静まりかえったナーリッジの高級住宅地。
今は深夜。
清潔で広い石畳の通りに、一定間隔でオレンジ色の街灯が輝いている。
「ヴァーサスさん……でしたか」
「なんだ?」
もはや動く物も見えないその通りの一角。
全身甲冑に盾と槍を構えたヴァーサスと、ナーリッジでは見慣れぬ特異な鎧に身を包んだ黒髪の少女が大きな門の前に立っていた。
ヴァーサスには覚えがあるが、彼女が身につけているのは遙か東の島国の戦士たちが身につける軽鎧だ。
腰には二振りの、やはりこちらもその島国で使われる刀と呼ばれる剣がぶら下がっている。
「先ほども言いましたが、事件の犯人は私が倒します。貴方がどれほどの腕前かは知りませんが、もし戦闘になったときは自分の身を守ることに専念してください」
「忠告感謝する、ミズハ殿。貴殿の事情は把握しているつもりだ。俺も善処しよう」
「っ……事情など! 私はこれ以上余計な犠牲者を出したくないだけです! 見てください、今も一万人以上の人が私が犯人を倒すのを楽しみにしているんですよ!」
ミズハと呼ばれた小柄な少女はヴァーサスに向け鋭い眼光を向けた。そして同時に、すぐ横に浮遊する青い立方体を指さす。
その立方体の周囲にはなにやら変動する数字が常時表示され、時折軽快な効果音とともに「○○さんがミズハさんに応援のお金を送っています」という機械的な音声が流れていた。
「みんな! いつも私の門番配信を見に来てくれてありがとう! 事件のせいでみんなも毎日怖くて不安だと思うけど、今日こそ私が犯人を倒します! だから、みんなも応援と配信石の登録よろしくお願いしますね!」
ミズハはキリっとした真剣な表情から物憂げな表情、そして見る者を元気づけるような満面の笑顔へと表情を変えつつ、はきはきとした口調で石に向かって声を上げる。
すると配信石の輝きが更に増し、機械音声が故障したかのような勢いで連続して鳴り響いた。石に浮かぶ数字はまもなく二万人に到達しそうな勢いである。
「ほほー? そんなこと言って大丈夫ですか~? すぐにヴァーサスさん助けて~! ってなっちゃうんじゃないですか~? 門番配信中にプリケツ晒しちゃっても知らないですよ~?」
そしてその二人の背後。
巨大で頑丈な鉄格子の門の奥。屋敷の敷地側から不満顔のリドルが現れる。
リドルの横には仮設のテントが設置されており、そこで休めるようになっていた。
「さっきからどうしたんだリドル……先ほどのことなら俺は気にしていない」
「ヴァーサスが気にしなくても私は気にします! あんな舐めた口きくような奴、守らなくてもいいんじゃないでしょーか! はい!」
「主様は至極全うなことを言ったまでです。クレスト様のご友人でなければ、そもそもこうして私の門番としての仕事を手伝うなどということも許可されなかったはず。クレスト様に感謝してください」
「ぐぬぬー! 手伝ってあげてるのはこっちですから!」
「いいんだリドル。俺はあの地獄の就職試験でこういった扱いには慣れた。俺が正当な評価をされるには行動で示すしかないだろう」
ヴァーサスはどこか遠い目で、悟ったような口調でそう言った。
● ● ●
先ほどのこととは、今回の依頼主クレスト少年の父である、ハッシュ・レイランド卿との面会の時の事だ――。
豪華な内装の室内に、優雅な楽曲が流れる。
およそ調度品一つで庶民の一生分の稼ぎに相当するような恐るべき部屋。
そこでは大きなソファーに腰掛けた初老の男性――ハッシュ・レイランド卿が、手元の羊皮紙を眺めて思案するように首を傾げていた。
「事件の犯人撃破に協力……か。私としてはミズハが一人で倒すという筋書きが見栄えが良くていいかと思っていたのだがね……まあ、木っ端門番一人でどうなるものでもないだろう。可愛い我が子の頼みだ。くれぐれもミズハの邪魔をしないというのなら、許可してやる」
