歌う門番
歌う門番

歌う門番

 

 アイドル門番の頂点、メルト・ハートストーンの突然の出現は、その場だけでなくダイタニック号に乗る全ての人々を驚かせ、そして同時に大いに沸かせた。

 結論から言えば、吸血鬼に襲われた老紳士は助かった。それどころか何事も無かったかのように健康に――――というか、まるで数十歳も若返ったようにその場で何度も宙返りを披露し、音速にも達しようかという速度でデッキ上を駆け回った。

 首筋の傷跡も綺麗さっぱり消え去り、強靱な肉体の免疫は吸血鬼から与えられた魔の力を容易く自力で跳ね返した。持病の腰痛も完治し、腹筋はシックスパックになり、すっかり薄くなっていた頭髪まで生えてきた。

 全て、メルトがその場に響かせた歌声の力である。

 本来であればあのような事件が起きれば航海継続の危機にも発展しそうなものだが、門番ランク4のメルトが乗船していることを知った人々は大興奮になり、もはや事件などどうでも良いとばかりの大騒ぎになってしまった。

 メルトの知名度とその力に対する信頼は、それほどまでに圧倒的だった。

 

「ほんっとーにすみません! まさかお二人が新婚旅行中だったなんてっ!」

「ハッハッハ! 気にしないでくれ! 俺たちはいつもこうなのだ!」

「ですです。旅は道連れ世は情けと言いますし、メルトさんの安全が確保されるまでは遠慮無く私たちの部屋を使ってくださいね」

「ううぅぅ……なんていい人たち……なんてお似合いのお二人……っ! 尊い、尊いです……っ」

 

 ダイタニック号最上区画。プレミアムスイートにあるヴァーサスとリドルの客室。先ほどの吸血鬼騒ぎの後の喧噪を抜け出し、三人は無事ここまで戻ってきていた。

 時刻はまもなく日付をまたごうかという頃。

 部屋に設置された魔力駆動の冷蔵庫の中には、豊富に飲み物や軽食が用意されていた。リドルはすでに空になったボトルなどをテーブルの上から片付けると、瞳を潤ませるメルトににっこりと微笑んだ。

 

「しかしメルト殿の歌には驚いた! まさかあの老紳士があれほど機敏に、健康的に回復するとは! メルト殿の歌声には治癒魔法のような効果があるのだろうか?」

「そんなことないです。私、魔法とかもぜんっぜんダメなんですよ。でも歌なら……私の歌を聴いた人は、みんなさっきみたいに元気になるんですっ! 多分気づいてないだけで、ヴァーサスさんも他のみなさんも、みんな元気になってるはずです!」

「なんと!? 言われてみれば、体が軽いような気がする!」

「私もなにやらそんな感じがします! 話には聞いてましたが、本当にメルトさんの歌を聴くと元気になれるんですね」

 

 メルトに言われ、その場でぶんぶんと腕を振り回してみせるヴァーサス。ヴァーサスは意識していないようだが、その腕は振り回される度に雷光の放射が漏れ出し、普段以上の力が漲っているのが見て取れた。

 リドルも試しにぴょんぴょんとその場で飛び跳ねてみるが、鍛えられた身体能力を持たないはずのリドルすら、軽く部屋の天井部分に着いてしまいそうなほどの跳躍力を見せたのだ。

 

「私が門番ランク4なのは、この歌の力なんです。以前、ドレスさんが言ってたんですけど、私の全力全開の歌を聴いた皆さんは、どんな方でもトップクラスの門番と同じくらいの強さになるらしいんです」

「門番と!? それは凄い!」

「はえ~~……そういえば配信で聞きましたけど、七年前の門番戦争のときも、メルトさんの歌声を聞いた部隊は一度も負けなかったそうですよ。って、ヴァーサスは門番戦争参加者じゃないですか! そんな凄い人のことなんで知らないんですか!」

「ハッハッハ! あの頃は毎日ドレスと遊んでいたのでそれ以外のことはあまり覚えてないのだ! くるくる回るコーヒーカップが楽しかった!」

 

 突っ込みを入れるリドルに笑い声を上げるヴァーサス。

 実際のところ、ヴァーサスは知らないだけでメルトの門番戦争での功績は驚異的なものだった。当時まだ十二歳だったメルトは、その歌の力だけを頼みに戦場に立ち続け、最終的には自軍を勝利に導いた立役者となった。

 なにせ彼女の歌を聴いた兵士はみな超人的な戦士へと変貌し、空を飛び、拳一つで岩山を打ち砕くまでに強化されるのだ。

 しかもその上、万が一毒や疫病などによって弱体化したとしても、やはりメルトの歌を聴くだけでたちどころに全快してしまう。これは彼女の歌が、生物の持つ免疫や回復力といった領域まで強化するためだ。

