「ヴァーサスよ。先に闘ったという神……お前から見てどうであった?」
巨大な門の前に立つヴァーサスと黒姫。
二人は目線を合わさず、夜の天上、ただ一点だけを見つめていた。
「……間違いなく強敵だった。まだ俺がラカルム殿の試練を乗り越える前だったとはいえ、もし全殺しの槍の存在に感付かれていれば、おそらく負けていただろう」
「ならば……他の門番共がそれら神に勝てると思うか……?」
そう言う黒姫の声に、普段の高慢な色はない。
ただどこまでも冷徹に、目の前に立ちはだかる現実をヴァーサスに突きつける。そういう問いであった。
だがヴァーサスはそこで初めて黒姫へと視線を向けると、力強い雷光を宿した青い瞳を輝かせ、断言した。
「勝てる! なぜなら、俺たちは門番だからだ。門番が門の前で膝を突くことは決して無い。たとえ、相手が神だったとしてもだ!」
「フッ……ならば、私も今日はお前たちと同じ門番としてこの門の前に立とうではないか。どうやら、それがこの世界の習わしのようだからな」
「はっはっは! そういうことならまずは黒リドルも歌と踊りの試験に合格しなくてはな! 俺は落ちたが!」
「クククッ! 良いだろう。この戦いが終わった後、存分に我が歌声と死の舞踏を堪能させてくれるわ! 覚えておくが良い!」
言って、大声を上げて笑うヴァーサスと黒リドル。
だが、そこに一度小屋の中へと戻っていたリドルが血相を変えて駆け戻ってくる。
リドルの手には愛用の懐中時計が握られているが、今それはあらんばかりの大音量で、辺り一帯に危機の到来を告げるベルの音を響かせていた。
「来ました来ました! とんでもなくでっかいのがいっぱい来ましたよ! さあさあ皆さん、気合い入れて守りますよ! お願いしますね、ヴァーサス!」
「任せておけ! この門も、リドルも、そしてこの世界も、全て俺たち門番が守り抜く!」
「白姫よ。お前は最後の保険だ。まずは私とヴァーサスに任せ、そこの障壁女の後ろに下がっていろ。ちんちくりんの女神とやらもな」
「うん……私も応援する。ふれーふれー……」
「二人とも……どうかご無事で。ヴァーサス……愛してますよ」
「ああ……俺もだ」
ヴァーサスはリドルに背を向けたままはっきりと告げ、静かに槍を振り払う。
黒リドルはその二人のやり取りにも何も言わず、瞳を閉じて一人笑った――。
そしてそれと同時、二人の背後で眩いばかりの閃光が奔る。
門の前で両膝立ちの姿勢となったダストベリーが祈りの言葉を発し、辺り一帯が、大陸が、この星全てが暖かい光に満ちた。
今このとき、ヴァーサス達が立つこの星全てが戦場となり、同時に彼ら最強の門番達が守るべき門そのものとなったのだ。
そして、まるで星がそうなるのを待っていたかのように、無数の星々の輝きが一斉に消える。
天が完全なる闇に包まれ、一切の光が消え失せる。
だがその闇は一瞬。
完全な無を越えた天はその闇を抱えきれぬかのようにひび割れ、大きく天に亀裂が走る。
決壊。天が割れ、粉々に砕けた闇が降ってくる。
この星の果てに住む者も、多くの人で賑わう大都市に住む者も、人里離れた森の奥地で眠る獣も。全てが同時にその光景を見た。
この星から見えるあらゆる空が鮮血の赤に染まり、かつてヴァーサスがヴァルナと対峙したときと同様、並の生命体であればその存在の気配を感じただけで即座にその生命活動を停止させられる、圧倒的な高次の風が世界を満たした。
しかし今、人々も、動物たちも、緑の大地も全ては無傷。
ダストベリーの展開するあらゆるものを遮断する最硬の障壁が、それらの侵入を拒絶する。
『حان الوقت للعودة. أولئك الذين يسدون طريقنا بغباء. اعرف عجز هذا الفعل.』
――その時、星に音が響いた。
それは、万物の終焉を告げる最後の審判。
その開始を告げる、終局の音だった――。
● ● ●
――東の門。
自らの所持する中で最も信頼し、最も高い魔法防御を持つ甲冑に身を包んだミズハが、赤く染まった天を見上げる。
たった今響き渡った音は、聞いただけでひれ伏すことを強制しようとする圧倒的な力に満ちていた。
「師匠……見ていてください」
ミズハは自らのカタカタと震える手のひらに目を落とす。
これは決して武者震いではない。恐怖の震えだ。
だが、そんな恐怖に震えるミズハの手のひらにそっと、小さな小さな手が二つ添えられる。
「心配しないで! こう見えて僕って結構強いんだからー! 今日は一緒に頑張ろうね、ミズハさん!」
「ルルさん……! はい! ありがとうございます!」
満面の笑みでミズハを励まし、そのままちょこんとミズハの肩口へと駆け上るのは金色の長い髪をなびかせた、青いケープを纏った小さな、本当に小さな女の子。
かつて、万を越える軍勢や数千もの魔導甲冑をたった一人で撃退し続け、魔王軍四天王の一人『姿無き魔将』の異名を取った少女――ルルトア・アースダイヤルである。
姿無きと言っても、実際はただ小さくて見えていなかっただけなのだが――。
振り落とされないよう、しっかりとミズハの甲冑の隙間に潜り込むルルトア。
ミズハは先ほど触れたルルトアの小さいが暖かい手の温もりを静かに握り締め、自らの二刀へと手をかける。
震えが止まる。
「来る……っ!」
『انها مملة. على الرغم من أنك وصلت إلى هذا الحد ، فهل يرحب بك شخصان فقط؟』
再び響く、先ほどとは違う色の音。
それは明確にミズハとルルトア、この場にいる二人へと向けられていた。
赤く染まった天を見上げるミズハ。
まるで鮮血の中から生まれ落ちるように、赤色の尾を纏わせ、引きずりながら異形が降臨する。
『جئت على أمل في شيء ممتع……どうかな。これでお前たちにも私の声が理解できるかな?』
「声が……」
先ほどまでただ耳に届く音として認識されていた神の声が、まるで再構築されるようにミズハの聞き慣れた音へとなめらかに変化していく。
『――私はレゴス。創造を司る神。未だ三つ目の歩みを生きる命よ……抗わず、終わりを受け入れてはくれないだろうか。新たなる世界においても、私は君たちを再び生み出すことを約束する』
レゴスと名乗ったその神に、ミズハは思わず息を呑んだ。
創造神レゴス。
この星に伝わる神話において、常に最高位に位置づけられる万物創造の神。
それが今、自身の目の前に――。
おそらくこの世界で知らぬ者のないその名に、ミズハは一度は後ずさり、しかしそこで踏みとどまった。
「初めまして、創造神レゴス様。私の名はミズハ・スイレン。この門を守る門番です。残念ですが、現在貴方にこの門の通行は許可されていません。大人しくお帰りいただけるなら良し――」
『帰らねば……どうするというのかな?』
「立ち去らず、この門を力によって押し通るというのなら……!」
ミズハはその一切の曇り無き銀色の瞳を天上の存在へと向け、見る者全てを魅了する流麗な所作で静かに、しかし決断的苛烈さを持って腰の二刀を抜き放った。
「このミズハ・スイレン。この場で貴方を切って捨てますっ!」
東の門番ミズハ・スイレン VS 創造神レゴス――開戦。