「わたしを、ゆうしゃにしてください……っ!」
「なんだと?」
それは、冷たい雨の降る暗い夕暮れのことだった。
遠征から勇者学校に戻ったベルガディスは、雨が降りしきる門の前で、傘も差さずに立つ一人の少女と出会った。
「……さっさと家に帰れ、親が心配しているぞ」
「わ……わたしのお家は……もうありません……っ。パパも、ママも、おうちも……ぜんぶ……こわい魔物におそわれて……もう、なにもないんです……っ」
「……っ!」
当時、強大な力を持つ王冠以上の魔物を倒す術は少なかった。
不死身の勇者と呼ばれたベルガディスが一線を退いてから、連邦内に王冠の魔物と単独で戦えるクラスマスターは、数えるほどしかいなかった。
この時のベルガディスも、すでに引退した身でありながら、ベリン東部の村を襲った魔物の大群を討伐してきた所だったのだ。
「……分かった。俺が暫く面倒を見てやる。名はなんという」
「あ……う……っ。ユーニ……ユーニ・アクアージ……ですっ」
「俺はベルガディス・ロッソ。言っておくが、勇者の修練はきついぞ」
「……はいっ!」
――それは、彼なりの贖罪だったのかもしれない。
だが、確かにベルガディスはこの時に見ていたのだろう。
ユーニと名乗る少女の澄んだ翡翠の瞳に、この闇と絶望を斬り裂く光が宿っていたのを――。
――――――
――――
――
「突撃戦型! どおおおりゃあああッ!」
「参る――ッ!」
広大な敷地の中央。
両者の激突は、辺り一帯全ての大気を吹き飛ばす程の衝撃波を生んだ。
それを見た全生徒から笑みと歓声が消え、職員達もようやくこれがただの模擬戦ではないことに気付く。
そしてその事実に唯一最初から気付いていたユーニは、有無を言わせぬ二人の戦いの理由を、未だ掴みきれないままでいた。
「戦型まで使うなんて……先生は、本気でカギリさんを!?」
「よくぞ我が初撃を受けた! お前も鍛えればいい勇者になったやもしれんなァ!」
「それはどうであろうな!? 拙者、よく師匠から言われていたでござる。〝お前に剣の才能と呼べるような物はさっぱりない〟とッ!」
「はッ! 随分と笑える冗談だ!」
「ぐぬっ!?」
巨大な大剣と甲冑の各部に生成したスラスターから鈍色の粒子を放ち、ベルガディスはカギリの体を二刀諸共に弾き飛ばす。
しかしカギリは空中で猫のように身を丸め、地面との着地点に片手をついて反転、急加速すると、弾かれた時の数倍の速度となってベルガディスへと斬りかかる。
「ほう……!? 俺が進めば力を増し、引けば同じだけ下がるか……! 貴様の流派……ギリギリ侍と言ったか。一体どういうからくりだ!?」
「〝揺らぎ〟でござる……! 森羅万象、一切は常に揺らいでいる。それは強大な力が働けばより大きく揺らぎ、やがて全てを飲み込む津波となる……!」
「揺らぎだと?」
「左様……! ベルガディス殿の力が起こす揺らぎの大津波……拙者はその波を御し、我が剣に乗せて戦うでござるッ!」
「ぬうっ!?」
咆哮一閃。
今度はベルガディスの巨体をカギリの刃が弾き飛ばす。
ベルガディスはすかさず受け身を取ると、満足気な笑みを浮かべた。
「良かろう、ユーニの目も完全に節穴という訳ではなさそうだ……!」
「でえええええぃ――ッ!」
着地したベルガディスに、カギリは即座に追撃を仕掛ける。
舞い踊る二刀にベルガディスは大剣を掲げて応じ、両者は再び激しい剣戟を繰り広げる。
「だが足りぬ! 〝俺と互角なんぞ〟では全く足りぬぞ! ユーニの話では、お前は神冠の魔物を倒したそうではないか!? この程度で神冠を……あまつさえその上にいる星冠などという存在を倒せるわけがないッ!」
「期待して頂いているところ悪いが、今は正真正銘これがギリギリ限界でござるッ! 拙者、ギリギリ侍ゆえッッ!」
「ヴァーッハッハ! 面白い奴だッ!」
強烈な力と力のぶつかり合い。
それはもはや完全に模擬戦の域を超え、見る者全てが息をのむ真剣勝負だった。
「この俺と正面から殴り合おうとは! ならば――格闘戦型!」
瞬間。ベルガディスの甲冑が軽装に、大剣状だった聖剣が両拳を覆うガントレットへと変化。技巧溢れる打撃戦へと移行する。
「くっ!? ぬう……!」
「ヴァッハハハハ! あらゆる流派の長所を兼ね備え、あらゆる流派の弱点を補う究極の流派、それが勇者だ! お前がその程度だと言うのなら、このまま叩き潰すまでよッ!」
「同じ勇者でも、ユーニ殿とは全く違う剣……! 凄まじい圧力でござるッ!」
