エレストラ神聖領域――――。
大陸の北に位置するその場所は、命の女神エアを崇めるアナムジア聖教の聖地とされている。
険峻な山脈地帯に存在するこの聖地には、一年通して大勢の巡礼者が訪れる。長期間滞在する人々も多く、いつしかその地域は北方でも屈指の安定と栄華を誇る国家的集合体へと変化していった。
彼らがその聖地の中心としている物。
それは、女神エアの住む天上神殿へと続く長大な階段迷宮である。
この迷宮には多数の強力な魔物――――神を守る存在のため公には守護者と呼ばれる者共が住んでおり、その力はたとえ門番といえどもそう易々と突破できる物ではなかった。
七年前の門番戦争時。聖域は当初伝統と格式を重んじる皇国連合軍を支援したが、当時一兵卒に過ぎなかった門番皇帝ドレス・ゲートキーパーが迷宮を突破して女神エアの元まで単身辿り着いたことで、一転してデイガロス帝国を中心とした帝国同盟軍の支援へと回った。
現在はデイガロス帝国と強固な同盟関係にあり、さらには門番ランク3、フローレン・ダストベリーを初めとした強力な門番を多数抱えていることから、大陸でも有力な勢力の一つとなっている――――。
「ねえねえ。久しぶりに二人で出かけるんだから、もっと楽しそうな顔して欲しいんだけど?」
「チッ……どうせ荷物持ちじゃねーかよ……めんどくせぇ……」
「あー! そんなこと言っていいのかなー? また私が一人になってる間に、変態ストーカーに狙われたりしたらどうするの? 守ってくれないの?」
「わーってる! 守るに決まってんだろうが! お前が一人で息抜きしたいっつーから放っといたら船に乗って海の上だと!? 今思い出しても目眩がするぜ……!」
「でしょー? 私を守る門番はクラウスしかいないんだから、ちゃんと隣で見張っておかないと。ね?」
「クソめんどくせぇ!」
エレストラ神聖領域の中央に位置する大聖堂内部。
荘厳な造りの広い通路をなにやら言い合いながらも進む二人。
一方は緑色の長い髪を二つに纏め、白いシャツと黒いスカートに太ももの半ばまで覆うロングタイツと純白のケープを身につけた可憐な女性――――聖域の聖女にして歌姫、門番ランク4、メルト・ハートストーン。
そしてもう一方は、まるで剥き出しの獣性そのままのような狂暴な相貌の紫髪の青年。薄汚れた軽鎧を雑に身につけ、背中には身の丈ほどもある巨大な大剣を抜き身のまま背負う。門番ランク最下位、クラウス・ヘルズガルドである。
二人は軽口とも言い合いとも取れる会話を交わしながらも、とても親密さを感じさせる距離感で通路を歩いて行く。
特にメルトは普段あまり見せることのないリラックスした笑みを浮かべ、横を歩くヘルズガルドにずっと話しかけていた。口調も砕けたものになり、聖女や歌姫といった肩書きがなければ、どこにでもいる普通の娘に見えたことだろう。
「でも本当に素敵だったなぁ……ヴァーサスさんとリドルさん……! 私もあんな風になりたーい! クラウスもそう思うでしょ?」
「知るか! 見てねぇ! めんどくせぇ!」
「なら今度一緒に遊びに行こうよ! 私たちも同じ門番同士なわけだし、親交を深めにとか言って!」
「行かねえよ……ってか行けるほどお前が暇じゃねぇだろうよ。クソが、どいつもこいつも助けて助けてって、他人に救って貰うことしか考えやがらねえ……!」
ヘルズガルドはそう言って毒づくと、忌々しげに眉間に皺を寄せた。
――――メルトとヘルズガルド。二人は同じ神聖領域周辺の難民街で育った幼なじみだ。エレストラ神聖領域はその教義から、貧しいもの、持たざるものに対しての積極的な施しを行っている。
それらの施しを目当てに、聖域周辺には大陸各地から様々な事情を持った恵まれぬ人々が集まってくる。二人はそうして集まった人々の中で生まれた。