「ありがたい! ならばこのヴァーサス、レイランド卿の門番殿と協力して事にあたるとしよう!」
レイランド卿が見ていたのはヴァーサスが門番試験を受けにきた時の試験結果である。
ナーリッジの有力者全てを回ったヴァーサスは、このレイランド卿の屋敷にも当然訪れていた。結果は無残なものだったが――。
「ああ……ヴァーサス君? ちょっとこっちへ」
「なんだ?」
レイランド卿はその羊皮紙の内容を見て鼻で笑うと、手招きしてヴァーサスを近くに呼んだ。
「重ねて言うが、ミズハの邪魔は絶対にするなよ。今回の事件は絶好のショーなのだ。他の門番どもが手も足も出なかった犯人を我が門番が単独で倒す。これが世に知られれば、我がレイランド家の名誉はナーリッジだけでなく大陸中に轟くことになる」
「ほう……そうか、それは良かったな」
「そうだ。貴様のような魅力ゼロの薄汚い男には理解できんだろうが、この事件が起きてからミズハの門番配信の視聴者は倍以上に増えた。今やナーリッジ以外の街からも大勢の人々が見に来ている。人々が期待しているのはミズハが華麗に犯罪者を打ち倒すところだ。それを絶対に忘れるんじゃないぞ!」
「ふむ。心得た」
「腕自慢の門番はそれこそ掃いて捨てるほどいるからな。貴様がそうだとは思わんが、もしミズハではなく貴様が犯人を倒すような間違いがあっては困る。わかったな、門番ヴァーサスくん……!」
言って、レイランド卿はヴァーサスの分厚い胸板を嘲るようにポンポンと叩いた――。
● ● ●
「ぐぬぬ……! 今思い出してもムカムカしてきます! あの絵に描いたような欲深貴族! あれが本当にクレスト君のお父さんなんですか!? もしかしてこの事件の犯人ってあの人なんじゃないです!?」
「それは無理だな。いくらなんでも弱すぎる」
「なら黒幕でひとつ!」
「なるほど! それならあり得るかもしれん!」
「二人とも、私の主を侮辱するような発言は許しませんよ! 私語は慎んでください!」
もう深夜だというのにやいやいと盛り上がる二人。
ミズハは厳しい声で二人へと注意を促すと、再び鋭い眼光を闇の中に向けた。
だが、まさにその時である――。
「……リドル、下がっていろ。どうやら現れたようだ」
「この殺気……正面からこの私に挑むというわけですか。愚かですね」
リドルに下がるよう促すヴァーサス。
その横ではミズハが腰の刀へと手を伸ばしていた。
二人の正面にまっすぐ伸びる道の先。
凄まじい殺気を隠そうともしない人影が幽鬼のように浮かび上がる。
「来ましたか。どうかお気をつけて」
「ああ。任せてくれ」
ミズハの配信を見ていた視聴者たちも、そのただならぬ雰囲気を察したのだろう。
浮遊する配信石からひっきりなしに応援の効果音が流れてくる。
視聴者の数はついに三万人を突破した。
『第五戦 門番VS門番連続殺人犯――――開戦』
「――俺か」
「えっ?」
瞬間、門の間近で凄まじい火花が散った。
金属と金属のぶつかり合う甲高い音が辺りに響き、突風が巻き起こる。
「見事な速さだ。並の使い手なら今ので首が飛んでいたな」
「い、いつの間に背後へ……!? さっきまで、確かに正面から……!」
まだ距離は数十メートル以上あった。
明らかに生物の限界速度を超えた、恐るべき身体能力。
ミズハは反応できず、柄にかけた手を動かすことが出来なかった。
だがヴァーサスは前を向いたままで背後へと槍だけを掲げ、突然の襲撃者からの致命の一撃を難なく防ぎきっていた。
「俺はヴァーサス! この門を守る臨時の門番だ! 貴殿にはこの門の通行、及び門番への暴行は許可されていない! よってここで捕縛する!」
『……貴様……強き者、だな……俺と、闘え……強き者……』
槍を振り払い、襲撃者を自身の前方へと跳ね飛ばすヴァーサス。
だが襲撃者は自らの一撃を受け止められたにもかかわらず、興奮したように、喜ばしいことが起きたかのようにその顔に笑みを浮かべた――。