そこにもいた門番
そこにもいた門番

そこにもいた門番

 

 雨上がりのナーリッジ中央通り。

 街でも最も大きな診療所のドアを開け、リドルと黒姫がなにやら神妙な表情――――といっていいのかよくわからない、微妙な表情で外へと出てくる。

 リドルはうむむと首を傾げながら、黒姫は腕を組み、目を閉じたまま何も言わずに大通りを歩いて行く――――。

 

「――――しばらくの間、宅配の仕事は私がやります」

 

 しばしの沈黙の後、黒姫が大きなため息と共にそう呟いた。

 当初、その表情は複雑だったが、すぐにやれやれというような笑みを浮かべ、横で並ぶリドルへと暖かい眼差しを向けた。

 

「いいんですか?」

「だってそうでしょう? ヴァーサスは門番として働いてますけど、雇用主は白姫なんですから。白姫が働けなかったら誰がお金を稼ぐんですか? というか、そう考えるとヴァーサスってヒモ門番ってことになるんですかね? ふふっ」

「でも私が思うに、相談すればヴァーサスはきっと門番をお休みしてどこかで働いてくれますよ。正直、私の旦那様は単純な肉体労働でも私の宅配業より稼ぐ可能性あると思ってます。はい」

「まあまあ、そう言わずに。今は私という頼れるお姉さんが居るわけですから、一杯甘えてくれちゃっていいんですよ。大事な時期ですから、夫婦でゆっくり過ごして下さい」

「黒姫さん……」

 

 そう言って微笑む黒姫の表情はどこまでも優しかった。

 リドルは黒姫のその言葉に僅かに瞳を潤ませ、『ありがとうございます』と、感謝を述べた。

 

「――――いやはや、しかしまさかこんなに早くこのような事態になるとは思いませんでした。やれば出来るというのは本当だったんですねぇ!」

 

 リドルはそう言うと、診療所から渡された小さな羊皮紙の切れ端を鞄から取り出して確認する。そこには赤いインクで『ご懐妊おめでとうございます』と書かれていた。

 そう、なんとリドルは妊娠していたのだ。当然相手はヴァーサスである。

 領域の力や門の力が安定しないのも、体調が微妙に優れないのも全てそのせいだった。リドルはその文字に照れるように顔を赤くすると、いやはやいやはやと呟いて何度も頷いた。

 

「……そりゃあ、あんだけやってればそうですよ。隣に住んでる私の身にもなって下さい」

「ひえええ……! ぷ、プライバシー! プライバシーの侵害ですよそれは! プライバシーの侵害は犯罪! 臭い飯が待ってます!」

「うっさいですね! あんな狭い家に二人で住んでるからそういうことになるんですよ! どう考えても抑える気ゼロじゃないですか!」

「はてさて……そもそも私とヴァーサスは夫婦なんですから抑える必要ないですよね?」

「ぐぬぬ! 開き直りましたね!? そうやって調子にのってると私とかミズハさんとかに足元掬われますよ! ちゃんと二人で仲良くしてないとです!」

 

 やいやいと言い合いながらも、仲良く歩調を合わせて歩くリドルと黒姫。服装は全く違うものの、顔立ちが全く同じ二人は何も知らない他人から見ても仲の良い双子の姉妹に見えたことだろう。

 軽口を言いながらも、黒姫は普段より歩く速度を抑えていた。診療所のヒーラーからも言われたが、妊娠初期はまだ母体が安定しておらず、些細なことでも流産となることが多いのだという。しばらくの間、無理は厳禁であった。

 

「この話をヴァーサスが聞いたらきっと凄く驚くでしょうね。彼がどんな反応をするのか、考えるとなぜか私まで緊張してきますよ」

「たはは……あのヴァーサスがお父さんですもんね……あのヴァーサスが……」

 

 そう言って口元に手を当てる黒姫を見ながら、リドルは感慨深げにヴァーサスとの今までの日々を思い出す。彼女が初めてヴァーサスを見た姿は、広場の噴水横にうなだれ、がっくりと肩を落とす大きな背中だった。

 ヴァーサスとも話したことがあるが、最初の認識ではどこかの戦場から落ち延びた傭兵か、パーティーを追放された冒険者かと思ったものだ。

 ――――その時は、まさか数秒後に自分がその男に声をかけ、恋に落ち、夫婦となって子を成すなど、少しも考えていなかった――――。

 

「――――きっと、大喜びしてくれますよ。いつも通りの、大きな声で――――」

「――――そうですね」

 

 リドルは穏やかに微笑むと、そっと、自身の腹部へと手を当てた。その笑みは、すでに母性を感じさせる慈愛の笑みだった。

 

「じゃあ、そろそろ大通りも抜けますしちゃちゃっと跳んじゃいましょうか。私が跳ばしますから、白姫は…………――――っ!?」

「――――黒姫さん? どうしました?」

「これ――――……ヴァーサスが戦ってます…………しかも、この相手――――っ」

 

 黒姫の顔が青ざめる。

 それはヴァーサスが戦っていることに対してではない。問題はヴァーサスがたった今対峙している相手の領域が、黒姫の覚えのある力を発していたことだ。

 困惑と驚愕に立ちすくむ黒姫を前に、しかしリドルは何も感じることができない。妊娠による影響なのか、今のリドルは力を使えるときと使えないときの差が明確で、力を行使できない時期には一般人と同様の身体能力しか持っていなかった。

