絶対に沈没させない門番
絶対に沈没させない門番

絶対に沈没させない門番

 

『ウリィィィィィイ!? なぜだ!? なぜ俺の牙が刺さらん!? なぜ凍らない!? なぜ時間も止められんのだ!?』

『ぐわあああ! こ、この男本当に人間か!? 信じられん!』

「落ち着け! 大人しくするなら命まで取るつもりはない!」

 

 漆黒の闇が支配する海上。

 その闇の中、まるで都市のような光を放ちながら僅かずつ傾いていくダイタニック号。

 すでに無力化した吸血鬼と怪盗を両脇に抱えたまま、何も無い空間を蹴り飛ばして天上へと飛翔したヴァーサスは、その全貌をついに視認する。

 

「うむ……あれが氷山か。流氷のようなものかと思ったが、こうして見るとまるで山だな。あれにぶつかったのではひとたまりもあるまい……!」

『ウリィッ! ウリィッ! アガガガ! き、牙が折れそうだ! こいつの皮膚は鋼鉄でできているのか!? 瞬間凍結法も全く凍結できぬではないかッ!』

『ふむう……吸血鬼よ。まだ頑張っているようだが、我が輩はもう諦めた。まさかメルト君のおまけ程度に考えていたこの男がこのような人外だったとは……。原始極まる脳筋とは闘わぬのが我が輩の生存術なのでね……それと地味に我が輩が凍っているので後生だから止めて欲しい』

「はっはっは! しかも中にはリドルもいる! 那由多面相はメルト殿のこともあるので取り押さえるだけに留めるが、吸血鬼よ! もしリドルがその気になれば、貴様はどうなるか俺にもわからんぞ!」

『ウリッ!? おのれぇ……っ!』

 

 ヴァーサスに二人纏めて小脇に抱えられ、必死の抵抗も全く通じないと悟った怪盗と、ヴァーサスの腕に突き立てた牙が逆に折れそうになっている哀れな吸血鬼。半ば強迫めいた言動で投降を促された吸血鬼は、忌々しげな表情を浮かべる。

 

「なに、吸血鬼が人の血を吸わなければ生きていけないのは俺も知っている。恐らく貴様も今まで多くの人々をその手にかけてきたのだろう。しかし今は見ての通り緊急時だ。今だけは俺も全てを保留にする故、貴殿ら二人にも力を貸して欲しいのだ!」

『なっ!?』

『我が輩の力を借りたいだと――!?』

 

 ●    ●    ●

 

「これは……予想以上に厄介な事になってきましたよ!」

 

 氷山と激突し、傾き始めたダイタニック号の船内。大勢の人々が悲鳴を上げ、騒然とするエントランスロビーの階段下で、リドルがなにやら難しい顔をして呟く。

 

「厄介って……沈没することがですか? っていうかヴァーサスさん吸血鬼と変態を捕まえてどっか跳んでいっちゃいましたけど!?」

「いえいえ、あの程度の相手なら全然心配要らないですよ。 ――実はですね、今試してみたところ、この船がいる場所がどうもおかしくてですね……船ごと皆さんを安全な場所に跳ばそうと思ったのですが、ちょっと手こずってます」

「えええ!? リドルさんってこんな大きな船も移動させられるんですかっ? 本当にヴァーサスさんより凄いんだ……」

「……そんなことないですよ。ヴァーサスはああ言ってますけど、私なんてずっと彼に守って貰ってばっかりです! どっちが強いとか、凄いとかじゃないんですよ」

「はわわ……! お二人の信頼とか絆とか、そういうの凄く感じますっ!」

「たはは! そりゃ夫婦ですから! ――――さて、どうしましょう」

 

 リドルは謎の感動に打ち震えるメルトへと微笑むと、口元に手を当て、思案げな表情で周囲を見回す。

 なんの力も無い一般的な人々の目には、周囲の光景は混乱しているものの特にそれ以外変わりのない船内に見えただろう。しかし門と融合し、圧倒的高次元からの視点をも備える今のリドルには、その光景は先ほどまでとは全く違うものに見えていた。

 

「(……なんなんでしょうこれ? どうもこの船自体が特異点になっているような……この船を絶対に沈めないと気が済まない、とんでもなく強いエゴを感じますよ……)」

 

 リドルの視界に映るのは、大きく湾曲し、青白く染まった強烈な領域の歪みだった。それははるか暗い海の底からこの船へと伸ばされ、まるでこの船を冷たい水の中に引きずりこもうと手招きしているかのようであった。

