弟子を見舞う門番
弟子を見舞う門番

弟子を見舞う門番

 

 いつのまにか、どこまでも広がる青空は分厚い雲で覆われていた。

 どんよりとした景色の中、とっさに走り出したミズハは森を抜け、ナーリッジへと続く草原地帯へと駆けだしていく。

 ミズハの顔は俯き、ちゃんと前を見ているのかも定かではない。

 息は上がりきっていた。
 
 荒い呼吸を繰り返しているが、門番であるミズハがこの程度で息を乱すことは、本来ならば絶対にないことだった。

 先ほど見てしまったリドルとヴァーサスの姿が、まるで瞼の裏に固定されたかのように目を閉じてもはっきりと浮かんでくる。
  

 

 胸が苦しかった――。

 

 今まで、どんな強敵との戦いでもこんな痛みを感じたことはなかった。

 

 ――お二人は何を――。
 本当は知ってる。

 ――お二人は恋人同士ですから――。
 そうだね。

 ――リドルさんは恋人だから、師匠とあんなことをしてもいいんです――。
 そう。恋人同士ならいい。

 ――なにもおかしくない。早く戻って、師匠に挨拶して、今日も稽古を――。
 無理だ。こんなに心が乱れてる。

 ――稽古に行かなかったら、師匠は失望して私ともう会ってくれないかも――。
 そうなったら、どうするの?

 

「嫌……です。そんなの嫌です……っ! う、うううぅぅ~っ!」

 

 雨が降ってきた――。

 ミズハ自身は気づいていなかったが、ヴァーサスと出会い、弟子入りしてから今日まで、彼女が出かける前に要する身だしなみの時間は増える一方だった。

 いつもより念入りに、何度も何度もああでもないこうでもないと首を傾げながら髪を梳かし、服や甲冑のひもの結び目の向きやバランス、刀を差したときの体全体の見た目のチェックまで。

 それは、ともすればアイドル門番として精力的に活動していた頃よりも念入りに。

 今にも歌い出してしまいそうなほど上機嫌なミズハのその様子は、彼女をよく知り、普段から接しているレイランド家の使用人達も微笑ましく見ていたし、彼女にもきっと好きな人でも出来たのだろうというのは、実は公然の話になっていたのだ。

 だが――。

 今のミズハは走りながら自身の胸を押さえ、嗚咽を漏らし、降り出した雨に打たれるがまま、ナーリッジの玄関でもある大きな門を潜る。

 大通りを駆け抜け、途中声をかけてくれた大勢の街の人々にも気づかず、レイランド家の巨大な屋敷の塀を軽々と跳び越え、逃げるように、何もかもから目をそらすように自分の部屋へと飛び込むと、ろくに拭きもしないまま着ていた服を脱ぎ捨てる。

 

 ――もしかして……本当は私も――。

 

 最後に浮かんだ想いは形を成さずに霞の中に消える。
 それは、ミズハ自身がその想いを直視することを拒んでいるかのようだった。 

 ミズハは自分の部屋のベッドへと潜り込んで頭から羽毛の布団を被り、足を抱え、自分の小さな体をもっと小さくするよう丸めて目を閉じる。

 瞼の裏に再び浮かび上がるリドルとヴァーサスの姿を思い出さぬように、目を逸らすように、ミズハはそのまま静かに意識を手放した――。

 

 ●    ●    ●

 

「――では、行ってくる!」

「お気をつけて。ミズハさんのこと、よろしくお願いしますね」

「うむ。俺が彼女にしてやれることがあるかはわからないが、全力を尽くすつもりだ!」

 

 小屋の玄関先で見送るリドルに向かい、力強く頷くヴァーサス。

 ミズハが初めて稽古を欠席してから二日。

 ちょうど二日連続で稽古の予定が入っていたため翌日も様子を見た二人だったが、結局二日目もミズハがやってくることはなかった。

 

「しっかり見てきてあげてくださいね。それと、ちゃんとミズハさんのお話も聞いてあげてください。ミズハさんが何か言いたそうにしていたら、ゆっくり話せるようになるまで待ってあげるんですよ?」

「心得た。ミズハに悩みがあるのなら、いくらでも聞くのが師匠の勤め。できる限りのことはやらせてもらう!」

「ふふっ……最初はあんなに嫌がってたのに、今ではすっかり師匠なんですね。お願いしますね、ほんとに」

「しかしリドルは来なくて良いのか? 二人で行った方がミズハも喜ぶと思うのだが――」

 

 そう言って不思議そうな顔をするヴァーサス。

 そんなヴァーサスにリドルは乾いた笑いと共に首を左右に振ると、大きなため息をついた。

 リドルにはミズハが来なくなった理由の見当はもうついていたが、あえてそれをヴァーサスには伝えていない。

 ミズハの許可も無く、ましてやミズハ自身に自覚があるかもわからないその理由を、他人である自分が勝手な判断でヴァーサスへと説明するのはあまりにもはばかられたからだ。

 

「私もミズハさんにはとてもお世話になっていますし、彼女は私にとっても大切な友人です。ですけど、今回ばかりはヴァーサスに任せます。どうか彼女の力になってあげてください」

 

 リドルはそう言い、最後に聞こえるか聞こえないかという声で「それに、私が貴方と一緒に行くのはあまりにもあんまりです――」と、付け加えた。

 

「わかった。また戻ったら様子を報告する。もし俺の留守中に何かあればいつでも飛ばしてくれ!」

「はい、どうかお気をつけて。行ってらっしゃい!」

「うむ!」

 

 こうして、リドルに見送られたヴァーサスは、突然稽古に来なくなったミズハを見舞うため、レイランド卿の屋敷へと向かったのであった――。

 

 

 

 

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