そして始まる黒姫
そして始まる黒姫

そして始まる黒姫

 

「あ、お帰りなさい黒姫さん! もうお用事は済んだんですか?」

「おはよう黒リドルよ! 今日も良い天気だな!」

 

 黒姫が目を覚ますと、すでに夜は明けていた。未来世界の自分自身と意識の交換を行ってから少なくとも一ヶ月以上の体感時間を過ごしていたが、本来の時間軸では全く時間が進んではいなかった。

 

「クックック! 良い朝だな二人とも。今日も貴様ら二人とこうして挨拶できることを喜ばしく思う……私は大層な幸せ者だとなッ!」

「おお!? 俺も黒リドルと挨拶できて嬉しいぞっ!」

「だ、大丈夫ですか黒姫さん? いきなりそんなこと言い出すなんて。昨日の夜も妙にテンション高かったですけど、変な物でも食べました?」

 

 巨大な門の横にあるリドルとヴァーサスの家の前。

 まだ朝も早くから水くみや朝食の準備に忙しいリドルとヴァーサス。黒姫はそんな二人の前に現れると、開口一番謎のポーズを決めてそう言った。

 ヴァーサスはそんな黒姫を満面の笑みで迎えたが、リドルは明らかに様子の違う黒姫を心配するようにして歩み寄ってくる。

 

「昨日も夜遅くになってからいきなり髪の毛が欲しいとか言い出してびっくりしましたよ。もしかして、またなにか怪しげな儀式でもするんですか?」

「髪の毛…………そういうことか」

 

 リドルのその言葉に、合点がいったという表情になる黒姫。恐らく未来黒姫が言っていた現代のリドルのエントロピーが必要とは、その髪の毛のことだったのだろう。黒姫は一度目を閉じて笑うと、カッと目を見開いて邪悪なオーラを発しながら宣言する。

 

「フッ…………なぁに、白姫の体細胞からヴァーサスを魅了する惚れ薬を調薬し、無理矢理にでもヴァーサスを我が物にする計画の一端よ! クハハハハッ!」

「惚れ薬……? なんだそれは?」

「まだそんなこと言ってるんですかーっ!? 人の夫に無断で惚れ薬を盛るのは犯罪っ! たまに一緒に寝るくらいはいいですけど、あまりにもあんまりだと本当に臭い飯食べるはめになりますよっ!」

「クックックッ! この私がそう易々とヴァーサスを諦めるわけがなかろう! たとえ何年、何百年かかろうとも、必ず我が物としてみせるわッ! どうだ白姫よ、ヴァーサスの所有権を百年ごとに交替するというのは?」

「なに言ってんですかこの世紀末トゲトゲ次元の破壊者は!?」

「ハッハッハ! 流石に百年後は俺も死んでいる気がするぞ!」

 

 最早恒例となったやりとりを交えながらも、黒姫もリドルも、ヴァーサスもまた笑顔だった。リドルとヴァーサスだけでも、リドルと黒姫だけでもない。そこには確かに三人の時間があった。

 黒姫は笑みを浮かべながら、未来黒姫との最後の会話を思い出す――――。

 

『――――これで、本当に最後です。お見送りして頂いてもいいですか? あなたに見せたいものもあるんです』

「私に見せたいもの、ですか――――?」

 

 穏やかに頷き、黒姫へと手をさしのべる未来黒姫。その手に促され、黒姫は漆黒の闇を抜け、見慣れた狭間の世界へと飛び出した。

 無数の光と闇が渦を巻き、いくつもの可能性が生まれる狭間の世界。たとえ時が経とうとも、あまりにも巨大なその空間の景色が様変わりすることはまずあり得ない。しかし――――。

 

「すごい……。こんなに、狭間の世界が……光ってる……っ」

 

 ――――そこは、黒姫の知る狭間の世界とは似ても似つかぬ場所だった。

 目で追うことも、数えることも出来ぬほどの可能性の分岐が次々と生まれ、無数の宇宙が未来へと向かって突き進んでいく。その増加速度はもはや光すら越え、かつて光と闇が拮抗していたはずの黒姫の知る狭間の世界は、もはや眩しいほどに輝く閃光の領域となっていた。

 

本当はこれが普通なんです。かつての私が、そして今のあなたがいるあの世界は、あまりにも多くの可能性が破壊された傷ついた世界――――でも、その傷を癒やして今のこの光景を取り戻したのも、あなたであり私たちです。この意味、わかりますよね?』

 

 あまりの光景に圧倒され、言葉を失って立ち尽くす黒姫。

 黒姫は意識を集中させて自身の領域を展開すると、次々と生まれる可能性を探った。するとそれらの可能性の中には、その時を懸命に生きる成長したヴァーサスや、この未来黒姫が向かった先の、リドルとして生きる黒姫の未来もすでに混ざっていることがわかる。