 もしこれがリドルの感じたとおり、この船そのものが特異点と呼ばれる因果のイレギュラーと化しているのであれば――――。

 

「私たちも本気でかからないと、どう足掻いてもこの船は沈みますね――――恐らく、そのように他の世界でも結果が収束している――――」

「ええ……っ!? よくわからないけど、船が沈んだら大変ですよ! この船ってたしか何万人も乗ってるんですよね!? 海も凄く冷たいって! みんな死んじゃうかも!」

「ですね。でも――――」
  

 

 リドルはふむふむと考え込む素振りを見せると、何度か頷いた後、メルトに自信ありげな眼差しを向けた。

「私にいい考えがあります! メルトさん、あなたがいてくれて良かったですよ!」

 

 ●    ●    ●

 

『ウリイイイイ! 馬鹿なことを! この不死身の吸血鬼ジオに人助けをしろと言うのか!? そのような便所のハエのフンにも劣る無価値な行為をッ!』

『一時休戦というわけか。我が輩、そういうのは大好物である』

「吸血鬼ジオとやら! 今この場で俺に協力してくれるのなら、俺の友である皇帝ドレスにお前の処遇を任せてもいい。ドレスは信頼できる男だ、貴様の今までの罪も勘案し、なにかしら上手くやってくれるだろう! だが、あくまで敵対するというのなら俺はここで貴様も切り捨てなければならない! どうするっ!?」

『ウ、ウリィィィィ……! このジオを強迫するかぁぁぁぁ! いいだろう! やってやろうではないかッ!』

「よし! ならばジオ、そして怪盗那由多面相よ! しばしの間だが宜しく頼む! こうして外に出てみてわかったが、どうやらとんでもない相手のようなのでな!」

 

 ダイタニック号を眼下に望む漆黒の空。未だにごねる吸血鬼ジオ――――本人はZIOだと言い張っていたが――――の協力を取り付けたヴァーサス。

 ヴァーサスにはわかっていた。
 船内のリドルが感知しきれなかった途轍もない領域の正体を。

 その領域の主が、今のヴァーサスの力を持ってしても全力で当たらねば敗北しかねない、恐るべき相手であることを――――!

 

「――――来たな!」

 

 ヴァーサスがジオと那由多面相を解放する。
 
 ジオは自身の能力で、那由多面相は外套の下から現れた羽がついたからくりでその場に浮遊すると、ヴァーサスと同じくその場に現れたその存在に驚愕の声を上げた。

 

『あ、あれは――――サメであるか!?』

『馬鹿な! あんなデカいサメがいてたまるか! ダイタニック号よりデカいじゃあないか!』

「サメか――――!」

 

 漆黒の海を割り、巨大な背びれが姿を現わす。

 その背びれの高さは全長一千メートルを超えるダイタニック号より高かった。

 ぐるぐると、ゆっくりと獲物を追い詰めるように傾いたダイタニック号の周囲を回る巨大サメ。サメは三回ほどダイタニック号をぐるりと回り込むと、凍えるような氷点下の海面から、突如として飛翔した――――。

 

「気づいたか――――! やはりただのサメではないな!」

 

 サメがその巨体の全てを空中に晒した。恐るべき事に、そのサメはそのまま上空で滞空すると、左右一対の小さな濁った瞳を赤く輝かせ、たしかにヴァーサスへとその眼光を向けた。

 自らの目的、ダイタニック号沈没という因果を成すためには、この男が最大の障害となる。なにがなんでもダイタニック号を沈めるという因果の化身はそう判断し、こうしてヴァーサスを始末するべく天へと昇ったのだ。

 

「俺の名はヴァーサス! ヴァーサス・パーペチュアルカレンダー! この船を守る門番だ! サメよ! 貴殿にこの船を沈める許可は出ていない! 大人しく海に帰るなら良し、帰らぬならば――――!」

 

 ヴァーサスの両手に、瞬時にして主の召喚に応じた全殺しの槍キルゼムオール全反射の盾オールリフレクターが出現する。

 しかしヴァーサスの呼びかけにもサメは応えない。
 サメに喋る能力は無いからだ。

 サメはヴァーサスの言葉に関係なく、その虚無へと続くどう猛な大口を開く。

 

「帰らないか! ならば、貴様は今ここで――この俺が切り捨てるッ!」

 

 ヴァーサスが叫ぶ。

 収束した沈没の因果を阻む最後の盾となった門番は、その雷光の放射を纏った自らの槍で漆黒の闇を切り裂いた――――。

 

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