めて一ヶ月と少し。門番皇帝ドレスとの決戦も問題なくクリアし、この頃にはもはやどこからどう見ても二人は恋人――――というか夫婦だった。
黒姫が考えていた通り、リドルとヴァーサスの人としての相性は多少の齟齬ではビクともしなかった。ただ仲が深まるのが早くなっただけである。
しかし黒姫にはわかっていた。
恐らく、この日がお試し期間の終わりであることを。
なぜなら、この日こそが――――。
『……美しいな。門の周囲がこれほど美しい世界は初めてだ』
――――その声が黒姫の耳に届いたその瞬間。黒姫のいる世界はそれ以上先に進むことを拒むようにして停止した。
その声の方向を見ることも、隣に立っていた最愛のヴァーサスの顔を見る暇もなかった。やはり、お試し期間はここまでだったのだ。
『――――どうでした? 少しは元気が出ましたか?』
代わりに黒姫の耳に飛び込んでくる、先ほどの声と似ているようで全く違う穏やかな声――――。
黒姫は闇の中、心の内に沸き上がる先ほどまでの世界への後ろ髪を引かれるような思いを、そっと抱きしめるようにして胸に手を当てる。そして深く深く息をつき、ゆっくりと――――決意を宿した表情で顔を上げた。
「はい……とっても素敵な体験でしたよ。あなたは、あの世界で一生を終えるつもりなんですね」
『ふふっ……まあ、そうです。きっとあの世界で過ごした私は、白姫と同じ選択をするでしょうからね』
顔を上げた先、そこには闇の中で僅かに光を纏う自分自身がいた。目の前の自分は穏やかな笑みを浮かべると、言葉を続ける。
『――――白姫が一生を終えるとき、私は彼女からとても大切なものを受け取りました。「ずっと待たせてごめん……ありがとう」って……白姫は最後まで、私のことを考えていてくれましたよ…………』
「白姫が……私に大切なものを……?」
『ええ……白姫がそうしてくれたおかげで、少し時間はかかりましたけど私もようやくリドルに戻れます。 ――――まあ、今まで千年以上一人だったので、二百年もそれほど長いとは思いませんでしたよ。白姫とヴァーサスのお子さん達は皆さんとっても可愛らしくて最高でしたっ!』
目の前の自分はそう言うと、自らの背後に二つの門を出現させる。そしてそれと同時、二つの門が起こす共鳴現象はあたり一帯の領域を大きく震わせた。
もしもこの力が黒姫への加害に使われていれば、為す術もなく破壊されていたであろうほどの圧倒的力。まさか、二つの門と融合した者の力がこれほどまでに高まるとは――――それは、黒姫ですら想像したことのない現象だった。
「まさか、今のあなたは……白姫の門も……!?」
『そうです――――白姫が人としての生を終えたとき、私は彼女と融合していた門を受け継ぎました。ただ、二つの門の力を制御するのはかなり大変でして。こうして自由自在に扱えるようになるのに、二百年もかかってしまったというわけです』
「だからあんな過去の可能性の分岐も――――しかもそれまでの歴史的因果まで含めて生み出せたんですね……」
黒姫は言いながら、目の前に展開された二つの門を見つめた。この二つの門のうちいずれか片方は、これから先の未来で白姫が黒姫のことを想い託したもの――――。
黒姫はその事実に、自分自身だけでなく、白姫もまた深く黒姫のことを想っていてくれたのだと改めて感じた。
『他にも色々必要なんですよ。たとえば、あなたと意識を入れ替えたのも過去の白姫のエントロピーを貰うためでしたし。あ、ちゃんとそのときに事情はお話してきたのでご安心ですよ!』
「そうだったんですか!? 私の体で勝手にそんなことを!?」
『それにですね。さっきあなたが体験したお試し版と違って、完全にあの世界の住人として生きていく場合はもう二度とこの世界には帰れません。実質、この世界における私という存在はあの世界に跳んだ瞬間に消えるんです――――』
言って、目の前の自分はその笑みに僅かな寂しさの色を宿した。闇の中、彼女の視線が一点に注がれ、その先の闇が晴れていく。
そして晴れた闇の先には、黒姫のために慣れた手つきで一生懸命料理を作る、ルクス少年の姿が浮かび上がるのだった――――。