どこまでも絡み合う光と闇。
その巨大な渦の中に横たわる気まぐれな意志。
無数の可能性が生まれては即座に潰えていく狭間の世界。
今、虚無と混沌が支配する狭間の領域に、いくつかの音が響いた。
「これは……そうですか……」
「……どうしたの? 悲しいの?」
「悲しい……そうですね。私は悲しい……」
「どうして悲しいの……?」
「人の時は一瞬。たとえどこまでも高みに至ろうとも、それは一つの大きな波のようなもの。その高まりはすぐにならされ、混ざり合う……」
混沌の中に浮かび上がる影――――その瞳に渦巻く深淵を、その黄金の髪に銀河を、そしてその身に虚無を宿す万祖ラカルム。
「しかしリドルは……私の友の残したエントロピーは、きっととても悲しむでしょう……これが、自分以外の他者を思う気持ち……また、私は新しい事象を知りました……」
ラカルムが発したその音は、あらゆる世界を押し流す巨大な波のように、虚無と混沌の世界の果てまで流れていくのであった――――。
● ● ●
「ハッハッハ! おはようだな門よ! 今日も一日宜しく頼む!」
開けた森の中に鎮座する巨大な門。
まだ早朝特有の白く輝く朝日の下、ヴァーサスは大きな声でその門へと挨拶した。
門に挨拶するというのも奇妙なものだが、ヴァーサスは門番となってから一度も欠かしたことはない。
既に朝食も終え、もうすぐすれば花園での手入れのためにリドルも門の前にやってくるだろう。なんのことはない。ヴァーサスが門番となってもうすぐ半年。普段通りの平和な日常風景である。
「さて……今日の課題はトークか。門番として門の前に立ちながら、その様子を口に出して他の人に説明してみましょう……? むう、難しそうだな……」
ヴァーサスは門の横の小さな台に置かれた門番試験の参考書を手に取ると、最近行うようになった門番試験の勉強項目を確認する。
門番試験に落ちたあの一件以来、ヴァーサスは自らの宣言通り、毎日少しずつではあるが歌やダンス、トークや学問の勉強を行うようになっていた。ヴァーサスが手に持つその参考書にも、【これであなたも一級門番!トーク編】と大きな文字で書かれている。
「うむ! よくわからんが、とにかくまずはやってみるとしよう! 門番ヴァーサス、今日も門番活動を開始するッ!」
そう言うとヴァーサスは満面の笑みを浮かべたまま門の前に立つ。
すでに半年もこうしているというのに、ヴァーサスの胸は未だに門番としての勤めを果たせる喜びに高鳴り、色々な興奮物質が脳内を駆け巡っている。完全に門番ジャンキーである。
「よし、まずは目の前に見える景色から話すとしよう! 森だ! 森が見える! 緑色だな!」
ヴァーサスの大きな声が門の前に響く。これもまた最早恒例となった光景。これからもずっと続く。そのはずだった光景――――。
「そうだな、それと空は晴れている! 暑い! 他には――――ん?」
一人で声を上げるヴァーサスの前に、一つの影が空間に滲み出すように現れる。ヴァーサスはその気配をすでに知っている。なので特に身構えることもなかった。
「――――こんにちは、ヴァーサス」
「君は……ラカルム殿……? なにやら俺の記憶よりもかなり幼いような……」
ヴァーサスの目の前に現れたのは、かつてこの門を訪れたラカルムをそのまま子供にしたような少女。かつてのヴァーサスにはわからなかったが、今の彼にはこの少女がラカルムの娘といった別人ではなく、ラカルム本人であることはすぐにわかった。
それほどラカルムの持つ領域は独特で強力なのだ。
「あのね、今日はヴァーサスにお知らせをしにきたの」
「なるほど! わざわざこんなところまで来てくれたこと感謝する! それで、どのような知らせなのだ?」
「うん、あのね――――」
小さなラカルムのその言葉に、ヴァーサスは笑みを浮かべて頷いた。ラカルムはそんなヴァーサスの姿をその黒い瞳の渦に映すと、特になんの感慨も無いという調子でその言葉を発した。
「あなたの命はあと三時間。三時間したら、あなたはこの世界から跡形もなく消えてなくなる」
「な――――っ!? 俺の命が、あと三時間だと!?」
ラカルムの言葉に、さすがのヴァーサスも驚愕の表情を浮かべ、自らの心臓が大きく跳ねるのを感じた。冷たい汗が背中を伝い、目の前の景色が大きく傾くような気すらした。
「それは……いったいどういうことだろうか。見ての通り、俺はピンピンしている。体調もおかしいとは感じていない。とても今から三時間後に死ぬようには感じられないのだが……」
「あなたは本当ならもっと小さなうちに消えるはずだったの。それが伸びて、三時間後になっただけ。あの二人が心配してた異常な因子も消えたし、あなたの役目はもう終わったのかもしれない」
「俺の、役目が……」
ヴァーサスはラカルムのその言葉に、悲痛な表情を浮かべて、自身の手のひらを見た。ラカルムの言っていることは全く理解できなかったが、彼女ほどの存在がわざわざこうして告げに来たのだ。きっと間違いは無いのだろう。
「なにか俺の命を延ばす方法はないのか? 薬や道具のような……」
「ない。こうして残り時間を教えてあげるのも、本来であればやらないほうがいいこと。でもあなたは私にとっても大切な存在だから、特別なの」
「そうか……」
淡々と言葉を続けるラカルム。ヴァーサスは力なく肩を落とし、その青い瞳の先を地面へと落とした――――。
「どうか、残りの時間を有意義に使って。私はそのためにこうして教えにきたのだから――――さようなら、ヴァーサス」
「わかった……感謝する。ラカルム殿も、どうか息災でな……」
その言葉を最後に、小さなラカルムは風景に溶けるようにして消えた。
ヴァーサスは暫しその場で動けないでいたが、やがて覚悟を決めた表情で立ち上がると、二人の家へと眼差しを向ける。
「――――すまない。リドル」
呟くヴァーサス。
伝えなくてはならない。間もなく自分がこの世界から消えることを。
伝えなくてはならない。この世界で誰よりも大切な、自らの一生をかけて守り続けると誓った、最愛の恋人に――――。
門番VS余命宣告――――開戦。