やがてメルトがその歌の力を見出されて聖域へ赴いた後、ヘルズガルドは想像を絶する研鑽を積み、メルト専属の護衛門番として名を連ねるようになる。彼が門番ランク最下位なのも、ヘルズガルドがメルト以外を守ることに興味を示さないからだ。本来のヘルズガルドの実力は、上位門番にすら匹敵する。
「でもクラウスって、いっつも門番試験は落ちないようにギリギリのラインで合格してくるよね? それって私の傍にいたいからでしょ? 門番じゃなくなったら、また離ればなれになっちゃうもんね?」
「また一から受け直すのがめんどくせぇからだよ……ケッ!」
「ふふっ。そっかそっか」
歩きながら顔を背けるヘルズガルドに、柔らかい笑みを浮かべるメルト。
その様子はどこからどうみても長年連れ添った恋人同士のような雰囲気であり、少なくともメルトはそう思っていた。一方のヘルズガルドはその気性から、その想いを表に出すことは殆どないが――――。
当初は聖域内でもヘルズガルドへの風当たりは強かった。しかしその圧倒的な戦闘力と、なによりメルトを守るという一点のみに対しての強烈な執着心。今では聖域の主流派からもそれらを認められ、二人の関係は公にならぬ範囲であればある程度許容されるようになっていた。
そして、そんな二人が今向かっている場所――――。
通路が終わり、突き当たりにある巨大な扉をヘルズガルドが雑に押し開く。
扉を開けた先に広がるのは、広大な礼拝堂と壮麗な門。
門の左右には等間隔で設けられた神聖な篝火が煌々と輝き、天上までは数十メートルの高さがある。
そしてその門こそが、大聖堂最奥に存在する命の女神エアの神殿へと続く大階段。その入り口であった。しかし――――。
「――――あれ? 誰もいないよ?」
「――待て、下がってろ」
礼拝堂には誰も居なかった。聖域でも最も厳重な警戒が行われているはずのこの場所が、もぬけの殻になるなど絶対に考えられないことだ。
困惑するメルトの肩を掴み、自身の背後へと庇うヘルズガルド。ヘルズガルドはゆっくりと背中の大剣を外し、やや傾けた正中に構える。気配を探る――――。
『――――そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。不意打ちはしない主義です!』
「――――お前は誰だ? ここにいた他の奴らはどうした?」
声が響いた。声の主は礼拝堂奥の柱の陰からゆっくりと姿を現わすと、メルトとヘルズガルドに向かって邪気のない笑みを浮かべた。
『俺はアッシュ・ヘテロジニアスって言います。ここに居た他の皆さんは、多分もう駄目でしょう。俺の領域に吹っ飛ばしたので、よっぽど強くないと死んだと思います!』
「そ、そんな……っ」
「チッ……めんどくせぇな。お前の狙いは?」
長い青い髪を一つにまとめた青年――――アッシュ・ヘテロジニアスは、ヘルズガルドの問いを受けて両手を合わせ、流麗な所作で頭を下げて礼をする。
そしてその挨拶を終えると、アッシュは一分の隙も無い完成された動作で豪壮な構えを取った。
『――――とりあえず、まずは門番を殺せって言われてます。いきなり二人まとめて倒せるなんて、これならトップも俺がいただきですね! ――――武装領域!』
瞬間。アッシュの周囲に純銀の領域が円形に展開され、地面から壁面、そして彼が身を隠していた巨大な大理石の石柱が正円を描くように抉り取られた。
「そうかよ――――ッ! 俺の名はヘルズガルド……メルトを守る門番ってやつだ。めんどくせぇが、メルトを狙うなら容赦はしねえ。てめぇは今ここで――――」
それを見たヘルズガルドは鼻を鳴らし、メルトを押し出すようにして後方の通路へと押し戻すと、その巨大な大剣を軽々と振り回し、どう猛に唸った。
「――――この俺がぶっ殺すッッッッ!」
門番VS使徒――――第二ラウンド、開戦。