「――――というわけで、なんと赤ちゃんがいるらしいんですよ! そしてこちらが診断書です!」
「赤ちゃん……? 俺とリドルの子供っ!?」
暖かなランプに照らされた小さな部屋。
夕食を終え、テーブルを挟んで向かい合っていたヴァーサスに、リドルは自身の妊娠を告げた。鞄の中から本日の診断結果が書かれた診断書も取り出すと、ヴァーサスに手渡す。
「お、おお……! 本当にそう書かれている! 凄いぞ!?」
「ですです! それでどうですか? パパになった今のお気持ちを一つ!」
「もちろん嬉しい! 突然のことで実感が沸かないが、また新しく何かが始まるのかと思うとわくわくする! 何分そういったことには勉強不足な俺だが、出来ることがあればなんでも言ってくれ!」
「ふふっ…………ありがとうございます。あなたのことだからきっと喜んでくれるって思ってたんですけど、やっぱりこうしてお話しするのは少しだけ緊張しちゃいました。これからもよろしくお願いしますね、ヴァーサス」
「俺の方こそ! 一緒になってくれてありがとう。リドル!」
こうして無事に懐妊報告を終え、愛しか存在しないような空間で優しい口づけを交わすリドルとヴァーサス。
二人はひとしきり喜び合った後、ヒーラーから聞かされた今後起こるリドルの体調の変化や、日常生活の注意事項、宅配業の予定などを話し合っていく。
普段はいささかそういった話が苦手な面があるヴァーサスも、とても興味を持って何度も頷きながらリドルの話を聞いていた。
女性特有の体調変化や妊娠出産といった知識に疎いと思われていたヴァーサスだったが、実は彼も戦場で何度もそういった状況の市民や戦友たちを後方に庇いながら戦ったことがあり、子供のいる女性がどれほど庇護するべき存在であるかは重々承知していたのだ。
だが、そうして二人が仲睦まじく今後の家族計画について話し合っている中、それを窓の外から見つめる人影があった――――。
「――――ふむふむ。どうやら問題なさそうですね」
「はわわ……凄くどきどきしました……もし私が今のリドルさんと同じ立場だったら、きっと泣いちゃってたと思います……」
窓枠から顔を覗かせて二人の様子を伺う黒姫とミズハ。中ではリドルとヴァーサスがにこにこと笑みを浮かべ、いつものノリで和気藹々と言い合いながらテーブルの上の紙に何事かを書き出していた。
「普段のミズハさんへの教え方を見てると、ヴァーサスって相当お父さん適正あると思うんですよ。ちゃんとミズハさんの立場や能力を考えてアドバイスしてますし」
「そ、そうなんです! それだけじゃなくて、私が自分でも気づいていないようなことも全部見てくれてて……! 私、それがいつも嬉しくてっ!」
「いやはや…………改めて考えなくても、白姫は本当に狙い澄ましたみたいに一瞬でかっ攫っていきましたね。街で見かけた瞬間に声かけて家に連れ込んだ挙げ句、一ヶ月で完全確保しちゃうんですから……我ながら恐ろしい嗅覚ですっ!」
「でも、もし黒姫さんがリドルさんと同じ立場でもやっぱり同じ流れになってましたよね……? なんだかそんな気がします……」
「そりゃそうですよ! 私なら一ヶ月と言わずその日にでも! うぎぎ!」
そう言って、それぞれ自身とヴァーサスの出会いを思い出す黒姫とミズハ。
リドルとヴァーサスが恋人になったことで自分自身の気持ちに気づいたミズハはともかくとして、黒姫はあと一週間この世界に来るのが早ければ門番皇帝ドレスとの迷宮決戦に間に合ったのである。
そう考えれば考えるほど、付け入る隙が全く無いほどにリドルとヴァーサスの関係の進展は早かった。
そんなことは二人も意識していなかっただろうが、リドルとヴァーサスは一時の気の迷いなど全く無く。まるでなんらかのゲームの最速クリアタイムを競うかのように、常に二人にとって正解の選択肢を選び続けた。その結果がたった今目の前に広がる幸せ空間である。
表向きは色々言っているが、こうしてリドルがヴァーサスの子を宿した以上、黒姫も以前のような冗談は控える必要があるのかもしれない。
しかし黒姫もまたリドルなのだ。リドルにとってヴァーサスが運命の相手とも言える最高の相性であるのなら、黒姫にとってもヴァーサスはやはり運命の相手だと感じていたし、実際そうだろう。
「はぁ……今更他の次元のヴァーサス探しなんて再開出来ませんよ……私はあのヴァーサスがいいって思っちゃってますから……」
「黒姫さん…………」
寂しそうに言う黒姫。ミズハは心底胸が痛むという表情で黒姫を見つめると、そっと黒姫の手に自身の小さな手を添えるのであった――――。
● ● ●
「はぁ……さすがに今の白姫とヴァーサスの横で色々言うのは、デリカシーというものがですねぇ……」
さらに数時間後。黒姫は自分の屋敷のベッドで悶々と悩んでいた。リドルはともかく、ヴァーサスの気持ちは鉄壁だった。彼はリドル以外の女性を驚くほど異性として見ていなかった。ヴァーサスの理性は化け物か。
黒姫にもわかっていた。
勝負は既についたのだ。いや、そもそもリドルとヴァーサスはその圧倒的進展速度によって、他者を勝負の土俵にすら持ち込ませなかった。完勝である。
「――――でも寂しいものは寂しいですし! 宅配のお手伝いもしてるわけですから、暫くはヴァーサスの匂いをくんかくんかしにいくとしましょう! それくらいはいいはずです!」
黒姫はとりあえずそう結論づけた。確かにそれは寂しいと思うこともあったが、黒姫が今まで味わってきた千年にも及ぼうかという終わりなき孤独は、すでにこの世界に来たことで癒やされていた。
今はそれでいい――――。
それでいいはず――――。
黒姫はそう自分に言い聞かせると、いつしか穏やかな寝息と共に深い眠りの中へと落ちていった――――。
「――――?」
「くろ――ひめ――ん!」
黒姫は、どこかで自分を呼ぶ声を聞いた気がした。それはとても近くの、まるで耳元で言われているような――――。
「――――黒姫さん、起きて下さい! 朝食が出来ました! 昨日釣った大きなお魚を焼いたんです。一緒に食べましょう!」
「え――――?」
その声に気づき、ゆっくりと目を開く黒姫。
明るい日差し、視界に広がる見慣れない天井。そして――――。
「あ、やっと起きてくれたんですね!」
そこには、今のヴァーサスの半分くらいの背丈しかない、栗色の髪に赤い瞳の小さなヴァーサスがいた。以前見た過去世界の小さなヴァーサスに似ていたが、もう少し大きい――――十歳前後だろうか。
「――――え? あの、君はどちら様で――――」
「おはようございます、黒姫さん! 今日もとってもいい天気ですよ!」
ヴァーサスに似た赤い瞳の少年はそう言うと、一切の汚れを感じさせない眩しい笑みを黒姫に向けた――――。