もう黒くならない黒姫
もう黒くならない黒姫

もう黒くならない黒姫

 

『いけませんねぇ……。プライバシーの侵害は犯罪……そんなことをすればどうなるか、たとえ二百年前の私でもよく理解しているはずですけど……?』

「あ……あなた……っ!」

 

 漆黒の領域の中、狂気的な笑みを浮かべて佇むもう一人の黒姫。言われずともわかる。目の前に立つこの自分こそ、黒姫の意識を未来世界に跳ばし、過去の白姫との立場の入れ替えを企んだ張本人――――。

 

「やっぱりこんなこと止めてください! あなたの辛さは私にもよくわかります! けど、そうだとしてもこんなやり方は間違ってるっ!」

『――――ほっほーう? 私の気持ちがあなたにわかると……? これはこれは……ククククッ……クハハハハハハッ!』

「――――っ!」

 

 瞬間、漆黒の領域がさらなる黒に染まった。それは圧倒的感情と力の発露。同時に、目の前の黒姫の姿が今自分が身に纏っているルクスの服に似た平服から、かつての自分が身に纏っていた威圧的なトゲトゲ世紀末ドレスへと変化する。しかも恐るべきことに、トゲの一本一本が今の黒姫よりも大きかった。

 

『クハハハハハッ! 面白い! やってみるがいい、この私を止められるというのならな! 言っておくが、私がただ二百年何もせずにいたと思ったら大間違いだぞ!?』

「――――それでもっ! それでもやっぱり白姫だって私なんです! たとえどんなに辛くても、頑張って生きている自分の幸せを自分同士で奪い合うなんて、絶対に間違ってます――――っ!」 

『良かろう……ならば、この二百年で進化した我が力、とくと味わうが良い!』

 

 二人の黒姫、双方の領域が同時に展開される。

 現代の黒姫が偽りなき純白の領域を展開したのに対して、未来の黒姫は先ほど同様の極黒の領域。黒姫の――――否、リドル本来の領域の色は純白のはず。まさか領域を脚色しながらでも勝てるとでもいうのだろうか。だが、その答えはすぐにわかった。

 

『クククッ! どうした……? まさかそれで全力か……?』

「そ、そんな……っ! どうして……一体、この時代に来るまでに、あなたに何があったっていうんですっ!?」

 

 決死の覚悟と共に展開された純白の領域は、もう一人の黒姫が放った極黒の領域に触れることすらできなかった。黒姫の放った純白の輝きは、極黒の領域が放つ圧倒的な力の奔流により、その領域に近づくことも出来ずに霧散していたのだ。

 まさに文字通り次元の違う力。目の前にいるこの黒姫の力であれば、恐らくあのラカルムすら単独で打倒可能だろう。二人の黒姫には、それほどまでに絶望的な力の差があった――――。

 

『弱いな……あまりにも弱い。自分自身の事とはいえ、弱すぎて哀れみすら沸いてくる……まさかその程度の力でこの私を倒し、白姫を守り、自分自身の未来を守ろうなどとは、笑えるな……?』

「くっ!」

『当然知っているぞ。今の貴様は門の力では白姫に上回られ、夜な夜な白姫とヴァーサスの仲睦まじい様子を窓から覗いては、悲しみの涙を零していた頃であろう。日に日に強まる疎外感に苦しみ、それでも白姫とヴァーサスにとって頼れる仲間であろうとした。その心の中に苦しみを抱えながらな――――』

「うっさいっ! うっさいですね! それでいいんですよ! 私は、それでいいんです! 私はもう十分あの二人のお陰で救われたんです! お父さんのことだって、どうして自分がああならないといけなかったのかだって、もう全部わかったんです! 全部、全部あの二人がいたから――――だから!」

『その二人によって、今こうして苦しんでいるとしてもか――――?』

 

 その赤い瞳に涙を浮かべ、それでも目の前の自分の行いを否定する黒姫。

 彼女のその言葉は強がりだった。当然だろう。もし何かが少し違っていれば、自分だってそうなる権利はあったはずなのだ。そしてその事実を毎日のように見せられ、突きつけられる日々。それは人によっては心が壊れてしまうほどの地獄に思えたかも知れない。しかし――――。

 

「それでも……っ! それでも二人と一緒に過ごすあの生活だって、私は凄く楽しいんです……っ! 辛いけど……凄く辛いけど、でも私にとってとても大切な、やっと手に入れた幸せな生活なんですよ……っ! それを壊すっていうのなら、たとえ相手が私自身でも――――私は絶対に阻止してみせます……っ!」

『そうか――――健気なことだな』

 

