おお! 我らが祖国。偉大なるロシアが手にした木星の地よ。
おお! 我らが領土。聖なるロシアが望んだ我らの星よ。
木星帝国。愛しき我らの祖国よ。
木星帝国。空覆う巨大なる星よ。
讃えよ! 汝らが望むものは全てここにあり!
歓喜せよ! 我らが望むものは全てここにあり!
その時、その宙域に存在する全ての人々は高らかに響く勇壮な歌声を聴いた。
ロシア語で歌われるその響きは、太陽系連合の中枢を構成する一大勢力、木星帝国の国歌『讃えよ、我が故郷の星』である。
「な、なんだこの歌はっ!?」
「クラリカさんっ! 戻られてたんですねっ!」
『アーハハハ! お元気そうで何よりです。私がいない間、ティオにも随分と苦労をおかけしてしまったようで』
その歌声をバックに、虚空から突如として亜空間転移してきたのは、全長250m程の三つの顔を持つ人型のTW。しかしそのTWの胴体部分は、半ばから全長2000mはある巨大な大砲に埋まっていた。
『我々木星帝国人は、全ての労働に対して等しい対価の支払いを約束していますっ! 貴方が私不在のラースタチカを命がけで守り抜いたというのなら――――帝国皇女である私も、このトリグラフと共に貴方の尊い奉仕に報いてみせましょう!』
『ふん――――何かと思えば、先ほどの我らの力を見ていなかったのか? いかに大がかりな兵器を用意しようと、我らが操る神の肉体に傷をつけることは不可能だ』
『はてさて、それはどうでしょう!? この私にそういう台詞を吐いた方で、今も生きている方はおりませんけどねぇ!?』
その場に現れたトリグラフの巨砲にも全く怯む様子を見せないグノーシス。
先ほどまでバーバヤーガ相手に見せた取り乱す姿も既にない。
『なるほど、どうやら自身の力に余程自信があるようだ。ならば――――ここは油断せず、それを撃たれる前に破壊させて貰うとしよう!』
グノーシスの判断は速かった。
先ほどは油断からバーバヤーガによって無様な傷を負わされているのだ。
もはやそのような失態を晒すわけにはいかない。
グノーシスの灰褐色の機体の輪郭がぼやける。
それは、先ほどミナトの乗るクルースニクを大破させた瞬間移動の前動作だ。
相当に離れた距離で大砲を構えるクラリカのトリグラフめがけ、グノーシスは瞬間移動で一気に距離を詰めにかかる。しかし――――!
『ハッ! どうぞご自由に! できるならの話ですけど――――!』
『!? これは…………時空間が閉じられている――――いつのまに!?』
「これ――――時空間断層!? まさか、ラエル艦長!?」
「なんだ!? 俺たちの回りの景色だけが割れていくぞ!?」
『――――やあやあ諸君、お待たせして悪かったね。よく私の指示通りに耐えてくれた』
瞬間移動を試みたグノーシスの機体が、まるで見えない壁に叩きつけられたかのようにして弾かれる。
見れば、バーバヤーガとグノーシスがいる空間の周囲が大きく歪み、ひび割れ、まるで空間そのものが巨大な地割れでも起こしたかのように、周囲の星々の輝きが闇の奈落へと引きずり込まれていく。
そしてそこに響く、ラエルノアの普段と変わらぬ静かな声。
バーバヤーガのコックピットに乗るティオは何かを察したのか、その幼く丸い顔をぞっと青ざめさせてカタカタと震えた。
『グノーシス、君たちの存在は私も聞いたことがある。まさかこうして実際にこの眼で見ることになるとは思わなかったけどね』
『貴様――――これほどの強度の時空間断層を生み出せるとは。なるほど、ここにいる仲間を見捨て、我ら諸共葬り去る算段か。旧世代の考えそうなことだ』
巨大な青と赤の惑星を背に、その形状をはばたく鳥から巨大な一振りの剣のような姿へと組み替えたラースタチカがその砲門をゆっくりと展開する。
グノーシスとバーバヤーガのいる空間に、幾何学的な模様が描かれた正円が何重にも展開され、その場から決して逃げられないよう強力な牢獄が形成される。
「あ、あのぉ……? ラエル艦長……? も……もしかして……本当に僕たちごと真空崩壊砲を撃つつもりじゃあ…………」
