昔話 ある勇者の旅立ち
昔話 ある勇者の旅立ち

昔話 ある勇者の旅立ち

 

 フィオレシア・ソルレオン。

 大陸最大の版図を誇るソルレオン皇国の皇位継承者にして、人類最強の勇者。

 そして、巨大企業ソルインダストリー代表取締役会長。

 およそ人が考え得るすべての栄光を保持している彼女だが、その原風景は幸福や豊かさとは無縁の世界だった――。

 

「おとうさま。わたしたちは、これからどこにいくのですか?」

「遠いところだよ。お城を出て、みんなで畑を耕しながら静かに暮らすんだ」

「そうよフィオ。お父様はお体が弱いから、お祖父様が私たちをモンスターとの争いから遠ざけて下さったの。今度お祖父様にお会いしたら、ちゃんと御礼をするのですよ」

「……わかりました、お母さま」

 

 皇族という身分でありながら、フィオが皇都で過ごした期間は数年にすぎない。

 皇位継承順位が低く、文武ともに並以下だった父を当時の皇帝は出来損ないとののしり、嫌っていた。

 平民出の母と父が結ばれ、フィオが生まれてからも扱いは変わらないどころか、より厳しくさえなった。

 フィオが物心ついた頃。皇帝は平民の母と家庭をもったことを理由に父を皇族から追放。

 王皇としての権利と財産を剥奪し、着の身着のままで過酷な環境が待つ辺境に家族を追いやった。

 

「やっぱり、フィオはお城で暮らしていたかった?」

「ううん……わたしはお父さまとお母さまといっしょなら、どこでもいいです」

「そう……そうね、私たちも同じ気持ちよ」

 

 父自らが御者を務める粗末な馬車に揺られながら、フィオははっきりとそう答えた。

 遠ざかる皇都を振り向きもせず。まだ物心ついたばかりのフィオは、大好きな父と母だけをその赤い瞳に映していた。

 まるでその二人を見ていられる時間が、残り僅かであることを悟っているかのように――。

 

「あなた……どうして私たちを置いていってしまったの……っ。うぅ……」

「お母さま……」

 

 生まれつき病弱だった父に、辺境での生活はあまりにも過酷だった。

 皇都を出てから一年と少し。フィオの父は病に倒れ、あっけなくこの世を去る。

 残された母もひどく意気消沈し、頻繁に体調を崩すようになった。

 

「ごほ……っ。ごほ……っ。フィオ……私がお祖父様にお手紙を書きます。貴方だけでも、お城に……戻れるように……」

「……嫌です。お母さまを置いていくなんてできません」

「フィオ……しかし、このままでは貴方まで……」

「心配しないで。お母さまは、私が守るから」

 

 辺境に住む人々の暮らしは厳しい。

 大人たちの助けは期待できない。

 事実、父と母は何度となく周囲の村人に助けを求めたが、一度として助けられたことはなかった。

 

「人は信用できない。誰も助けてなんてくれない……なら、私が強くなるしかないんだ」

 

 それは、まだ年端もいかぬ少女が持つにはあまりにも暗く、悲壮な決意。

 フィオはその後、わずか半年足らずで誰の手も借りないままに、その土地で最も大きな稼ぎを得るようになる。

 恐るべき商売の才覚と、人並み外れた身体能力。

 そして母を守り、自分自身も生き延びてみせるという鋼鉄の意志。それらが成した真の奇跡だった。だが――。

 

「お母さま……」

 

 降りしきる雨の下。

 冷たい雨に打たれるまま、フィオは並べられた二つの粗末な墓標の前に立っていた。

 富と力。それらを手にするフィオの成長速度はたしかに常軌を逸していた。だが――それでも彼女は間に合わなかったのだ。

 

「どうして……」

 

 思わず漏れたその問いかけも、降り続く雨音に溶けて消える。

 血縁であるはずの皇帝には迫害され、その先に住む人々にも見放された。

 最後に信じた己の力は及ばず、最愛の両親はもういないのだ。

 

「――おお、ようやく見つけたぞ! この少女こそ新たな勇者に違いない!」

「…………」

 

 フィオが勇者だと告げる使者が現れたのは、まさにその時のことだった。

 当時、人類は大魔王エクス率いるモンスター軍団によって窮地に陥っていた。

 先代の勇者はすでに世を去り、人類は国も人種も越えて新たな勇者捜しに躍起になっていた。

 

「大賢者アスクレピオス様が予言されたのです! この村に住む赤い瞳の少女が、次なる勇者となって世界を救うと!」

「勇者……私が……」

「そうですとも! ご入り用の物があればなんなりとお言いつけください! どのような武具も軍資金も、フィオレシア様の望むままにご用意させていただきます!」

 

 フィオにとって、その使者の言葉はこれ以上ない〝笑い話〟だった。

 両親共々不要と捨てられたフィオが、勇者とわかった途端に手のひらを返したように持て囃される。

 それはフィオにとって、あまりにも滑稽な喜劇そのものだった。

 ――自分が勇者だと言うのなら、その力でこの下らない何もかもを消し去ってやろうか――

 

 打ちのめされたフィオの心に、善悪を越えたありのままの現実への怒りと深い失望がよぎる。

 しかし――母を失った直後の弱り切ったフィオには、もはや激情を爆発させる気力すらなかったのだ。

 

「それで……なにをすれば良いの?」

「我ら人類を脅かす恐怖の大魔王……ロード・エクスを倒すのです! そうすれば、世界も平和になりましょう!」

「大魔王、エクス……」

 

 他人は誰も助けてくれない。

 家族を失った自分に、残された繋がりは存在しない。

 勇者という肩書きもどうでもいい。

 いっそこのまま、村のまわりをうろつく危険なモンスターに殺された方が楽かもしれない――。

 果たして――失意に沈み、今にも壊れそうな絶望を抱えてフィオは一人あてもなく旅立った。

 だがしかし。

 この時の彼女はまだ知らない。

 危険なモンスターがうろついていたはずの村の周りが、ちびスライムや沼ねずみ、お散歩ナメクジといったファンシーでかわいらしい〝完 全 無 害〟なモンスターだらけになっていることを。

 この先の旅路で、生まれて初めてとも言えるレベルの無償の優しさとぬくもりを、顔も知らない赤の他人から与えられることを。

 そして今この時にも――彼女のことをハラハラと心配そうな眼差しで遠くから見守る、一人の邪悪な大魔王がいることを――。

 

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