 しかしそれでも黒姫の心は折れなかった。

 父によって全てを奪われ、それでも世を呪わずに正しくあろうとし、しかし門と融合したことでその世界からも追放された。

 自身の力の制御に手間取り、門の力に飲まれて狭間の世界に破壊と破滅をもたらした時期すらあった。そしてそんな多くの災厄を世界にもたらした自分を、リドルとヴァーサスとの出会いで正気を取り戻した黒姫はずっと悔いていた。

 ――――自分は、既に取り返しのつかないことをしている。

 だからこそ、自分の行いで奪ってしまった多くの人々の未来と可能性に報い、そんな闇から自分を救い上げてくれたリドルとヴァーサスに報いるためにも――――。

 

「私は……もう二度と闇には飲まれないっ! たとえこの先の未来で耐えられなくなってしまうとしても……っ! 少なくとも今の私はあなたみたいにメンタルやられてないんですよっ! 舐めないでください!」

『クククッ! 見事なものだ! ならば――――』

 

 目の前の自分はそう言うと、一瞬で恐るべき力を展開する。そして必死に自身の領域を維持しようとする黒姫に向かいゆっくりと手を掲げた。その気になれば、目の前で笑う自分は今の黒姫など一瞬で押し潰すことが出来るだろう。しかし――――。

 

『――――なら、もっと強くならないとですね。すみません、少しからかってみただけですよ』

「え――――?」

 

 目の前の黒姫がそう言うと同時、辺りを覆っていた闇は閃光と共に消え去った。

 そして闇が晴れた先。そこは、どこまでも広がる白と黒の空間。

 

『ついつい悪ふざけしてしまいました! 実は私も先ほどまで貴方の時間軸に跳んでいたので、久しぶりに白姫やヴァーサスとお話しできたんですよ。そのせいかちょっと浮かれすぎましたね。ふふふっ』

「悪ふざけ……ですか? でもでも、日記にはなんか色々恐ろしいことが書かれていたような……」

 

 目の前の黒姫が柔らかい笑みを浮かべて歩み寄ってくる。いつしか自分の姿は現代にいた頃と同じショートカットの姿になり、未来の黒姫は腰まである長い髪に平服という出で立ちになっていた。

 

『あの日記に書かれていたことは本当です。私は、ようやくリドルに戻れる……黒姫はもう引退ですね』

「リドルに、戻れる……? あの、それって一体どういう……」

 

 謎めいた自分自身の発言に、黒姫は尋ねたい事が山ほどあった。しかしそれを遮るようにして目の前の自分は黒姫の口に人差し指を当てる。

 

『――――ねぇ、黒姫さん。今貴方がいるあの時から先、まだまだ大変なことが一杯あるんですよ――――。でも私たちはもう全部、そういうのをなんとかしたんです。それが、貴方も見たあの世界です。でも詳しいことは言えません。それが碌な事にならないのは、貴方もよくご存じでしょう?』

 

 目の前の自分はそう言うと、悪戯っぽい笑みをその顔に浮かべ、黒姫も見慣れた赤い瞳を輝かせて覗き込むようにして見つめてきた。

 

『この時代まで私が残ったのは、黒姫を終わりにするためなんです。そのためにはどうしてもこのくらいの時間が必要で……今回は突然のご協力、ありがとうございました』

「あの、もう少し私にもわかるように話して下さいませんかっ!? いくら詳細を話せないと言っても、それだけじゃなにもわかりませんよ!」 

 

 黒姫は言うと、押し当てられていた人差し指を退け、目の前の自分自身に詰め寄る。だがそれは叶わない。すでに彼女は目の前にいなかった。そして――――。

 

『――――もちろん、協力して頂いた分の報酬は用意してあります! 労働には正当な対価を! それがパーペチュアルカレンダー家の家訓ですからね! ではでは、暫しの間お楽しみですよ!』

「え!? ちょ、ちょっと待って下さいよ! まだ私はなにも――――!」

 

 瞬間、辺りは再び閃光に包まれた。それが未来の黒姫の領域によるものなのか、それすらも定かではなかった。

 そして、全身を襲った浮遊感が収まり、黒姫の両足がどこかへと降り立つ。黒姫はゆっくりと瞼を開け、辺りを見回した。

 

「ここ……どこでしょうか……? どうも、見覚えが……」

 

 そこは街だった。時刻はちょうど夕暮れ時だろうか。一日の労働を終え、家路を急ぐ人々が黒姫の周囲を談笑しながら通り過ぎていく。

 黒姫には確かにその景色に見覚えがあった。視界の端に、大きな噴水が見えた。

 

 そして――――その噴水を囲む石棚の上。

 

 そこには黒姫もよく知る、がっくりとうなだれる一人の男の背中があった――――。

 

 

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