『クククッ! 愚問だね――――勿論そのつもりだよ、ティオ君ッ!』
「ぎゃああああああ!? やっぱりいいいいいいい!?」
「ど、どういうことだティオ!? そのなんたらカタストロフィというのはなんなのだ!? 君の心が慌てふためいていて上手く読み取れないのだが!?」
『簡単に言えば、その場に真空崩壊を起こして全てを無に帰すラースタチカの最終兵器さ。今回は念のため、トリグラフの持つマイクロブラックホール放射砲もダメ押しで叩き込む。ま、これで死ななかったら嘘だね』
「な、なんだとおおおおおおお!? そんなことをしたら俺たちも死んでしまうぞッ!?」
あまりにも無慈悲に告げられるラエルノアの宣告。
しかしそれを同じように聞いていた灰褐色の機神――――グノーシスは、その背面に備えた八条もの禍々しい翼から赤黒いエネルギーを放出すると、眼下のラースタチカに照準を合わせる。
『馬鹿め――――やってみるがいい! 旧世代の力ごとき、神から授けられた我が力で葬り去ってくれる!』
『いいだろう。なら、力比べといこうか――――真空崩壊砲、発射』
『こちらもいきますよっ! マイクロブラックホール生成完了――――! ベクトル安定性確認――――! 放射開始!』
瞬間、トリグラフの巨砲と、剣と化したラースタチカから放たれた二条の閃光が絡み合うようにしてグノーシスめがけて放たれた。
灰褐色の機神、グノーシスもまたその全身から膨大なエネルギーを撃ち放つ。
そしてそのすぐ隣、為す術もなくふわふわと浮かぶバーバヤーガの内部では――――
「あわわわわっ! も、もう駄目ですっ! 死んじゃいますっ!」
「うおおおおおお!? まずいっ! まずいぞこれは!? なにか良い脱出方法は――――っと……そうだティオ! 今思い出したが、俺は脱出ボタンではないかっ!」
「はわっ!? そ、そうでしたっ! でもでも、ここで僕がボタンさんを押しても、無事に逃げられるのは僕だけなんじゃ!? ここで前みたいにボタンさんを置いていったら、今度こそ本当にボタンさんが死んじゃいますっ!」
バーバヤーガのコックピット内部で慌てふためくティオとボタンゼルド。
その間にも、バーバヤーガのすぐ傍では二つの極大エネルギーが正面からぶつかり合い、バーバヤーガの強固な装甲板を冗談のようにボロボロと崩壊させ続けていた。
『――――それなら心配ないよ。まだ試してないけど、二人の精神が完全にリンクしている今なら、ティオと一緒にボタン君もラースタチカに戻ってこれるはずさ』
「ラエル艦長っ!?」
「そうだったのか! しかしそのつもりなら最初からそう言ってくれれば!」
『ごめんごめん、どうやら私たちの通信は全てグノーシスに筒抜けだったようなのでね。申し訳ないけど、最後までこうして伏せさせて貰ったんだ』
今この時もグノーシスと生死をかけた撃ち合いを繰り広げているというのに、ラエルノアは平然と、完全な冷静さを持って二人にそう告げた。
『まあ、そういうわけだから、君たちも早くそこから脱出した方が良いよ。本当に死んでしまうからね』
「わかった――――! やってくれ、ティオ!」
「は、はいっ! いきますね、ボタンさんっ!」
ラエルの言葉に促され、目の前のボタンゼルドのキリリとした顔をむぎゅむぎゅと押し込むティオ。
それによってボタンゼルドとティオの体が閃光に包まれ消えるのと同時、バーバヤーガの姿も光の粒となって消滅する。
『ぐ――――ぐぐ――――馬鹿、な――――! 旧世代が、我らの力を――――上回る――――?』
『完成された理論に旧いも新しいもないよ。どちらがより洗練されているか――――それだけさ』
『ぐおおおおおおおお――――ッ! 旧世代ごときがあああああ――――――ッ!』
赤黒の粒子が時空間の崩壊に飲み込まれて消える。
跡形もなく砕けていく灰褐色の機体を、トリグラフの放った極大の重力がさらに圧縮し、押し潰していく。
エネルギーの発生から数十秒後。
完全に閉じられた空間でぶつかり合った極大の破滅は跡形もなく消滅し、漆黒の宇宙は嘘のように静寂を取り戻したのであった――――。