「――皇都一つを犠牲にすればこの戦争は終わる! それがわからんのか!?」
それは、七年前の門戦戦争最終局面でのこと――――。
帝国同盟軍によって追い詰められた皇国連合軍は、人口百万を超える大陸最大の都市に最後の陣地を築き、立て籠もった――そこに住む、力なき人々と共に。
「戦争終結という大いなる偉業の前には民の犠牲など些事! さらに皇都を消し飛ばす陛下の力を目の当たりにした大陸の愚民共は、みな帝国の前にひれ伏すだろう! わかるか? これこそが永遠の平和への第一歩なのだ!」
もはや門番戦争の敵はこの都に籠もる残党のみ。この残党さえ討ち滅ぼせばこの戦争は終わる。ことここに至り、当時のデイガロス帝国皇帝は都そのものを敵軍諸共吹き飛ばすという凄絶な勅命を発した。しかし――――。
「ハハッ! わからないね! 逆に言うけど、あんたたちこそ僕にそんな口を利ける立場かい? 僕がその気になれば、今すぐ向こうに寝返って帝国軍を全滅させたっていいんだよ!」
「ぐっ……! ならば、どうしようと言うのだ……!? 皇都にもまだ敵の門番は残っているのだぞ!?」
帝国同盟本営。鷲鼻が特徴的な指揮官らしき男が、目の前の幼い顔立ちの兵士に向かって声を荒げていた。この兵士こそ、後にデイガロス帝国皇帝にまで上り詰める男――――戦場で上げた功績により、帝国所属の門番となってまだ間もないドレス・ゲートキーパーである。
「ハッ! 門番とかどうでもいいんだよ。皇都には僕が行く。それで終わりさ」
「ふざけるな! ただでさえ門番さえいれば最早軍など要らぬと後ろ指を指されているのだ! これ以上貴様らに手柄を立てさせてなるものかッ! 貴様がなんと言おうともう遅い! 既に皇帝の雷を皇都に放つよう指示は出しておいたわ!」
瞬間、本営上空を凄まじい閃光が横切る。皇帝の雷と言われる禁断の兵器が撃ち放たれ、百万を越える無辜の人々が暮らす街めがけて飛来したのだ。だが――――。
「な!? 何が起こった!?」
突如として皇帝の雷はその軌道を変え、はるか上空めがけて飛翔したあと、凄まじい衝撃波を放って爆発四散――――したが、その四散した爆炎の一つが、そのまま黒煙の尾を引いて本営めがけて一直線に落下してくる。
本営中心部に設営された巨大なテントのほぼ目の前、爆炎は大地を震わせてその場に着弾する。何事かと集まってくる兵士たちの目の目で、もうもうと立ち上る爆炎の中から、笑い声と共に一つの人影が現れた。
「ハーッハッハ! さすがだなドレス! お前の言った通り変な雷が飛んできたぞ!」
「き、貴様は……! まさか、皇帝の雷を……そんな馬鹿な!?」
「お疲れ様ヴァーサス! でも君、顔が真っ黒だよ? すぐに顔を洗ってきた方が良いね! ハハハッ!」
爆炎の中から現れたのは、その身に纏う甲冑もズタズタにし、煤と汚れで誰だかわからぬ有様の男。真っ黒に汚れた顔とチリチリになった髪の中、鋭い青い眼光だけがらんらんと輝くヴァーサスだった。
「顔? そんなものどうでもいい! あの変な雷を弾いたら次は二人であの街へと行くのだろう? 早く済ませよう! 俺はこの通りピンピンしている!」
「もちろん! それなら僕は街の人たちを全員守るから、君は一番奥で立て籠もってる上皇ってのを捕まえて来てくれるかな?」
「わかった! しかし俺はその上皇という奴の顔を知らんのだが!?」
笑みを浮かべて出迎えたドレスに、やはり満面の笑みで返すヴァーサス。その真っ黒な顔に白い歯と青い瞳を覗かせる様は、まるで泥遊びに夢中な子供のよう――。
「言われてみればそうだったね。なら、僕が街中の兵士を倒すまでの間、城の中にいる奴は全員動けないようにしておいてよ。片付いたら行くからさ!」
「ハッハッハ! 皇都というのは初めてで楽しみだ! 人が乗ってぐるぐる回る大きなティーカップや、ひとりでに動き出す馬があるらしいぞ! 後で遊びに行こう!」
「へぇ、なんか面白そうだね! じゃあ後で行ってみようか!」
「そうしよう!」
ぱくぱくと口を開き、泡を吹いて倒れる将軍には最早一瞥もくれず、まるでどこかに遊びに行くかのように笑いながら、たった二人で敵の全軍が籠もる都へと向かうヴァーサスとドレス。
――――この日、門番戦争は集結した。
当時の目撃者の証言では、ドレス以外にもう一人、全身真っ黒の凄まじく強いチリチリアフロの男が居たと言われているが、その正体は未だにわかっていない――。
「ハハッ! これはなかなか楽しいね! ほらほら! どんどん回すよ!」
「なかなかやるなドレス! だが俺も負けんぞ! うおおおお!」
全てが終わった後――皇都の巨大テーマパーク。
可愛らしいティーカップに二人で乗り込み、もはや光速に達しようかという勢いでカップを超高速回転させるドレスとアフロのヴァーサス。
皇都に立て籠もっていた敵軍の兵士にも、住民にも、誰一人として死者はでなかった。両軍合わせてもっとも被害を被ったのは、皇帝の雷を全反射の盾で弾いた際の煤で汚れたヴァーサスだった。
「ねえヴァーサス! 僕の夢を聞いてくれるかい!?」
「うおおおおお――――なんだドレス!? 俺はお前の話ならなんでも聞くぞ!」
超高速回転するティーカップの中、回転が光の速度に近づいたことで周囲の景色は赤方偏移を起こして赤く染まっている。
「僕は全てを守りたいんだ! 敵も味方も全部さ! 僕はこの世界のみんなにとっての光になりたいんだ! 僕の言ってることわかるかな!?」
「そうか! ドレスは凄いな! 俺は門を守りたいぞ!」
「僕は誓うよ! 今君に言った夢を絶対に実現してみせるって!」
「ああ! お前なら出来る! 俺はお前を信じている!」
「ありがとう、ヴァーサス!」
――
――――
――――いつからだろうか。敵も味方も全てを守るというその夢が、できる限り多くの人を守るという言葉に変わっていったのは。
『そしてリドル君……君はこのままではこの世界で二つ目の新たな門になるかもしれない存在だ。残念だけど君には世界のために消えて貰うことになる。この僕の持つ全殺しの剣で跡形もなく、ね――』
いつからだろうか。かつて鼻で笑ったあの鷲鼻の将軍と同じ事を平気で口にするようになったのは――――。
『ドレス…………いつもありがとう……私……なにもできない弱い神様で……ごめんね…………』
いつからだろうか。常に誰かを守り続けてきたはずの自分が、誰かに守られるようになったのは――――。
――――そうか、僕は。
――――いつのまにか、夢を諦めていたんだ。
漆黒の虚無と混沌が支配する光と闇の世界の中。
消えかけたドレスの鼓動が、静かに灯った――――。