 かつて黒姫が千年にわたって見続けてきた、強制的な滅びへと向かう世界はほとんど存在していなかった。未来は、すでに開かれていた――――。

 

「良かった……世界はもう滅びたりしなくなったんですね……っ。本当に良かった……っ」

 

 無数の滅びを見届け、さらには自分自身もその滅びの一端を担ってしまっていた黒姫は、目の前に広がる光景に安堵の涙を零した。だがそんな黒姫に、未来黒姫は真剣な眼差しで言葉を発する。

 

『――――いいえ。あなたもご存じの通り、未来というのは常に不確定なものです。そして、この光景を生み出せるかどうかは全て、今あなたが居るあの世界にかかっています。もしあなたが、白姫が、そしてヴァーサスが……あの先に待つ脅威に屈すれば、この光景は訪れません。全ては幻になります』

「私たちに……全てが――――」

『だから気を抜かないで頑張って下さいね! 私だってせっかく二百年も待ったのに、全部ダメにされたりしたら死んでも死にきれませんから!』

 

 笑みを浮かべる未来黒姫の姿が薄れ、その輪郭が曖昧になっていく。

 

『でもきっと大丈夫……私たちは絶対に負けません。何年だって、何百年だって――――私たち黒姫は、夢も恋も……幸せだって、何一つ諦めたりしない。だから、先に行ってちゃんと待っててあげないと。また、次の黒姫が始まるのを――――』

「そうだったんですね……じゃあ、私もいつかそうして……」

 

 この未来の狭間において、既に黒姫の運命の輪は完成を見ていた。

 リドルが黒姫となり、その黒姫がリドルとヴァーサスの世界へと訪れる。そしてその世界を救い、未来を切り開いた上で、自分自身がその次の世界のリドルとなってそこに訪れる黒姫を導き、黒姫へと自身の門を託してその一生を終える――――。

 それは未来黒姫が言うように、元の時間軸では決して成しえない因果のループだった。そもそも黒姫が出会ったリドルは正真正銘ただのリドルだった。決して黒姫としての意識を持ったリドルではない。間違いなく、全ての始まりはあのリドルとヴァーサスの出会いが基点だった。

 今の黒姫がいる狭間では、黒姫とリドルのループはまだ始まってすらいないのだ。その因果へと辿り着けるかは、全て今の黒姫自身の力にかかっていた――――。

 

『じゃあ、どうかお体に気をつけて! アレが来る前に食中毒や流行病で病死とかしたら許しませんからね!』

「――――ありがとうございます! 私、本当に色々な事を教えて貰いました! 絶対に、絶対にあなたの未来に繋いで見せますから!」

 

 既にその場には声だけが響いていた。黒姫は、自分の意識が元の時間軸へと戻っていくのを感じた。僅かな時間だったが、確かに因果を結んだ未来の黒姫との距離が離れ、薄れていく。

 

『あ――――そういえばですね。さっきのお試し期間の世界ですけど、そのまま時空凍結して残してあります。あの続きから始めても、遡ったところから始めるのもお好きなようにしてください! これが私からの労働報酬ということでひとつ!』

「む、むちゃくちゃすぎますよそれ!? どんだけパワー有り余ってるんですか!?」

『たははは! ずっと応援してますよ、お互い頑張りましょうね――――!』

 

 その言葉が最後だった。

 黒姫は自身を励まし、支えるような暖かい領域の導きを受けながら、本来の時空へと帰還した。そして、今――――。

 

「あれ? 黒姫さんっ?」

「――――貸せ。この私にかかれば洗濯の一つや二つ造作もないことッ!」

 

 そう言うと黒姫は、リドルが持ち上げようとしていた洗濯籠を自身の力でふよふよと浮遊させ、そのままフルオートで物干しロープへと濡れた衣服を掛けていく。

 

「あらら……助かりますけど、本当にどうしちゃったんですか?」

「どうしたもこうしたもない! 今の白姫は大事な時期なのだ。それに私は最初から親切! 安心! 安全の黒姫だったであろうっ!?」

「ふふふっ……そうでしたそうでした! ありがとうございますね、黒姫さんっ!」

「おお!? なにやら途轍もない速度で洗濯が終わっていくぞ! これは俺も負けてられん!」

 

 その様子に驚いたような表情を浮かべたリドルだったが、すぐに笑みを浮かべて黒姫に感謝を述べた。そしてリドルと同様に、より重いシーツや布団を干そうと両手に抱えていたヴァーサスも黒姫に触発され、凄まじい勢いで作業へと取りかかっていく――――。

 

 それは、三人にとってかけがえのない今だった。

 やがて訪れる黒姫の終わり。

 必ず至ると決めたその時まで、黒姫は黒姫として今を懸命に生きる。

 いつの日かリドルに戻る、その時まで――――。

 

 

『黒姫 VS 未来黒姫 黒姫○ 未来黒姫○ 決まり手:リドルに戻った』

 

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