戻ってきた門番
戻ってきた門番

戻ってきた門番

 

「この大馬鹿者がっ!」

 

 レイランド卿の怒声が室内に響き渡る。

 怒りに肩を震わせ、手に持った杖を今にも折らんばかりの剣幕を見せるレイランド卿。

 そしてそんな彼の前には、全身に傷を負い、俯きながら嗚咽を漏らすミズハの姿があった。

 

「申し訳……ありません……でも……っ……私では……私では駄目なんです……っ」

 

 レイランド卿が怒りによって肩を震わせているのなら、ミズハの体は凍り付くような恐怖によってガタガタと震えていた。

 まだ少女と呼んで差し支えない外見のミズハの小さな体が小刻みに震え、その銀色の瞳からは涙が止まることなく溢れ出ていた――。

 

 ●    ●    ●

 

 ――その日、ナーリッジの街は恐怖と絶望に包まれた。

 ナーリッジ最強の門番であるミズハ・スイレンによって倒されたはずの戦士バダムが、白昼堂々再び街に現れたからだ。

 既にナーリッジで満足に戦える門番はミズハしか残っていなかった。
 必然、強者との戦いを渇望するバダムが現れたのは、ミズハが立つ門の前。

 ついに人々の前に姿を現わしたバダム。
 
 周囲の人々も、配信石からミズハの門番配信を見ていた人々も、どちらもバダムが一太刀の元にミズハによって再び切り伏せられる姿を想像し、沸きに沸いた。

 だが、その結果は彼らが想像しうる中でも最悪のものだった。

 

『ヴァーサスはどこだ……! ヴァーサス! 俺ともう一度闘え! ヴァーサス!』

「あ……ああ……! そんな……どうして……あのとき、私は確かに……!」

『俺と闘え! 出てこいヴァーサス!』

「く……来るっ!」

 

 ヴァーサスの名を叫びながら、目の前に立つミズハへと襲いかかるバダム。

 配信石からはひっきりなしに応援のメッセージが流れ、視聴者の数を示す数字がそのカウントを増していく。

 その場に居合わせた周囲の人々はまるで素晴らしい見世物を見るかのような期待の目をミズハへと向けていた。しかし――。  

 

「守勢の型……椿囲い……っ!」

 

 ミズハとて一流の門番。

 いかにバダムが人間離れした身体能力を持つとはいっても、すでに一度見た動きだ。
 ミズハは腰の刀を二本同時に抜き放つと、バダムの凶刃を真正面から受け止めようと試みる。

 

『シィアアアアッ!』

「なんて……力……! 刀が……折れるっ!?」

『ヴァーサス! 出てこいヴァーサス!』

 

 バダムの一撃を受け止めたミズハの刀が火花と共に甲高い悲鳴を上げる。
 刀が折れることを防ごうといくらかの力を受け流したミズハだったが、それは完全に裏目に出た。

 

『弱者! 死ねぃ!』

「がっ!?」

 

 大上段からの一刀両断を防いだミズハだったが、力を受け流そうと半身を引いたその瞬間、バダムはその引いた先めがけて痛烈な空中回し蹴りを繰り出した。

 巨大な竜ですら昏倒させるであろう凄絶な一撃。

 ミズハの小柄な体は受け身を取ることすらできずに頑丈な鉄格子を破壊して突き抜け、そのまま数十メートルは離れた屋敷の庭園まで吹き飛ばされた。

 高々と巻き上がる粉塵。
 

 そして訪れる静寂――。

 

 ナーリッジの街の人々がすがる最後の希望、ミズハ・スイレンはいつまでたってもその衝撃から立ち上がることはなかった――。

 

「キャアアアアアア!」

 

 事ここに至り、ついに群衆の中から悲鳴を上げて逃げ出す者が現れた。

 群衆の逃走に巻き込まれた配信石は倒れて砕け散り、みな我先にとその場から走り去っていく。

 だが、バダムの目にはそれらの人々は全く映っていなかった。
 その瞳に浮かび上がるのは、槍と盾を持つ鋭い眼光の男のみ――。

 

『ヴァーサス……どこだ……どこにいる……ヴァーサス!』

 

 恐慌と錯乱の果て、誰一人としていなくなった門の前。
 バダムはその血に濡れた赤い瞳で辺りを見回し、ヴァーサスの名を叫んだ――。

 

 ●    ●    ●

 

「大勢の観衆が見ている前で手も足も出せずに無様に負けるとはっ! これまで貴様にかけてきたプロモーション費用も全て台無しだ! この意味がわかっているのか!?」

「申し訳……ありません……私が不甲斐ないばかりに……っ」

「申し訳ないですむことではない! しかもこれでナーリッジの門番は全滅だ! このままでは私の商売も危うい! この損失、一体どうしてくれる!?」

 

