涙を隠す門番
涙を隠す門番

涙を隠す門番

 

 静寂が破られる。

 長大な城塞に囲まれた王都、フィロソフィアの西側一帯が荒れ狂う暴風と万を超える雷鳴の嵐に飲み込まれた。

 人々は見ていた。

 王都の軍勢も散々に打ち破られ、もはや滅びを待つしか無くなった王都の門から、彼らもよく知る気の良い一人の門番が、その渦の中へと消えていくのを。

 人々は気づかなかった。

 その光景のすぐ傍で、決して常人には見ることの出来ぬ、文字通り異次元の死闘が繰り広げられていることに――――。

 

「ぬうううううああッ!」

『因果干渉領域にエンゲージッ! まさか生身で!?』

 

 荒れ狂う豪雷。降り注ぐ大粒の雹。巨大な岩すら飲み込む暴風。
 それらは全て、クルセイダスとエルシエルの言う、門の強制分離が始まった合図だ。

 眼前の青年へと自らの絶対領域を展開したまま迫るウォン。ウォンには降り注ぐ無数の雹も、風も、雷も、なにもかもが届いていない。ウォンに到達したという因果は、自然現象ごときでは紡げない。

 少年の頃はウォンの周囲で不定型に発現していただけだったその領域は、数多の戦いと死線をくぐり抜けた先で完成を見ていた。

 言ってしまえば、ウォンは生身で、しかも全身余すこと無く全殺しの槍キルゼムオール全防御の盾オールディフェンダーに常時包まれているような存在なのだ。なんの知見も持たず、門や技術の力も借りず、ただ自らのエゴと力のみを頼りに暴力の頂点へと辿り着いた。

 ――――全次元最強の生物。それがウォン・ウーだった。

 

「軽口を叩いちゃいるが、てめぇもなかなか不思議な技を使う。 ――――名乗れ。俺が許す」

『俺の名はアッシュ・ヘテロジニアス! 見た感じ貴方もなかなかやりますけど、勝つのは俺ですよ!』

 

############

『アッシュ・ヘテロジニアス』
 種族:人間
 レベル:12800
 特徴:
 青く長い髪を後方で一つに纏め、清潔感ある身だしなみの好青年。
 はきはきとした口調だが、その内容は相手への配慮にやや欠ける。
 領域操作の能力に非常に長けており、その技術は最早絶人の域。
 非常に初期の次元で最強に王手をかけた人物。
 しかし次元喰いラカルムによってその可能性が消滅。ある人物に救われた。

############

 

 ウォンに促されたアッシュは両の手のひらを胸の前で合わせて厳かに頭を下げると、流麗な所作で完成された構えをとる。

 アッシュが構えた瞬間、彼の周辺にウォンの物と似ているが本質的に異なる銀色の領域が展開され、周囲の事象がアッシュから切り離された。ウォンと同様、雹も風も、稲妻もアッシュには最早届かない。アッシュの展開した領域が、この星の力を圧倒的に上回ったのだ。

 

「面白ぇ……やってみなッ!」

『武装領域――――参るッ!』

 

 瞬間、二つの領域が閃光を発して激突する。

 一方は不動の岩の如く全てを受け、砕き、叩きつぶす。一方のそれはもはや数えることすら出来ぬ閃光の嵐。直視する事も不可能な無数の光がウォンの絶対領域を穿ち、削り抜いていく。

 

『閃! 烈! 剛! 七天転結――――爆塵ッ!』

「ぬうッ!?」

 

 それら一連の動作が完結するまで一秒とかからなかった。

 瞬きするほどの刹那。その一瞬で、アッシュはウォンの展開する絶対領域に万を超える拳を叩き込み、大きく吸い込んだ息を吐くと当時に大地を穿つ。閃光が迸り、瞬間、ウォンの絶対領域はまるでひび割れたガラスのように粉々に砕け散った。

 

『――――勝機ッ!』

「どおおおおおおおおおりゃああッ!」

 

 雷鳴が轟く。二つの影が一つに重なり、降り注ぐ雹のヴェールと大地を円形に抉り抜いて弾けた。

 弾けた二つの影は互いの後方へと超高速で叩きつけられ、巻き起こる雷雨と嵐の中、すぐに洗い流される泥と水流にまみれた。

 

「――――クッ! ククククッ! ハハハハハハ! アッハハハハハハハ! 面白え! 面白えじゃねぇか!? なあクルセイダスッ! お前を送ってやるのにはちょうどいい相手だ! 徹底的にやってやろうじゃねぇか!」

 

 先に動くのはウォン。ウォンは再度領域を展開するが、その胸にはアッシュの手刀で大きく抉られた傷口が鮮血を吹き出していた。

 ウォンの無敵の絶対領域はいとも容易く破砕された。にも関わらず、ウォンはその口腔からも血を流し、泥と血にまみれて笑っていた――――。

 

『――――まさかあの状況で殴り返してくるとは、いい判断です! それがなければ殺せてました!』

「ハーッハッハッハッ! 面白え! 面白ぇよ! 見てるかクルセイダスッ! 俺はこれからもっと強くなるぞッ! この程度じゃすまねぇ! お前の言った通り、俺は誰にも負けねぇッ! お前がそう言ったんだもんなぁッ!」

『何度やっても同じですよ! 俺の拳はあらゆる領域を打ち砕く! たとえ貴方の因果破砕の領域だったとしても――――ッ!』

 

