――――あの鳥の翼に乗せる。私の歌を、あなたへの想いを――――
ダイタニック号船内。エントランスホール中央。
金色の粒子を纏ったメルトが吹き抜けの遙か上層を見上げ、聴くもの全ての心へとその想いを届けるように、熱い眼差しで歌声を響かせる。
メルトの隣ではリドルがその瞳を閉じて領域を展開していた。
門と融合したリドルの力は既に完成している。かつての彼女では行うことの出来なかった、波長や概念といった目に見えない存在すら今のリドルは転送することが可能だった。
そしてリドルはその力で、ダイタニック号に乗船していた三万人もの人々全てに対してメルトの歌声を正確に転送したのだ。
――――過去も、今も、未来も。全てを抱きしめてあなたに――――
今、かつてない程の祈りと想いを込めたメルトの歌声は、ダイタニック号を中心とした巨大な領域の中に余すこと無く響き渡った――――。
――――平行世界の船上で、逃げ惑う乗客を少しでも落ち着かせようと船が沈むその時まで仲間と共に楽曲を奏で続け、命を落とした音楽家たちがいた。
「(凄い! これが噂に聞いていたメルトさんの歌……! 私の手が、腕が、感覚が、全てが煌めきを増していく! もっとだ、もっと彼女の歌声を、私のこのバイオリンの音色に乗せて輝かせたい!)」
今、彼らはメルトの周囲をぐるりと囲み、共にその楽曲を造り上げようと奮闘していた。メルトの歌声は彼らの感覚すらもブーストさせ、彼らの演奏を誰も見たことの無い領域へと押し上げていく。
――――冷たい水にその身を沈めながら、最後まで船に動力を送り続け、誰一人持ち場を離れずに職務を全うして海の底に消えた機関士たちがいた。
「なんじゃこのキンキンした歌は!? 最近の若いもんの歌はよくわからんわい!」
「でも機関長! メルトさんの歌が聞こえてきてから、体の震えも、寒さも感じませんよ! さっきそこで負傷した新米の怪我も治ってます! これならいけます!」
「ふむ……言われてみれば儂も……わし、も……うおおおおお!? 俺も若い頃に戻ったような力を感じるぞおおおお! 野郎共! 機関制御怠るな! 俺たちがこの船の生命線だと言うことを忘れるな!」
「サー! イエッサー!」
――――溢れる大量の水をせき止め、たとえ一秒でも沈没の瞬間を遅らせようと、必死に隔壁の操作を手動で行い続けた整備士たちがいた。
「うおおおおお! 凄い力が沸いてくるううう! 見て下さい整備長! こんな分厚い鉄板も素手でねじ曲げられますよ! 信じられません!」
「これではまるで俺が門番になったようだ! よし! 全員素手でこのどでかい穴を塞ぐぞ! 鉄板はそこらの非常用隔壁を引っこ抜け!」
「アイアイサー!」
あまたの平行次元で決して救われること無く、冷たい海の底でその命を散らすはずだった無数の人々はしかし、メルトの歌声と共に運命に抗う力をその身から沸き上がらせ、理不尽な定めへと挑む一筋の光芒と化した。
そして――――!
『ハーッハッハッハ! 原始極まる肉弾戦もたまにならば愉快痛快! 見よ! 怪盗那由多面相の研ぎ澄まされた剣捌きを! サメなど百枚に下ろしてくれようぞ!』
背中のプロペラを軽快に操作し、那由多面相が次々と小型のサメを切り裂いていく。普段は垂れ下がっているヒゲは鋭角に天へと跳ね上がり、その刃は振るわれる度に炎の軌跡を描き出す。
そしてその周囲では、黄金の輝きを纏った大勢の乗客たちが那由多面相と同様に次々とサメへと掴みかかっていた。サメの強靱な牙は全く乗客たちを傷つけられず、逆に乗客たちの拳は五歳前後の少年のものですらサメの肉体を容易く粉砕した。
ダイタニック号から飛翔した無数の光を纏った乗客たちの命の輝きが、凍てついた破滅の因果を徐々に押し返し、瓦解させていく。
サメの群れがみるみるうちにその勢いを失い、眩いばかりの輝きを受け、災厄の象徴たる因果サメが怯えるようにして後方へと下がった。
『ウリィィィィィ! 下がったな? 魚類にも恐怖心があるとは驚いたッ! 安心するが良い! 貴様には恐怖する時すら与えんッッ! ザ・ディメンジョン! 時よ止まれぃ!』
その力は吸血鬼ジオ。ジオがその彼だけに与えられた時空間停止の力を解放すると、目に見える全ての領域がその活動を停止した。
『愚か愚か愚か! 弱すぎるぞサメめ! 今の俺ならば百秒は時を止めていられる! この隙に俺にたてつく者全てを抹殺――――』
「おお! あのサメも動けないようだな! ならばジオよ、一気に決めるぞ!」
『――ウリィッ!? き、貴様ッ!? なぜ動ける!? まさか貴様も我が止まった時の世界に入門してくるとはッ!?』
「うむ!? よくわからんが、貴殿のお陰で大きな隙が出来た! このまま決着をつけるとしよう!」
自分以外動くことができないはずの領域で、何も感じること無く笑みを浮かべるヴァーサスに驚愕するジオ。
実はヴァーサスはラカルムの試練を受けた際に、【時間操作耐性】を身につけている。あれから数々の戦いを経て更に成長し、今のヴァーサスに時空間操作系の能力は一切効果が無いのだ。
『ウリィィィィィ! 俺はもう二度と門番とは闘わんぞおおおお! さっさと片付けてくれるッ!』
「よし、全反射の盾よ! 気乗りはしないかもしれないが、全殺しの槍に力を貸してやってくれ!」
瞬間、ヴァーサスが二つの因果律兵器の力を解放した。
眩い閃光と共に一振りの豪壮な槍の姿を取る全殺しの槍。そして七枚の浮遊する結晶体となってヴァーサスの周囲へと寄り添う全反射の盾。
「お前たちならきっと力を合わせられる! ずっと共に闘ってきた俺が言うのだ、間違いない!」
『ウリイイイイ! 喰らって死ねぃ! 雷光交差瞬間凍結殺法ッ!』
吸血鬼ジオと共に、止まった時の中を飛翔するヴァーサス。
ヴァーサスはその力を解放した全殺しの槍を突き出すと同時に、その槍の周囲に全反射の盾の七枚の結晶を纏わせる。
二つの因果律兵器によって一点に収束された矛盾のエネルギーが、ヴァーサスの全身に同心円状のプラズマ放射となって滞空。
かつてリドルと黒姫の力なくして発動できなかった因果の収束を、ヴァーサスは今このとき単独で、しかもさらに高次元で成し遂げて見せたのだ。
そしてそのまま一条の光の矢となって、身動きできぬ因果サメの巨大な顎の中へと突き進む――――。
一閃。そして完全な停滞。
時が止まった領域の中、全長一千メートルを誇るサメの全身を穿ち抜いたヴァーサスとジオが姿を現わす。
『時は動き出す!』
ジオのその言葉を合図に、因果サメの肉体が凄絶な爆炎を伴って四散する。
因果サメは死んだ。
ダイタニック号沈没の因果は打ち砕かれ、平行世界のサメ映画は守られた。
――――私はあなたを信じてる。信じれば、私たちはみんな門番だから――――
「そう! これが――――門番の力だ!」
未だその光を失わぬ輝きの中、ヴァーサスはダイタニック号を眼下に人々の完全勝利を宣言した――――。