歌を取り戻した門番
歌を取り戻した門番

歌を取り戻した門番

 

 ――――この歌じゃないと駄目だった。

 

「ええーーん! うたってよぉ! こわいんだよぉ! 寝れないよぉ!」

「もー。しょうがないなー! すこしだけだよー?」

 

 ヘルズガルドは、メルトの歌声を誰よりも聴いていた。物心ついたときには、メルトも、彼女の歌声もすぐ傍にいた。

 彼女も、彼女の歌うその姿も、全てが大好きだった。安心できた。

 貧しい生活ではあったが、ヘルズガルドの幼少期の記憶にはいつもメルトの歌が流れていた。彼にとって、彼女と彼女の歌声以上に大切なものなど存在しなかった。それだけがあれば、彼は幸せだった。しかし――――。

 

「ごめんね……クラウス。もう……クラウスと一緒に歌えないみたい……」

「待ってよ! どこに行くんだよ!? 今日も一緒に遊ぶんじゃないの!?」

 

 二人が十歳になるかならないかという頃。メルトのその歌に込められた力を見出した聖域は、メルトを聖女として育てるべく、彼女を難民街から保護した。

 メルトにもヘルズガルドにも、両親と呼べるような存在はいなかった。既に彼女の歌を必要としている人々は難民街にも多数いたが、聖域の決定に異を唱えるものは当然一人としていなかった。唯一、幼いヘルズガルドを除いては――――。

 

「う、うぅ……メルトぉ……」

 

 彼にとって、メルトとの別れは全てを奪われるに等しいことだった。

 しかし彼は諦めなかった。ヘルズガルドの姿は、メルトが聖域に保護された翌日には消えていた。幼いヘルズガルドは既に知っていたのだ。

 国の王や貴族ですらその存在を無視できぬ存在がこの世界にいることを。自分がその存在になれば、きっとまた全てを取り戻すことができるであろうことを。

 ――――門番。

 ただメルトと彼女の歌を自分の元に取り戻すべく、ヘルズガルドは門番となることを決意する。

 メルトが幼い身で聖女として戦場に立ち、悲しみと苦しみの涙を毎夜流しているその裏で、ヘルズガルドも戦場を駆けていた。

 あらゆる戦場で傷つき、死ぬような目に遭いながらも、戦場はヘルズガルドを恐るべき速度で鍛え上げた。彼は、闘争に愛された男だった。

 そして――――。

 

「チッ……俺はお前の歌がねぇと寝れねぇんだよ……おかげで長いこと寝不足だぜ……」

「ええっ!? クラウスなのっ!? 夢見てるのかな……目の前にクラウスがいる! しかもすっごいワイルドな感じになってる! 腕とかバキバキだし! どうして!? あのいっつも泣いてたクラウスは!?」

「うっせーな! 門番になったんだよ。これからは俺がお前の門番だ。めんどくせぇけどな」

 

 それから数年後。

 ヘルズガルドは取り戻した。メルトを、歌を、彼にとっての幸せを。

 もう二度と失うことはない。奪わせはしない。ヘルズガルドはそう誓い、メルトもまた、彼のその気持ちを受け入れた。一度は断たれた二人の因果。しかしヘルズガルドは、自らの力で再びその未来を紡ぎ直したのだ――――。

 

 ――――飛ぶことを止めないで。私が貴方の翼になるから――――

 

 崩落した礼拝堂。致死量の流血と共に斃れるヘルズガルド。そして迫るアッシュ。絶望的な状況の中、全てを止める歌が響いた。

 それはメルトの歌。

 他でもない、ヘルズガルドの為だけを想い歌われた魂の歌声。

 メルトは歌う際、誰を想うかによって自身の歌の及ぼす範囲に指向性を持たせることができる。アッシュにはただの素晴らしい歌声にしか聞こえないが、ヘルズガルドには――――。

 

「そうだよ……俺はこの歌が好きなんだ。この歌を聴かなきゃ夜も眠れねぇ……めんどくせぇ。気がついたらそんな奴になっちまってた……」

『――――歌? これは、まさか――――?』

 

 アッシュがその歌声に驚くようにして首を巡らせる。

 明らかに先ほどまでとは世界が変わった

 はっきりとは認識できないが、この歌は領域操作を――――否、新たなる次元の創造にも等しい圧倒的なエントロピーの集約を一瞬にして行っている。そして、そのエントロピーの向かう先、集約される先は――――。

 

「――――今の俺はとんでもねぇぞ」

『――――な!?』

 

 飛び退くアッシュ。凄絶な殺意の塊が自身の領域を侵蝕するイメージ。しかし目をこらしたアッシュの視界には、すでにヘルズガルドの姿はなかった。

 