 再度激突する拳と拳。

 無色透明、しかし激烈な雷電放射を伴うウォンの領域と、全てを押し潰す圧倒的暴威の拳。そしてそれに相対するは、アッシュの完成された純銀の領域。

 ウォンの拳が破滅の断崖ならば、アッシュの領域は研ぎ澄まされた刃。両極に位置する二つの最強は、ますますその勢いを増す暴風と雷雨の中、何度となくその拳を互いの領域に叩き込み、穿ち抜いた。

 

『無駄だと言いました! いかに貴方の領域が強かろうと、俺には決して届かない! 相性の差ってやつですよッ!』

「ハーーーーハッハッハ! まだまだまだまだッ! 足りねぇ! もっとだ、もっと来い! それともそれで終わりかよッ!? もっと俺を楽しませろ! ハハハハハハッ!」

『――――!? な、なんですか!? 力が、いや、これは俺の――っ!?』

「クルセイダスが言った別の世界からの敵――ッ! 確かに強えなッ! 俺が今まで闘った奴の中でてめぇが間違いなく一番強え! だが――ッ!」

 

 削られ、砕かれ、そのたびに湾曲する絶対領域。
 傷つき、跳ね飛ばされ、傷だらけとなって流血を増すウォンの肉体。

 明らかにウォンの劣勢。アッシュはまだ傷一つ負っていない。

 しかし――――!

 

「こんな感じか!? おらよぉ!」

『――っ!?』

 

 瞬間、アッシュの領域が下がる。しかしそれは完全な回避とならなかった。ウォンが振り下ろした鋭い手刀が、アッシュの純銀の領域を斜めに、鋭利に切り裂いていたのだ。

 

『俺と同じ、武装領域を……たったこれだけの間に覚えたって言うんですか――!?』

「なるほどな、これは便利そうだ。感謝するぜ、やっぱ持つべき物は強敵ともだよなぁ!? エエッ!?」

 

 ウォンが狂暴な笑みを浮かべる。

 それは、明確な捕食者の嗤い。

 それまで正円を描いていたウォンの絶対領域が自由自在にその姿を変える。
 驚愕に目を見開くアッシュの目の前で、ウォンは一瞬でアッシュを上回る領域操作を身につけたことをまざまざと見せつけた。

 

『貴方、凄いですね……それができるようになるまで、俺も相当苦労したつもりなんですけど。 ――これが才能の差ってやつですか? 正直、嫉妬しちゃいますよ』

「なに、悔しがる必要はねぇ――悔しいってのはもっと近い相手に持つ感情だ。俺とてめぇは――――遙かに離れている」

 

 習得した武装領域で自らの絶対領域をその拳に集中させるウォン。その光景を見たアッシュは息を呑み、冷たい汗を流した。だが――。

 

『――でもッ! 俺だってあの人の役に立つために、ここまで来ているんですよッ!』

「感謝するぜ! 俺はまだまだ強くなる! なにが来ようが負けやしねぇ! 約束したもんなぁ……お前の後は俺がやるってよ! なあ――クルセイダスッ!」

 

 アッシュの心は折れなかった。この戦闘中で最も研ぎ澄まされた領域を展開し、まさに自身そのものを一振りの刃と化して眼前の最強を屠るべく光速の一撃を放つ。

 

『神心金剛――ッ! 万象破砕――――滅ッ!』 

「おおおおおらあああああ!」

 

 閃光――――。

 そして、最後の衝撃。

 雷と銀。二つの領域は一度完全に混ざり合い、そして、その場には雷が残った。

 

『アア……すみません、また、駄目でした……』

 

 ――――どさりと、ウォンの絶対領域によって半身を抉られたアッシュの肉体が大地へと倒れる。

 

 アッシュ・ヘテロジニアスは死んだ。
 ウォンの肥大化した絶対領域による因果破砕の拳を受け、完全に息絶えた。

 

「――――これが、門番の力だ」

 

 最後にちらと、アッシュの亡骸を振り向くウォン。

 アッシュの肉体からは無数の金属と用途不明の配線、金属で出来た構造物が覗き、アッシュがなんからの人工物であったことを明確に示しながら消えていった。

 

「そうだな――――まだ、まだ俺たちはこれからだ」

 

 気づけば、あれほど荒れ狂っていた暴風も、雷鳴も、豪雨も、全てが止んでいた。

 魔王の城は消え、暗雲立ちこめる雲間からは太陽の光が降り注ぎ始めていた。

 そこには最早、唯一無為の友も、友が愛した彼の妻もいなかった。全ては、終わったのだ。

 

「――――あとは俺に任せろ。お前が守りたかったものは全部、俺が代わりに守ってやる。門番としてな――――」

 

 ――――ウォンは、その双眸から溢れそうになるそれを切って捨てるようにしてその場から踵を返すと、全ての顛末を王都へと報告するべく、降り注ぐ光の中を一人帰還した――――。

 

 この後すぐ、門番クルセイダスの名は魔王の死の報せと共に大陸全土へと知れ渡った。ウォンはクルセイダスに次ぐ最強の門番として彼の後を継ぎ、世界の守護者となった――――。

 人々は門番という存在に伝説と神話の再来を重ね、自らの希望を託すようになる。

 

 そしてそれこそが、大門番時代の幕開けであった――――。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

error: Content is protected !!