立ちはだかる門番
立ちはだかる門番

立ちはだかる門番

 

 その大太刀は、特になんの変哲も無い太刀に見えた。

 ウォンは箱の中に収められたその大太刀を手に取ると、ゆっくりと鞘から引き抜く――――。

 

「ふむ……」

 

 ――――その太刀は、たしかに刀身や柄の素材はウォンでも見たことのない物だった。軽く眺めただけでも相当な業物と一目でわかる。しかしウォンほどの強者にとってそんな物はなんの意味もなさない。

 ウォンからすれば、ただ己の拳を叩きつけるだけで全ての物質は跡形もなく消滅するのだ。今更どんな武器がその拳を上回るというのか。

 

「ハッ! まさか俺に武器を贈る奴がいるとはな。おいてめぇ……いくらクルセイダスの女だっつっても、やっていいことと悪いことがあるぜ?」

「まあまあ。そう結論を急がないでください。その剣はとりあえずどうでもいいです。あなたにお願いしたいのは、そっちの鎖の方でして」

「……鎖?」

 

 エルに促され、ウォンは太刀と共に納められていた鎖へと目を向ける。

 ――――なんだろうか。この当時既に領域という概念を認識できるようになりつつあったウォンは、たしかにその鎖から妙な気配を感じた。

 

「私たちはこの武器をあなたに使って欲しいわけじゃありません。あなたにお願いしたいことは、その鎖でこの武器を封印し続けて頂くことなのですよ」

「ますますもって訳がわからねぇな。そんなことになんの意味がある? 大体なんで俺だ?」

「うむ。それはな――――」

 

 太刀をこの鎖で封印し続けろ。

 エルのその言葉に、怪訝な表情を浮かべるウォン。しかしそんなウォンとエルの間に、クルセイダスの言葉が割って入った。

 

「ウォンよ。俺がずっと前に言った言葉を覚えているか? 君はこの世界では間違いなく最強だが、これから先、君すらも太刀打ち出来ぬ恐るべき脅威がこの世界にやってくる。これは、その時に君に使って欲しいのだ」

「――――俺の拳より、このなまくらの方が強いってのか?」

「いずれはそうなります。今はただのよく切れるだけの包丁と変わりませんね」

「いつこの剣を使うかはウォンに任せる。だが、それまでは決してこの鎖の封印を解かず、使わずに持っていて欲しいのだ」

 

 クルセイダスの眼差しは真剣そのものだった。とても冗談を言っているようには見えなかった。しかしウォンにも己の拳への絶対の自信と矜恃がある。

 今までその拳だけを頼みに闘ってきたウォンにとって、武器の携帯はそれだけで自身の信条に反する行いだったのだ。

 

「ケッ! いらねぇよ。俺を誰だと――――」

「――――聞いてくれ、ウォンよ。俺とエルはあと数年で死ぬ」

 

 雑に鎖と太刀をテーブルの上に放り投げ、突き返そうとするウォン。しかしそんなウォンに向かい、クルセイダスは更に言葉を続けた。

 

「――――どういうことだ?」

「言葉通りの意味だ。ウォンよ、今まで黙っていて済まなかった。俺にはこの先に起こる出来事をある程度把握する力がある。このまま俺たちが何もせずにいれば、君も、俺たちも、この世界全てが消え去るのだ」

「…………そういうことかよ」

 

 あまりにも突拍子もないクルセイダスのその言葉。しかしウォンにはそれで全てが理解出来た。

 今までずっとおかしな奴だと、とんでもない奴だと思っていたが、そう感じる理由がわからなかったクルセイダスの姿に、彼がたった今発した言葉はなんの違和感もなくぴったりとはまった。

 

「俺はエルと二人、ずっと破滅を防ぐために行動してきた。しかし俺たち二人だけでは駄目なのだ! 頼む! 力を貸してくれ、ウォン!」

「――――ひとつ答えろ。その返答次第だ」

 

 ウォンはクルセイダスのその言葉に、静かに瞼を閉じ、耳を傾けていた。

 そして少しの間を置いた後、ウォンは彼がこの世で唯一心を許せる相手だと信じる無二の友へと尋ねた。

 

「お前が俺に近づいたのも、その目的のためか?」

「そうだ。俺が今までやってきたことは、全てそのためだ」

 

 ウォンの鋭い眼光と共に放たれたその問いに、クルセイダスは一切の迷い無く答えた。ウォンはしばしそのクルセイダスの姿をじっと見ていたが、やがて鼻を鳴らして立ち上がると、テーブルの上に一度は放り投げた太刀と鎖を無造作に掴み取り、部屋の出口へと向かった。

 

「――――受けたぜ。他に頼みたいことがあるなら早めに言うんだな。酒が入ってるときに頼みはきかねえ」

「うむ! 感謝する! 頼んだぞ、ウォンよ!」

「ああ――――任されてやるよ」

 

 ウォンは振り向かずにそう言うと、部屋を出る。通路をずんずんと歩きながら適当に太刀に鎖を巻き付けると、そのまま肩に担いでその場から離れた。

 ウォンにはわかっていた。

 クルセイダスは今まで、ウォンの前で嘘をついたことはない。ウォンはそんなクルセイダスが好きだった。信頼していた。安心できた。だからこそずっと傍に居た。

 恐らく、もし二人が出会った少年時代に「お前は未来が見えるのか」と問えば、クルセイダスは迷わずそうだと答えただろう。聞かれなかったからタイミングが今になっただけだ。