 ――――感情と心の向かう先。私も行くから。二人ならきっと飛べる――――

 

「あー……やっぱメルトの歌はさいっこうだわ……。クソが、この歌を五年も聴けないようにしやがって……ぜってぇ許さねえ……」

『……これは、おかしいですね。俺も今まで色々な技を使う相手と戦ってきましたけど、こんなことは初めてです。貴方――――いえ、貴方たちは何者ですか?』

 

 アッシュの額から冷たい汗が流れる。

 気づけば、アッシュの展開した武装領域は粉々に砕け散っていた。切断やヒビ割れたといった生やさしいものではない。跡形もなく、完全に消滅していたのだ。そしてなによりアッシュを戦慄させたのは――――。

 

「俺はメルトの歌が好きなんだよ。それだけだ――――」

 

 それはヘルズガルド。ヘルズガルドの完全に消滅したはずの右腕は既に何の問題もなく再生していた。しかもそれだけではない。ヘルズガルドの全身から領域とも魔法ともつかぬ正体不明の力が溢れ出している。恐らく、武装領域を破壊したのもこの力だろう。

 ――――子供の頃からそうだった。

 メルトの歌は、ヘルズガルドにだけ途轍もなく効いた。元より一般人の身体能力すら上位門番並に引き上げるメルトの歌だが、ヘルズガルドに対しての彼女の歌の効果はその比ではなかった。

 理由はわからない。聖域でも何度か調べられているが、未だになぜヘルズガルドだけがメルトの歌の力を一身に受けることが出来るのかは不明のままだ。

 しかし、メルトとヘルズガルドにはずっと昔からわかっていた。自分達が誰にも引き裂くことの出来ない絆で固く結ばれていることを。

 

「(お願い、死なないでクラウス――――私には――――)」

「(やってやるよメルト――――俺には――――)」

 

 ――――限界を越えて。私も貴方と――――

 

「――――お前が最高なんだ」

 

 ヘルズガルドが動く。消失した大剣にその力が集約される。巨大な光刃が発生し、光速に迫る動きでアッシュへと肉薄する。今のヘルズガルドの圧倒的力。それは次元すら容易く引き裂く塵殺の嵐だった。

 形勢が変わる。アッシュは何度となく領域の再展開を試みるが、それは叶わない。封じられている? それとも展開から即座に破壊されている? いずれにしろ、武装領域無しで今のヘルズガルドの猛攻を防ぎきることは、いかなアッシュとはいえあまりにも苦しかった。

 

『完全に未知の事態です! 不明領域とエンゲージッ! 俺の勝率は不明! ワクワクしますねッ! 貴方たちを甘く見た俺の不覚です! でも――――!』

 

 アッシュが吼える。アッシュは正円を描くような軌道で両手をゆらめかせると、刹那の時で精神を極限まで集中させる。そして自らに敵対的なメルトの歌が創り出す世界に囲まれた中、安定しないながらもなんとか自らの武装領域を創り出す。

 それはヘルズガルドと同様、アッシュが日々の鍛錬の中で練り上げた、確固たる自身の領域への信頼とエゴを持つからこそ成しえた極限の技だった。

 

『たとえ何が相手だろうと、俺は切り抜けてみせるッ! 七星転神! 狂星滅殺! 絶影!』

「ぺらぺらぺらぺらと――――」

 

 アッシュの領域が空中で凝縮、雷光の軌道と共にヘルズガルドへ襲いかかる。ヘルズガルドもまた、光刃を大きく構えると大地にその両足を踏みしめ、腰だめから超高速で飛翔。一筋の閃光となってアッシュを迎撃した。

 交錯は一瞬。ヘルズガルドの光刃とアッシュの雷撃の拳が激突する。
 

 ――――閃光。銀閃が奔る。

 

「大声出すんじゃねえよ。メルトの歌が聞こえねぇだろうが――――」

 

 空中で呟くヘルズガルド。彼の持つ光刃が更なる輝きを放ち、アッシュの領域をほぼ一方的に破砕。その繰り出された拳ごと袈裟斬りに両断した――――。

 

『――――強いッ! 見、事です――――!』

 

 落下し、地面へと沈むアッシュ。アッシュの銀色の領域は今度こそ完全に消え失せ、再展開されることはなかった。

 

 アッシュ・ヘテロジニアスは戦闘不能になった。

 

 ――――愛してる。貴方に告げる、私の言葉――――

 

「これが――――メルトの歌の力だ。わかったら、次からは静かに喋れ

 

 ヘルズガルドは呟き、大剣を静かにその背へと収めた――――。

 

 

 

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