声をかける黒姫
声をかける黒姫

声をかける黒姫

 

 思わず声を出しそうになった。

 目の前に見えたその背中に、今すぐ走り寄って何があったのか尋ねたかった。彼があれ程までに落ち込んでいるところを見たことがなかった。

 間違いない、間違えようがない。その大きな背中は黒姫もよく知る男の背中だった。しかし、黒姫はすぐにその強固な理性で自身を押しとどめる。もしや、これは先ほどの未来の自分が、過去のリドルと意識を入れ替えて黒姫をこの場へと送り込んだのではないかと。

 黒姫には今の光景の覚えがなかった。つまり、この景色はきっとなにか別の――――。

 

『(あーもう! 我ながらほんっとうに我慢ばっかりするんですから! いいんですよ、この世界はそういうのじゃないです。正真正銘、私が白姫の力を借りて生み出した新しい分岐の世界です。だから、ここではあなたの好きにして良いんですよ――――)』

(新しい、分岐の世界――――?)

『(ですです。私はもっと前の、お父さんがお母さんを殺そうとするあたりから始める予定ですけど。今回はお試し版なので、あなたにはここから体験してもらいますね! ほらほら、今あなたはどうするつもりだったんでしたっけ?)』

(え? どうするって――――えーっと? はてさて――――?)

 

 未来の自分の声が脳内に響き、黒姫に行動を促す。

 ――――そういえば、ずっと門を守ってくれていた母の残した最後のゴーレム、クルセイダス君六号がついに壊れてしまったのだった。このままでは門の力が辺りに漏れ出し、きっと面倒なことになる。

 

(とはいえ、門から出てくる化け物と戦えるような人なんて、そうそうみつかるわけないですよねぇ――――)

 

 これはまた厄介なことになったものだとため息をつく黒姫は、うむむうむむと難しい顔をして噴水広場の横を歩いて行く、その時――――。

 

「きゃー! 泥棒、泥棒です! 誰か!」

 

 突然、広場の方で悲鳴が上がった。見れば傭兵崩れのような柄の悪い男が少女の持っていた荷物を奪おうとしているではないか。黒姫はすかさず自身の力でその男を適当に跳ばしてやろうと身構えたが、その場には黒姫よりも早く動いた男がいた。

 

「お嬢さん! 君の荷物はこれでいいかな?」

「え? あ、はい――そ、そうです――」

 

 黒姫にもその動きは全く捉えられなかった。目にもとまらぬ速さとはまさにこのことだろう。瞬きした次の瞬間には、ひったくり男は噴水に頭からつっこみ、少女の荷物は何事もなく彼女の手の中に戻っていた。一人の男の手によって――――。

 

「近頃のナーリッジは治安が良いと聞いていたが、どのような街でもああいう悪漢はいるものだ。もう日も暮れる。気をつけて帰るといい!」

「あ、ありがとうございました! あの、もしよければお名前を――」

 

 少女がその男の名をおずおずと尋ねた。見れば、僅かにその少女は頬を染めているではないか。なんたること、油断も隙も無いとは正にこのこと。やはりちゃんと自分が確保しておかなくては。

 ――――そう、黒姫はすでにその男の名を知っている。

 

「俺の名はヴァーサス! 最強の門番を目指している者だ!」

 

 そう言って胸を張る、黒髪に蒼い瞳の青年――――ヴァーサス。

 少女と笑顔で別れたヴァーサスは、再び力なく肩を落とした。門番を目指しているという話だが、今のご時世、門番になるのは大陸一周よりも難易度が高いと言われていた。恐らく彼も門番になれずに気落ちしているのだろう。ならば――――!

 

「――あ、あの。少々宜しいですかな?」

「――? 君は誰だ?」

(あわわわ! お、思わず声をかけてしまいましたっ!)

 

 背後からかけられた黒姫の声に、驚いた様子で振り向くヴァーサス。
 そう、今のヴァーサスはまだ黒姫の――――というよりリドルのことを知らない。そして思わず声をかけてしまったが、あまりの出来事に内心慌てまくる黒姫。

 

「あっとと、申し遅れました! 私の名前はリドル・パーペチュアルカレンダー。え、えーっとですね……じ、実はあなたに守って頂きたい門がありまして――――ど、どうでしょうっ!?」 

 

 赤い夕日に照らされた広場の中。

 突然現れた女性の申し出に驚くヴァーサスを前に、黒姫は初っぱなからその頬を真っ赤に染め、赤い瞳をうるうると潤ませながら、なんとかその言葉を絞り出した――――。

 

 ●    ●    ●

 

 それは、不思議な感覚だった。

 黒姫としての意識も記憶もあるにも関わらず、同時にこの世界で自分が歩んできた記憶も重ね合わさるように持っていた。

 どうやらこの世界の自分は、父であるクルセイダスが反転者リバーサーによって操られていることを母に伝え、父が惨劇を引き起こす前に呪縛から解放することに成功している。

 やがて父と母は門を封じるために迷宮の街から旅立ち、戻ってきたときに父の姿はなく、弱り切った母――エルシエルと共に、封印された門を守るべく外の世界で暮らすようになった――――らしい。

