少年に促され、小さなテントから外へと出た黒姫。
黒姫がそこで見たものは、天を衝くような巨大な台形状の山々が転々とそびえ立ち、雲一つ無い青空の下に鬱蒼と茂るジャングルだった。
見れば、四方を囲む山はそのどれもが頂上部分が台座のようになっており、その台座部分から止めどなく大量の水流が滝となって落下している。空を覆う青空の遙か向こうには、うっすらと見慣れない巨大天体が浮かんでいるのも見える。
落下する滝の周囲には鮮やかな虹がかかり、極彩色の鳥たちが群れを成して飛翔する。うっすらと霞がかった遠くではその山よりも大きな巨大生物が闊歩しているのも見えた。端的に言ってこの場所は――――。
「ど、どこですかここはーーーーっ!?」
「うひゃあ! いきなりどうしたんですか!?」
その極まった原色風景に驚きの声を上げる黒姫。黒姫のその声にさらに驚いたのか、前をてくてくと歩いていた少年と、周囲の木々に隠れていた謎生物たちが飛び跳ねて転んだ。
「どーしたもこーしたもないですよ! ここはどこですか!? なんで私はこんなところに!? ――――あ、そうです! これは夢、夢でした! そういえばさっき寝てましたからね! いやはや……この私としたことが少々取り乱してしまいましたよ」
「夢?」
不思議そうな表情で黒姫を見上げる少年を前に、一人うんうんと頷く黒姫。よく見なくても目の前の小さなヴァーサス似の少年は相当に可愛かったが、今はひとまずそういう場合ではない。次元の破壊者たる黒姫は、すでにこういった夢から目覚める術も熟知していた。
「では小さなヴァーサス君、短い間でしたが楽しかったですよ。私はこれにて!」
「え? どこかに行っちゃうんですか――――?」
「う……っ」
その大きな赤い瞳に僅かな不安を宿し、困ったような顔で自分を見上げる少年に黒姫は僅かにたじろいだ。見れば見るほどになぜかヴァーサスの面影があるにも関わらず、とても利発そうな少年である。夢とは言え、こんな健気な少年をこのような訳のわからない世界に一人にするのは――――。
――――しかしこれは夢。夢なのだ。黒姫は心を鬼にすると、集中して自身の領域を展開する。通常、夢という脳内世界では領域を展開することは難しい。複雑な意志のプロセスを経る必要がある領域展開は、おぼろげな意識では制御できないのだ。故に、夢の中で領域展開を試みれば確実に夢から覚めることができた。しかし――――。
「あれ? なんか普通に領域出せるんですけど?」
「わあ! すごいです、黒姫さん!」
「おかしいですね? ほい! ほいほいっ!」
領域展開程度では数々の死闘を経てパワーアップした自分には負荷が少なかったかと考え、遙か彼方に見える巨大生物や超巨大天体を軽率に消したり出したりしてみる黒姫。しかしそれらも問題なく行え、しかも夢から覚める気配は全くなかった。どういうことだってばよ。
「も、もしや……これは夢ではないのでは――――?」
「やっぱり黒姫さんはすごいです! 僕も早く黒姫さんみたいなことが出来るようになりたいなー!」
「どうなってるんでしょう…………あの、大変申し訳ないのですが、もし良かったら貴方のお名前と、この場所がどこなのかを教えて頂きたいのですが…………」
事ここに至り、どうもおかしいと感じ始めた黒姫。
たった今気づいたが、自分が現在身に纏っている服も普段の邪悪なトゲトゲ世紀末ドレスではないし、その上なんと髪がもの凄く伸びていた。驚くべきことに腰まである。普段のショートカットからここまで髪を伸ばすのは、相当に時間がかかる。
「僕の名前ですか? いいですけど、これもなにかの修行なんでしょうか?」
「修行? いえいえ、私は普通にお聞きしているだけで……」
黒姫の質問に、不思議そうな顔で首を傾げる少年。見れば、どうも少年が着ている服も妙だ。いくつもの平行世界を行き来した彼女ですら目にしたことのないセンスをしている――――。
「僕の名前はルクス・パーペチュアルカレンダー、十二歳です。この場所がどこかは僕にもわかりません! 一昨日、黒姫さんに『修行だー!』って言われて、一緒にフライトシップに乗ってやって来たばかりなので――――」
「ふむふむ、ルクス君……パーペチュアルカレンダー君……?」