 途中で配信石が破壊されたとはいえ、そこに至るまでの門番配信でミズハの敗北はすでに大陸中に伝わってしまっていた。

 それはつまり、今のナーリッジに万全な状態の門番が一人もいないことが知れ渡ったことを意味していた。

 バダム討伐という巨大な名声を手に入れた直後。
 もっともミズハに注目が集まっていた時期だったことが、逆に仇となったのだ。

 

「もうなにもかも終わりだ! 貴様は首だっ! その情けない顔など二度と見たくもない! この……役立たずがっ!」

「……っ!」

 

 怒りで顔を真っ赤にしたレイランド卿が、ついにその杖を大きく振り上げた。
 そしてズタズタに傷ついたミズハめがけてその杖を叩きつける。

 

「――もういいだろう。彼女は立派に闘った。それで十分だ」

「なっ!? き、貴様は……っ!」

「はいはいはい。もう舐めた口は聞かせませんよ。この街であの男に勝てるのは私のとこの門番様だけなんですから。そこんとこよーーーーっく理解してください!」

「あなたは……ヴァーサスさん……っ」

 

 レイランド卿の杖がミズハへと振り下ろされることはなかった。
 突然その場に現れたヴァーサスが、レイランド卿の腕を横から掴んだのだ。

 さらにヴァーサスの背後からリドルとクレストが現れる。
 リドルはそのまま傷ついたミズハへと駆け寄り、彼女の傷の状態を確認した。

 

「貴様ら……! どうやってここに!? 誰の許可があってここまで来た!」

「門番がいない屋敷なんて入るのに許可要りますか~? ってのは冗談です。クレスト君から聞いてすぐに飛んできたんですよ。感謝こそされても怒られる覚えはありませんね」

「話はクレスト殿から聞かせてもらった……あの男が再び現れたと」

「クレスが……!?」

 

 まだまだ未熟とばかり思っていた我が子の素早い行動に驚き、困惑の表情を浮かべるレイランド卿。

 

「ごめんなさいお父様……でも、やっぱり今のお父様のお考えは理解できません。自分の家さえ有名になればナーリッジがどうなっても良いなんて、そんなこと絶対間違ってます!」

「く、クレス……」

 

 クレストは困惑するレイランド卿にはっきりと迷い無く抗議の声を上げた。

 そしてレイランド卿の腕を下ろし、傷ついたミズハに歩み寄るヴァーサス。

 ヴァーサスは泣きはらした顔のミズハに向かって笑みを浮かべると、彼女の肩にそっと手を置いた。

 

「よく逃げずに一人で立ち向かった……見事に役目を果たしたな」

「ヴァーサスさん……私は……っ! あなたに謝りたかったんです……! 私が未熟なせいで、あなたに大怪我を……! 全部……あなたのおかげだったのに……っ! 本当にごめんなさい……」

「謝る必要はない。あれは俺が望んでやったことだ」

「(私はまだ気にしてますよ。はい)」

 

 溢れる涙を止めようともせず、嗚咽と共にヴァーサスへと謝罪するミズハ。

 その謝罪を受け止めたヴァーサスは、横でミズハの傷を確認していたリドルへと目を向けると、二人で頷き合った。

 

「ミズハ殿、まだ動けるか?」

「えっ?」

「俺はこれから奴との決着をつけに行く。だがもし君の心がまだ折れていないのなら、俺と一緒にもう一度闘って欲しい」

「でも……私が行っても、きっとまた足手まといに……っ!」

「そんなことはない」

 

 立ち上がり、ミズハを見つめるヴァーサス。

 

「今、ナーリッジの人々の心は絶望に包まれている。その切っ掛けを作ったのが君の敗北であるというのなら、その絶望に光を灯すのは君の勝利以外にはない」

 

 そう言うとヴァーサスはミズハに向かってその大きな手のひらを差し出した。

 

「君が今まで積み重ねた門番としての日々は何一つとして無駄になどなってはいない。君の存在はすでに大勢の人々の心に深く刻まれているのだ。ただ俺があの男を倒すだけでは、この街を覆う絶望を完全に晴らすことはできない。頼む……もう一度俺に力を貸してくれ、ミズハ殿!」

 

 力強くそう断言するヴァーサス。

 ヴァーサスの話を聞くうち、いつのまにかミズハの涙は止まっている。

 

「行きます……こんな私でも、まだみんなの役に立てるなら……っ!」

 

 ミズハは頷き、差し出されたヴァーサスの手を握り締めた――。

  
 

 

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