 ――――自分の家へと続く森の中の道を、ヴァーサスを先導するようにして歩く黒姫。内心彼女の心臓はどきどきと落ち着かず、ずっとそわそわしっぱなしである。

 

「君の屋敷は随分と街から離れた場所にあるのだな」

「いえいえ、そんな屋敷とかそういう立派な家じゃないんですよね……どこにでもある普通の家でして……」

「俺が守るのは君の家の門ではないのか?」

「家の門……じゃないですねぇ……。門は門で私の家とは別にありまして、多分見てもらえばすぐにわかると思うんですけども……なんともかんとも!」

「ふむふむ――?」

(ひええええ! き、緊張してうまく話せませんっ! この私としたことが、こんな初恋の乙女のような……あ、でもそういえば私ってヴァーサスが初恋みたいなものでした……参りましたねこれは! どうしたらいいんですかっ!?)

 

 表面上はなんとか平静を装っているが、黒姫の内心はもはや瞬間瞬間でコロコロと表情が入れ替わる暴風雨のような状態になっていた。そんな有様なので、ついつい念押しにも気合いが入りすぎてしまう。

 

「こ、ここまで連れてきておいてなんですが――――門番、勿論やってくれますよね……ッ!? ぐぎぎっ!」

(し、しし、しまったああああっ! ついつい力が! ぐぎぎってなんですか!? いくらなんでも余裕なさすぎますよ!? あまりにもヴァーサスに門番になって欲し過ぎて! なにやってんですか私はっ!?)

 

 ここに来て黒姫、ついにその内面がダダ漏れになりはじめる。

 ランタンを手に、暗い森の中で目を血走らせて『門番やりますよねッ!?』と尋ねる黒姫は端的に言って怖かった。しかし、そんな黒姫の様子にもヴァーサスは真剣な眼差しでなにやら考え込むと、はっきりと断言する。

 

「――――悪いが、それはまだ答えられない。俺は確かに門番を目指しているが、何を守るかは自分の目と心で選ぶつもりだ」

「で、ですよねー……っ! それは勿論その通りだと思います! この私としたことが、ついついほんの僅かに気がはやってしまったようですっ」

「はははっ! 気にしないでくれ。君が俺に声をかけてくれたのはとても嬉しかった。だから今もこうしてついてきているんだ!」

(はわーーーー! 好きですーー! 愛してますっ! 今すぐ抱きついてくんかくんかしたいですよーー! はわわわ!)

 明らかに不審な様子の黒姫に対しても疑い一つ見せず、満面の笑みを浮かべるヴァーサス。黒姫はそんなヴァーサスに今すぐ飛びつきたい欲求を必死に抑え、表面上では『いやはや……そう言って頂けると助かりますよ……フッフッフ……』などと若干ミステリアスな雰囲気へと路線を戻しながら、なんとか案内を続けた――――。

 

 ●    ●    ●

 

 ――――その後、花園での可憐な感じの乙女ムーブからの門番確保や、まるでやられるために出てきたようなレッドドラゴンとの戦いを経た二人は、これから二人が暮らすことになる小屋の中でなにやら話し込んでいた――――。

「と、というわけでですね……。ヴァーサスには、ここで寝泊まりして頂きたいわけでして……あの、その……私と二人で……なんですけども……っ」

「な、なんだとっ!?」

 

 そこには完全に恋する乙女状態で真っ赤になりながら、自分との同棲をヴァーサスに勧める黒姫がいた。

 はっきり言って、見ている側が恥ずかしくなるような光景だった。それほどまでに、あまりにも意識しすぎている。いや、黒姫はもうすでにヴァーサスに対する好感度が振り切れている上に、無数の恋愛フラグが構築済みなので意識しない方がおかしいのではあるが――――それにしても、それはあまりにも初々しい懇願だった。

 

「ば、馬鹿な! 男と女が一つ屋根の下で寝るなど、それではまるで婚姻関係ではないか!」

「そ、それは望むところ……! じゃなくてですね、そうかもなんですけど! でも、その……そうして貰いたいんです……丁度、ベッドも二つありますし……! ダメ……でしょうか……?」

「う、ううむ……っ」

 

 突如として出現した異様な雰囲気にヴァーサスも全身真っ赤になっていたが、黒姫もまた瞳を潤ませ、頬を染めていた。双方共に大損害を被っている。

 だが黒姫の伺うような、願うようなその瞳に見つめられたヴァーサスはしどろもどろになりつつも、ふうと一つため息をつき、ゆっくりと頷いた。

 

「――――わかった。ではお世話になるとしよう。しかし俺はともかくとして、君は平気なのか? 俺が悪人だったらどうするのだ」

「そ、そんなこと……っ! 私はあなたが……っ! いえ……あなたを……とっても信頼できる人だって思ってるので……」

(あなたがそんな人じゃないって、私はもう良く知ってるんですよ……ヴァーサス)

 

 そう内心で呟いた黒姫は胸の前に当てた手をきゅっと握り締め、目の前のヴァーサスと共にいることのできるその幸せを、心の底から噛みしめるのであった――――。

 

 

 

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