上下左右、あらゆる角度から鋭く打ち込まれるベルガディスの拳。
カギリはそれを円を描くような足運びでやり過ごし、僅かな隙を見切って刃を繰り出していく。
それはまさしく息つく間もない紙一重の攻防。
しかしその激しい戦いは徐々に双方の肉を裂き、骨を軋ませていく。
「駄目だな……! 確かに少しはやるようだが、その程度ではとてもユーニを任せるわけにはいかん! 神冠を倒したというのも、大方ユーニが相当にダメージを与えた上での話であったのだろうッ!」
「ぐ、く……ッ!」
拮抗が崩れる。
ベルガディスの拳が、カギリの肩口と腹部を同時に捉える。
強烈な衝撃に吹き飛ばされたカギリはしかし、砂塵をまき散らしながらもなんとか受け身を取って着地。
口元から鮮血を吐き捨てると、おぼつかない足取りで立ち上がる。
「カギリさん、大丈夫ですか――!?」
その様子に、ついにユーニが二人の間に割って入ろうと飛び出す。
だが、しかし――
「――拙者、元よりユーニ殿を〝任される〟つもりなどござらん」
「え……?」
「なんだと?」
だがしかし。
カギリは自らに駆け寄ろうとしたユーニを、片手を上げて制した。
そして再び二刀を構えると、大きく荒れた息を静かに整える。
「なぜならば……拙者にとってユーニ殿は共に日々切磋琢磨し、死線をくぐり抜けた〝無二の友〟だからだッ!」
「な――ッ!?」
次の瞬間。カギリはベルガディスの間合いの内にいた。
不意を突かれたベルガディスは放たれた刃を寸前でかわすが、大きく体勢を崩した隙にカギリの嵐のような連撃が襲いかかる。
「そしてベルガディス殿……先ほどから黙って聞いていれば、貴殿の言動……このカギリ、決して許せぬぞッ!」
「許せぬと!?」
「そうだ! ユーニ殿はすでに子供でもなければ、誰かに面倒を見られなければならぬ未熟者でもないッ! 立派に自らの道を歩み、拙者が誰よりも認める一人の武人でござるッ!」
「知ったような口をききおって! 金剛戦型ッ!」
ベルガディスの戦型が変わる。
軽装では受け切れぬと判断したベルガディスは、鉄塊の如き重装を顕現させると、更に巨大さを増した鈍色の大剣でカギリを押し潰しにかかる。
「そのような問題ではないのだッ! あいつの背にはこの世の行く末が……運命がかかっている! もし万が一ユーニが敗れ、道を誤るようなことがあれば、お前はその責任を取れるというのかッ!?」
「笑止――! 元より人とは敗れるもの……人とは誤るものでござるッ! それはユーニ殿も拙者も……貴殿とて同じはずッ!」
「――!?」
しかしカギリは止まらない。
振り下ろされた大剣を紙一重でかわし、ベルガディスを斬撃の渦へと叩き込む。
「そしてなればこそッ! 拙者はユーニ殿を信じる友として、彼女が何度敗れようと、何度道を誤ろうと――共にある限り支え抜く覚悟なりッ!」
「支え抜く、覚悟だと……!?」
「カギリさん……っ!? まさか……カギリさんは僕のために……?」
カギリの振るう二刀が閃光と化し、ベルガディスの巨体が空を舞う。
しかし衝撃に揺れる意識の先で、彼は〝自嘲の笑み〟を浮かべていた。
「フ……フハハハハハッ! ヴァーッハッハッハ! 良かろう……ならば、今ここでお前の覚悟を見せてみよッッ!」
「望むところ! いざ――推して参るッ!」
刹那、カギリの黒紅の瞳に雷光が奔る。
ベルガディス目掛けてカギリが飛び、迎え撃つベルガディスは全ての力を自らの聖剣へと収束。その形状を天にも届くまでに巨大化させる。
「はあああああああああ――ッ!」
「戦型奥義――断神崩壊ッッ!」
天上へと飛翔したカギリの閃刃と、極大化したベルガディスの鈍色の刃が空中で激突する。
「カギリさんっ! 先生――っ!」
交錯。
そして静寂。
ベルガディスが振り下ろした大剣が両断され、不滅の鎧が木っ端微塵に砕け散る。
カギリの体が袈裟斬りに裂け、鮮血が空を舞う。
「お前の覚悟……確かに見せてもらった……俺の……完敗だ……」
「弟子を思う師の心……拙者も見せて貰ったでござる」
その場にいた全ての者が、息をすることすら忘れる死闘。
すでに、二人は〝共に力尽きて〟いた。
「とはいえ、拙者ももはやこれまで……! やはり此度の戦も……ギリギリ、紙一重でござった……――」
カギリは背後を振り向くこともせず、息も絶え絶えのまま残心。
音も無く二刀を鞘に収めると、そのままベルガディスと共にゆっくりと落下した――。