 

「どういうことですか黒姫さん!? ベルは鳴ってないのに……!?」

「違う……こいつの狙いは門じゃない……ヴァーサスを……っ」

 

 しかしそこまで言って、黒姫は息を呑んだ。果たして今のリドルに対し、ことさら衝撃を与えるような内容を話して良いものだろうか。精神的ショックもまた母体には大きな負担となるとヒーラーは説明していた。

 ならば、このまま安易にリドルを連れて門へと戻るのも――――。

 だが、黒姫が逡巡したそのタイミングで、今度はナーリッジの郊外で無数の閃光が奔った。その衝撃は辺り一帯を大きく揺らし、大通りを歩いていた人々からざわめきと悲鳴が起こった。

 

「こ、今度はなんですか!? 黒姫さん、申し訳ないのですが今の私は力が使えなくて……なにが起こっているのか教えて頂けませんか!?」

「白姫……っ」

 

 黒姫はすぐに領域を展開して状況を把握した。

 これはミズハだ。ナーリッジの郊外でミズハが戦っている。それも、相当に強力な相手と――――。

 遠隔からその状況をレーダーのように確認した黒姫の目には、大人と子供以上の力の開きがある相手と対峙するミズハの領域が見えていた。

 恐らく、このまま戦えばミズハは負ける。殺される。

 そしてこの状況ではリドルをこの場に置いていくことも出来ない。ミズハとヴァーサスが同時に戦闘となっているのだ。間違いなく偶然ではない。

 何かが動いている。何か、自分達の把握していないなんらかの意志が――――。

 

「――――門の適合者たちよ……ミズハの元には私が赴こう。君たちはヴァーサスの元に向かうのだ」

「この声――――創造神レゴス?」

 

 瞬間、黒姫の脳裏に荘厳な音が響いた。それはこの世界に残った最後の上位神、創造の神レゴス。

 

「恐らく、私では僅かな時間を稼ぐ程度にしかなるまいが――――しかしミズハはこの命を賭けて守ろう。そしてヴァーサスは今やこの次元の守護を担う最後の砦だ。ここで彼を失うわけにはいくまい」

「レゴス…………わかりました。ミズハさんのこと、お願いします」

「うむ……今夜もミズハの配信がある。潰されてはかなわんのでな……ボハハ」

 

 黒姫とレゴスは意識の中で互いに頷き合うと、それぞれの責務を果たすべく、決意を固める。黒姫はそのまま目の前のリドルに視線を戻すと、不安げな表情を向けるリドルの手を握り締め、励ますようにその肩を抱いた。

 

「――――白姫、なにがあろうと貴方は私が守ります。この世界のどこよりも、私の隣の方が安全ですから。だから、貴方も私を信じて下さい。いいですね?」

「黒姫さん……わかりました。私も覚悟決めてやりますよっ!」

「では、ヴァーサスのところに!」

 

 リドルと黒姫。二人は互いの赤い瞳を見つめながら、次の瞬間にはその場から消えた。ヴァーサスの身に何かが起こっている。黒姫は勿論、今は力を使うことの出来ないリドルもまた、この異常事態をはっきりと感じ取っていた。そして――――。

 

 ――――光を抜ける。景色が開け、見慣れた門が二人の視界に飛び込んでくる。

 ヴァーサスは――――居た。門の前に立っている。傷ついてはいるが無事だ。

 そしてヴァーサスのすぐ目の前、片膝を突き、自らの肩口から光の粒子を拡散させて苦しげに悶える一人の男――――。

 男が身につけていた灰褐色のローブは戦いの衝撃で破損し、隠れていた素顔が露わになっていた。だが――――。

 

「ヴァーサスっ!?」

「大丈夫ですかヴァーサスっ!? そいつは――っ!」

『ク……クックック……まさか、因果結晶オールフェイトでも押し負けるとはな…………ッ』

 

 傷を負いながらも、自らの足でしっかりと大地に立つヴァーサス。彼の蒼い眼光は未だ鋭く、油断無くその槍の穂先を眼前の相手に向けていた。そう、眼前の相手に――――。

 

『認めよう……お前はもはや、俺の想像すら遙かに超えた化け物だ。だが、これが門の持つ意志の導いた因果だというのなら、俺も決してお前には屈しない。覚えておくことだ――――!』

「うむ……! 貴様の話はどれもこれも難しくてよくわからん! ――――しかし不思議だ。貴様とは今日が初対面だというのに、なにやら他人の気がしないぞ!? 俺とどこかで会ったことがないだろうか?」

「ちょっ…………これ、なんなんですか……?」

「うそ…………ですよね…………」 

 

 男が立ち上がる。ふらつき、自らの存在を無残に希薄化させながらも、その蒼い眼光を目の前のヴァーサスへと向けて――――。

 

「――――そんな、こんなことって――――」

 

 呟くリドル。

 リドルの赤い瞳には、彼女の良く知るヴァーサスともう一人、傷ついたローブの下から顔を覗かせる、もう一人のヴァーサスの姿が映っていた。

 

 反転者リバーサーのローブから現れた男の素顔。

 それは、まさしくヴァーサスそのものであったのだ――――。

 

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