 

「チッ……あの野郎……しみったれた気分にさせやがってよ」

 

 すでにウォンの心を満たしていたのは、この世界で最も信頼する友との別れが間近に迫っているという事実の方だった。

 もしあの場で適当な言い訳をクルセイダスが発していたら、ウォンは二度とクルセイダスに会うことはなかっただろう。しかし彼は結局いつも通りの、ウォンがよく知るクルセイダスのままだった。

 たとえその出会いにどんな理由があろうとも、少なくともウォンが十年以上にわたって見続けてきたクルセイダスの姿と言葉に、偽りは一切無かったのだ。

 ウォンにとっては、それだけで十分だった――――。

 

 ――――そして、それから数年後。

 

「――――行くのか」

「ああ……今まで本当に世話になった。心から感謝する」

 

 王都フィロソフィア――――西門前。

 反対側に当たる東門からは、今も大勢の人々が我先にと街から逃げ出している。

 西門の前に立つのはウォンとクルセイダスのみ。今、二人の前には禍々しい漆黒の領域を展開する、巨大な塔がそびえ立っていた。

 

「こうして見るとどっからどう見ても魔王の城だが……お前も今はあそこに住んでるんだろ?」

「ハッハッハ! そうだぞ。なかなか良いところだ!」

「結局一度も俺を呼びやがらねぇ! ぶちのめしたい相手も何人かいるってのによ!」

「ぶちのめされたら困るから呼ばなかったのだが!?」

 

 そう言って軽口をたたき合う二人。ウォンの背には何重にも鎖が巻き付いた大太刀がしっかりと背負われていた。

 すでに、ウォンにはこの状況の説明は終えている。これからこの場所で起こることの意味と、その結末も――――。

 

「――――なぁ、何度でも言うが、何も死ぬことはねぇんじゃねえのか? まだガキだって小せえんだろう? お前はともかく、エルシエルは相当な女だ。あいつなら別の方法も――――」

「いや……この先も俺たちが生き残る可能性は何度も試した。しかしそれは間違いだった。 ――――ここで俺とエルの二人が共に倒れること。それこそが絶対条件だったのだ」

「そうかよ――――」

 

 ウォンは既に何度も繰り返したそのやり取りを、最後にもう一度だけ行った。

 クルセイダスやエルシエルの言うことは難解で、当時のウォンにはあまり理解できなかった。しかし二人が今までなんらかの方法で様々な運命を試行し、そのどれ一つとして上手くいくことが無かったということは理解していた。

 最後のそのやり取りにおいてもクルセイダスの返答は変わらなかったが、彼は表情を曇らせるウォンに向き直り、笑みを浮かべてその大きな体を力強く抱擁した。

 

「ありがとう、ウォン。君が居てくれるからこそ、俺とエルはここで消えることが出来るのだ。この後の世界のことを、宜しく頼む」

「最後までお前って奴は……ッ」

 ウォンはその時、初めてクルセイダスと力強く抱きしめ合った。

 思えば、最初はクルセイダスにつきまとわれていた関係だった。しかしそれはいつしか、ウォンがクルセイダスとの時間や語らいを求める関係に変わっていた。

 クルセイダスは目的のためと言っていたが、ウォンと語らう彼の表情はとても穏やかで、心からの笑みを浮かべているように見えた。

 

「君とこうして友になれたこと――――それが、俺がこの世に残す最後の因果だ」

 

 ――――そしてクルセイダスは一人、目の前で荒れ狂う領域へと赴いていった。
 

 ウォンは、遠ざかるクルセイダスのその背中を最後まで見ていた。

 その場から離れることも無かった。

 

 ――――なぜなら、彼にはまだこの場でやらなければならないことがあったからだ。この世で最も大切な、唯一無二の親友の最後の頼みを叶える必要があった。

 それは――――。

 

『――やっぱりあの人の言った通りでしたね! 念のため監視しておいて正解でした』

 

 その声は門の内側から。

 いつからそこにやってきていたのだろう。長く伸びた青い髪を背中で纏めた好青年然とした男が、門の前に立っていた。

『何をしようとしているのかは不明ですけど、あの方のためにはならなそうですね! 排除しますッ!』

「――――待て」

 

 身を屈め、眼前の魔王の城めがけて跳躍しようとする青年。しかしそんな青年の前に、ウォンはその巨体をもって立ち塞がった。

 

『誰です? 邪魔するなら殺しますよ!』

 

 青年はこともなげに言うと、そのまま勢いを止めずにウォンごと穿ち抜くような凄まじい体当たりを敢行する――――が、弾かれたのは青年の方だった。すでに一分の隙も無い正円を描くウォンの絶対領域が、彼の周囲に展開されていたのだ。

 

「――――俺か。俺の名はウォン。友を守る門番だ

『門番……? なんですかそれ?』

 

 ウォンが呟く。

 そしてその丸太のような腕を大きく、ゆっくりと広げると、青年の進行方向全てを塞ぐ狂暴な領域と共に門の前に立った。

 

「てめぇに俺のダチの邪魔をさせるつもりはねぇ…………ここからタダで返すつもりもねぇ…………今の俺は機嫌が悪ぃんだ。てめぇは今、ここで――――この俺が叩き潰すッッ!」

 

 

 

 

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