店じまいの黒姫
店じまいの黒姫

店じまいの黒姫

 

 ルクスにとって、黒姫は実の母よりも母らしい存在だった。

 今や銀河を股にかけてその規模が拡大するパーペチュアルカレンダー家の家業は相当に忙しく、ルクスの今までの人生において、実の母と過ごした時間よりも黒姫と過ごした時間の方が長い。

 リドルは、その身に宿した自身の門を黒姫へと託した。

 故に、門の持つ本質的な能力はリドルの子孫には誰一人として受け継がれていない。座標転移や質量操作のような僅かな力を発現した者はいたものの、並行世界を行き来するほどの超絶の力を発揮した存在はいなかった。

 【できる限り稼ぎ、自分自身はできる限り楽をする】というモットーを持っていたリドルだが、四世代後のルクスの母はパーペチュアルカレンダー家の人間としては驚くほど真面目だった。おかげで家業は大いに軌道にのったものの、その子供であるルクスにはそのしわ寄せが多少なりとも及んでいたのだ。

 

「あ! 黒姫さん、ちょうど今ペペロンチーノが出来たところですよ! そろそろ呼びに行こうと思ってたんです!」

「いやぁ、とっても良い匂いがしましたので、ついついこうしてやってきてしまいましたよ。では私は食器を用意しますね!」

 

 笑みを浮かべ、仲良く、手際よく食事の準備を進めていく黒姫とルクス。その様子を、過去からやってきた黒姫は自身の内から見ていた。

 そう、今ルクスとこうして会話している黒姫は、すでに本来のこの時間軸に存在する未来の黒姫だ。過去からやってきた黒姫は、別領域からその様子を眺めている――――。

 

『――――私が門の力を使って生み出したあの分岐の世界へと赴くことで、この宇宙での私の役目は全て終わります。私が持っている二つの門も私と共に消滅し、この宇宙からは門という存在そのものが消える――――この門のおかげで色々ありましたが、もうこの宇宙には必要のないものですからね――――』

「門が……消える? 本当にそんなことが可能なんですか?」

 

 未来黒姫がルクスの元へと赴く前。未来黒姫の言ったその言葉に、黒姫は驚きの声を上げた。エルシエルも、勿論自分も、ずっと門の消滅方法について研究してきたが、結局手がかり一つ掴むことは出来なかったのだ。しかし――――。

 

『ふふっ……あなたのいた時間軸ではまだ無理です。でもこの頃にはもう、門のリンクは切れてますから。 ――――言ったでしょう? あなたにはまだ、これから色々あるんです。きっと大変だと思いますよ』
 

 

 未来黒姫は笑みを浮かべ、その赤い瞳に追想の色を浮かべる。黒姫にはその追憶の内容を窺い知ることはできなかったが、彼女も当然大変なことが起こるのには慣れている。きっと、そういうことなのだろう。

 

『――――ルクスとは、彼が生まれたときからの付き合いで、とても仲良くなれました。今の私にとって、彼は間違いなく大切な存在です。実はもう他の皆さんとはお別れを済ませてあるんですが、彼とはこうして最後の時間を過ごしてからお別れしようと思いまして』

「だから修行って言って連れ出したと……。でも、それならルクス君は凄く悲しむでしょうね――――少しお話しただけの私でも、彼の気持ちは良く伝わってきましたから――――」

 

 未来黒姫の言葉に、表情を曇らせる黒姫。

 たった数日という時間だったが、ルクスが未来黒姫のことを心から慕っているのは明らかだった。ルクスは利発で素直、そして他者を思いやる確かな優しさを持っている。そんな彼がかけがえのない存在を失うという事実に、黒姫は心が痛んだ。

 

『大丈夫です! ルクスは私がつきっきりで面倒を見た、私がこの世界に遺す最後のエントロピーなんです。とっっっっても素敵で、びっくりするほど賢い子なんですから!』

 そう言って笑う未来黒姫の顔は、まるで実の母親であるかのように優しく、思いやりに満ちていた――――。

 

 ●    ●    ●

 

 やがて、二人の最後の食事は静かに、しかし暖かに終わりを告げた。

 明日はどうするのか、今日はこうだったと、本当に楽しそうに話しながら満面の笑みを浮かべるルクス。未来黒姫はそんなルクスを優しく見つめ、頷きながらいつまでもその話を聞いていた。

 そして――――。

 

「ルクス……実は、今日はあなたに大切なお話があるんです――――」

 

 未来黒姫はルクスに別れを告げた。

 もう自分のこの宇宙での役目は終わったと。自分の物語を終えるために旅立つと。そして、ルクスこそ自分が去った後のこの宇宙と、未来黒姫が大切に思い、守ってきた人々を任せることが出来る、かけがえのない存在だと言うことを――――。

 未来黒姫の話を聞いたルクスは暫し呆然としていたが、やがて大粒の涙を零して叫んだ。行かないで欲しいと懇願し、ずっと傍にいて欲しいと願った。

 黒姫に抱きしめられたルクスは様々な言葉を尽くして黒姫を引き留めようとした。言葉を尽くす。それがルクスが黒姫から教えられた、唯一にして最高の解決方法だったからだ。黒姫もまた、ルクスのそんな想いに一つ一つ、丁寧に答えた。

 

「もう、私がこの世界でやるべきことは全てやりました。ルクスがこんなに立派になるまで傍に居られたのも、それをこうして見届けることができたのも、とても幸せな時間でしたよ。ありがとうルクス――――私の大好きなこの世界のこと、よろしくお願いしますね――――」

「黒姫さん……っ! くろひめ……さん……っ……!」

 

 そうして――――。

 修行予定だった残りの数日。最後の時となった二人の時間を共に過ごしたルクスと未来黒姫。予定されていた修行日程を全て終えた帰還の朝――――。

 

「では、ルクスもどうか体には気をつけて。この世界と、貴方たちの未来がいつまでも続いていくことを、遠くからずっと祈っていますよ――――」

「はい……っ! 僕はぜったいに! 絶対に黒姫さんのこと忘れません……っ! 今まで、僕たちやこの世界を大好きでいてくれて……ありがとうございました……っ! 僕も……くろひめさんのこと……大好きです…………っ!」

「私こそ、ずっと昔にこの世界に辿り着いて、その最後の時間をルクスと過ごせて本当に幸せでした。ありがとうございます――――お元気で」

 

 黒姫は眩しいほどの朝日の輝きの下、世界から旅立った。

 ルクスは、その眩しさの中に消えていく黒姫の笑顔を最後まで見ていた。何度も溢れる涙を拭い、少しでも鮮明に彼女の笑みを焼き付けようと、必死に目をこらして見つめていた――――。

 二百年の長きにわたってこの宇宙を見守り続けた一人の守護者は、ついにその役目を終えた。これからは、ルクスを初めとしたこの世界に生きる命一つ一つが、自らの幸せと命を守っていくことになる――――。

 無数の超常と異常をこの宇宙にもたらし続けた門もまた黒姫と共に消滅し、この宇宙のエントロピーは穏やかに安定へと向かっていくだろう。それは、確かに一つの時代の終わりを意味していた。そして――――。

 

『――――というわけで、私の黒姫としての時間もそろそろ終わりです。あなたにも随分と付き合わせてしまってすみませんでした。次は……あなたが頑張る番ですよ、黒姫さん――――』

「――――ええ。任せてください」

 

 薄暗い闇の中、輝きを放つ二人の黒姫。

 にっこりと笑みを浮かべる未来黒姫のその言葉に、確かな決意を宿した瞳で力強く頷く黒姫。彼女の物語は、まだ続く――――。

 

 

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