なるほどなるほどと腕を組み、頷く黒姫。しかしルクス少年のその言葉に、黒姫もまた首を傾げて再度尋ねる。
「あのですね……つかぬことをお聞きしますが、ルクス君のご親族にヴァーサスさんとかリドルさんとかっていらっしゃいます?」
「え? えーっと、そうですね。ちょっと待って下さい」
ルクス少年は言うと、自身の手をかざして目の前に配信石をもっと高精細にしたような映像を表示すると、その映像に指を滑らせ何事かを確認する。そして――――。
「あ、はい! たしかに僕の五代前のご先祖様がリドルさんとヴァーサスさんです。というか、このお二人の代でもの凄くパーペチュアルカレンダー家は繁栄したって聞いてるので、僕もちゃんと覚えてます! 黒姫さんからも何度かお話を聞きました!」
「なんですとーーーーっ!? 予想以上に遠かった! いや、近いんですけど遠いですよ! ちょっとそれ見せて下さい!」
ルクス少年の返答に慌てて映像を覗き込む黒姫。五世代前ともなれば大体百五十年は時間が経っている。見れば、そこには確かに詳細な家系図が――――。
「っていうかこれ、白姫とヴァーサスあの後結局七人も子供作ってるじゃないですか…………どっかの小人軍団と互角ですよ!?」
流石に五世代ともなるとその樹形図は相当な広がりを持っていたが、その広がりは完全にリドルとヴァーサスの二人から大きく広がっていた。というか、その家系図自体ほぼその二人からスタートしていると言っても良かった。
「凄く仲睦まじいご家族だったって黒姫さんから聞きましたよ? しかもこのときリドル様が始めた宅配業が元で、今こうして僕たちも安心して暮らせてますし!」
そう言うとルクス少年は空中にもう一つ画面を展開し、そこになにやら巨大な街一つを覆うドーム状の建築物を映し出す。その巨大ドームの周囲には黒姫がかつて暮らしていた街とよく似た高層ビルが建ち並び、そのどれにも『PC.logistics.inc』と描かれていた。
「えーっと……これは?」
「ええ!? 本当にどうしちゃったんですか黒姫さん! 僕たちの家じゃないですか!」
「――――ほ、ほう?」
「もうすぐ隣の銀河にも新しい家が出来るみたいですけど、僕は友達もいるし引っ越しとかしたくないんですよね……でもでも、黒姫さんみたいに自由に転移できるようになればどこにでも行けるので! 僕も修行頑張ります!」
「な、なんなんですかこれは……どうしてこんなことに……? 白姫とヴァーサスのいる世界より先の未来には行けないはずなのに――――」
ニコニコと笑みを浮かべるルクス少年の前で頭を抱える黒姫。
かつて過去へと跳んだ際にリドルへと打ち明けたことだが、黒姫達がいる狭間の世界には、リドルとヴァーサスが存在する世界以上に先の時間へと進んだ宇宙は存在していないのだ。
もしかするとかつては存在したのかもしれないが、少なくとも黒姫が門と融合し、狭間の世界を自由に行き来できるようになってからは確実に存在していない。
黒姫はその不自然さに何者かの意志を感じ、いつ平和なヴァーサス達の世界にも破滅の意志が迫るのかと常に警戒し続けていた。
しかし、もし今目の前に広がるこの光景が夢ではなく、なんらかの形で見ている未来であるのならば――――。
「(これは……私の体はあの夜のままで固定されてますね。私の意識だけが未来に跳んでいる……そしてその原因は、恐らくこちらの黒姫に――――)」
黒姫が意識を集中させると、確かに時空を跳躍した際に感じる正確な時間軸との繋がりを感じることが出来た。黒姫自身が未来へ跳んだ経験がないために気づかなかったが、どうもこの時間軸の黒姫と入れ替わるようにしてこの時代へとやってきているようだ。
つまり、この突然の時間跳躍の元凶は黒姫自身――――?
「黒姫さん、そろそろ朝食にしませんか? 今日のお魚、とっても上手く焼けたと思うんです!」
「あ、そうですね! お待たせしてすみませんでした、私も頂きますよ」
「――――はい!」
あまりにも考えることが多すぎて混乱する黒姫に、伺うように尋ねるルクス少年。黒姫はその声で先ほどからずっとルクスを待たせていたことに思い至ると、柔らかい笑みを浮かべて同意した。
そしてそんな黒姫の笑みに、ルクス少年はその柔らかそうな頬を染めて大きく明るい返事をするのであった――――。