 たとえば、あの創造神レゴスですら治せなかったヴァーサスの記憶喪失のような症状も、彼女の歌なら治療可能だ。それはあくまで彼女が行うのは外部からの治療では無く、本人の持つ力の強化であるというところが大きい。

 彼女の歌声を聞きさえすれば、死に瀕した赤子ですら息を吹き返しその命を生き長らえさせることが出来た。さすがに配信石越しではそのような効果は得られないが、それでも人々は彼女の歌を神の歌と崇め、称え、縋っていた――――。

 

「私には歌しかないんです……今まで何度も危ない目にあったけど……でもやっぱり私の歌を聴いて元気になる人の笑顔を見ると、また頑張ろうって思えるんです……」

「そうか……やはりメルト殿も立派な門番なのだな」

 

 先ほどまでの明るく、どこか軽い印象を与える面持ちに真剣な色を浮かべて言うメルトに、ヴァーサスは穏やかな笑みを向ける。

 メルトはそこまで言うと目の前のグラスに残っていた果実のジュースを手にとって一気に飲み干し、しゃきっとした動きで立ち上がった。

 

「じゃあ、私はそろそろお先に失礼しますね。でも本当に良いんですか? 私がベッド一つ使うなんて……」

「もちろんですよ。私たちは二人で一つのベッド使いますし!」

「あっとと……そうでした! 本当にごめんなさい……お二人の新婚旅行の邪魔しちゃったの、私としては凄く酷いことしてるなって……」

「さきほども言ったが、メルト殿は気にしないでくれ。恐らくメルト殿がいなくても二つ目のベッドは使わなかった気がするぞ! ハッハッハ!」

「あははっ! お二人はラブラブですもんねっ!」

 

 立ち上がったメルトと軽いやり取りを交わし、部屋の壁沿いに用意されたベッドへと向かうメルトを見送るリドルとヴァーサス。大きなリビングルームと寝室は区切られておらず、メルトが休んでいる間も何者かの侵入を警戒することは容易だった。

 

「あ、そうだ――――」

「どうした?」

 

 寝室部分のライトの光量を落とそうとスイッチに手を伸ばしていたヴァーサスに、メルトが思い出したように声をかけた。

 

「あの……前の、神様がどうとかってとき……一緒に戦えなくてすみませんでした……実は私、あのとき皆に嘘ついてたんです……。本当は私、私の歌で元気になった人が死んだり傷ついたりするのを見るの、すごく嫌なんです……歌で強くなった皆が、神様なんかと闘わされて、それこそそれで死んだり、大怪我したりしたらって思うと……それで……」

「ふふっ……メルトさんのその気持ち、私はとってもいいと思います。大丈夫ですよ。あのときいらっしゃった神様は、みんな私の頼れる旦那様がきっちり片付けてくれましたから!」

「ははっ! 今はリドルもいるしな! こう見えてリドルは俺よりも強いのだ。メルト殿も気にせず、今日は安心してゆっくり休むといい!」

 

 二人揃って笑みを浮かべるリドルとヴァーサスをベッドから覗き込むようにして見るメルト。メルトはなにか神々しいものでも見るかのような尊敬の眼差しを二人に向けると、穏やかな微笑みを浮かべる。

 

「すごい……こんなおとぎ話に出てきそうな夫婦って本当にいるんだ……! と、尊い……っ! 尊いです……っ! 私、今日はすっごく良いもの見せて貰った気がします……よかったら……これからも私と……友達で……」

 

 興奮した様子だったメルトだが、その声はすぐに小さくなり、穏やかな寝息へと変わった。本人も言っていたが、色々限界だったのだろう。

 

「寝ちゃいましたね……今夜はどうしましょう?」

「うむ。怪盗那由多面相とかいう輩の正体も能力もわからん。さらに吸血鬼までいるときている。リドルはもう休んでくれ、今夜は俺が番をしよう」

 

 メルトが寝たのを確認した二人は、お互いに顔を見合わせて言葉を交わした。自分が寝ずの番をすると言うヴァーサスだったが、リドルは笑みを浮かべてヴァーサスに寄り添うと、覗き込むようにしてその胸の中からヴァーサスを見上げた。

 

「だめです。二人で交替交替にしましょう。わかってますか? 明日だって一緒に遊ぶんですよ? それなのにヴァーサスが眠そうだったらつまらないじゃないですか!」

「はははっ! それもそうだな。ならそうするとしよう!」

「もう私たちは家族なんですから、大変なことは二人で一緒にやりましょうね」

「うむ!」

 

 静まりかえった船室の中、二人は笑みを浮かべて頷き合った。

 穏やかな時間を過ごすリドルとヴァーサス。さらにはメルトまで居るこの状況。吸血鬼如きが惨劇を起こすことなど到底できようもないはずだった。

 しかし、この船に襲い来る厄災は、怪盗や吸血鬼で終わるような生やさしいものではなかったのである――――。
 

 

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